コメントライナー寄稿第19回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第19回「行政改革と縮み思考から卒業を」が9月10日に配信され、iJAMPにも転載されました。

歴代内閣は、行政改革に取り組んできました。中曽根行革では国鉄の分割民営化、橋本行革では中央省庁改革、小泉行革では郵政民営化や規制改革など。現内閣も「政改革推進本部」を設置しています。しかし、現在の行政改革は、何を目的として行われるのでしょうか。国民も「小さな政府」や「身を切る改革」といった言葉を支持します。その中身はなんでしょうか。

1990年代には、経済停滞からの脱却のために、企業は事業の縮小や従業員数と給与の削減を進めました。ところが、その目的を達したのに、引き続き縮小を続けたのです。それでは消費も拡大せず、経済も社会も発展しません。一方、政府も予算と職員の削減を続け、社会に生まれてきていた新しい課題に取り組むことができませんでした。

やがて「縮小の思考」は社会の通念となり、企業や役所が新事業へ挑戦することや、新しい政策を企画することをためらわせました。30年間も続くと、現在の企業や役所の幹部は、入社・入庁以来、挑戦や成長を経験したことがないのです。それが、経済停滞と社会の不安を長引かせたのです。
この間に、一人あたり国民所得は経済開発協力機構加盟38カ国中21位に落ち、アメリカの3分の1、ドイツの2分の1になってしまいました。

ようやく物価、給与、株価が上昇し始めました。成長のためには、政府も行政改革を卒業し、国民に向かって縮み思考から脱却することを宣言すべきです。

アメリカ、ニュースはソーシャルメディアから

8月24日の日経新聞オピニオン欄、西村博之・コメンテーターの「米大統領選ミームは毒か薬か」。
・・・秋の米大統領選に向け民主党候補のハリス副大統領が想定外の好スタートを切った。バイデン大統領が劣勢だった激戦州で支持を盛り返し、政治献金も急増する。
背景の一つが、ネット上で話題をさらう画像などのコンテンツ、いわゆる「ミーム」だ。勝ち目のないバイデン氏への絶望の反動もあり、一気に拡散した。
やたら大笑いするハリス氏は、「奇っ怪」と映っていた。だが共和党候補のトランプ前大統領がこれをちゃかし、攻撃用の動画集まで作ると若者らに人気となった。関連コンテンツも多く作られ、親しみと連帯感を生んだ。調子が狂ったのはトランプ氏だ・・・

本論は記事を読んでいただくとして。アメリカ市民のニュースの取得先が、図になって載っています。
2013年と2023年を比べて、テレビは約70%から約50%へ、新聞雑誌など紙媒体は約50%から約20%へ低下し、ソーシャルメディアが約30%から約50%に伸びています。
世代別には、重要な出来事やニュースはソーシャルメディアで知るという人びとの割合で、60歳以上は約20%、44歳から59歳は約50%、28歳から43歳は70%近く、12歳から27歳は80%近くです。

ソーシャルメディアでは、記事は短く、また興味を引く見出しや写真で、深くは考えません。

学があることと頭がよいこととは別

「頭が良い」と聞くと、偏差値の高い大学に行った人を思い浮かべるでしょうか。しかし、「学がある」と「頭が良い」とは異なります。
私が子どもの頃、近所のおばさんが「あの人は学はないけど、頭は良いなあ」とか、その逆のことを言っておられました。私は、よくわかりませんでした。私は、「学があること=頭が良いこと」と思っていました。社会人になってから、おばさんたちが言っていたことの意味がわかるようになりました。

一概には言えませんが、頭の良い人がうまくいかない場合が多いようです。自分の能力に自信を持っておられる。しかし、その言動に上司や部下、周囲の人が納得するかどうかです。
自然科学の世界じゃないので、評価基準というのは客観的には決まっていません。評価する人たちに理解してもらい、その人たちが関心のあることについて的確に答える必要があります。相手があることですから、相手が何を望んでいるかを理解しなければならなりません。
「それでも地球は回っている」は自然科学の世界では正しいですが、日常生活では通用しません。相手と観客がいて、その人たちが納得するかです。

うまくいかない場合もあります。その場合でも、皆が納得することが大事です。同じ失敗でも、「あの人なら、やはり失敗したか」と「あの人でもうまくいかない、難しい案件か」とでは、評価が異なります。
私たちの仕事では、「できたか、できないか」の評価ではなく、「着地点が良かったじゃないか」と言ってもらえるかどうかです。「その2」に続く。

薄給の保育士

8月25日の朝日新聞東京版「薄給の保育士 国の基準で、できっこない」、認可保育園を運営する元帝京大教授(保育学)の村山祐一さんの発言から。

――保育士の処遇改善がなかなか進みません。

国が「保育に必要な額」として算出した公定価格が、認可保育園の運営費です。人件費もここに含まれますが、あくまでも国の配置基準の人数分。ただ、「配置基準では足りない」というのが保育界の常識です。
例えば、3歳児15人を1人で8時間保育できますか。食事や昼寝などいろんな時間がある中で、子どもたちの様子をつぶさに見ながら対応し、記録をつけ、保護者と連携して子どもの育ちを支える。国の配置基準では、できっこないです。
実際、多くの現場では配置基準の1・6~2倍ほどの職員を置いています。配置基準に応じて支給される運営費を、倍近い人数に分配しているのです。

国が想定している保育士の給与額は、国家公務員給与法を参考にしていますが、国家公務員は勤務年数に応じて格付けが上がり、昇給するのに対し、保育士は経験が反映されません。
公費である委託費を全国一律に計算するため、1年目の人も10年目の人も同額で計算される。想定する給与額に経験年数による加配がないため、初任給を高くすれば経験者の給料が低く抑えられる状況です。

――なぜ抜本的な改善にならないのですか。

保育士の仕事が軽視されているとしか考えられません。子どものことを本気で考えていない。どれだけ人手がかかり、子どもの思いを受け止めるのはどれだけ大変なのか。専門性が認められていません。
背景には、政治家の中に「子育ては家庭で」という価値観が根深くあると思わざるを得ません。現場の状況と、国が示す職員の配置基準や公定価格が、とにかく合っていないのです。

――今後、どのようなことが懸念されますか。

なり手は既に減っています。一部の養成校では「定員に満たない」とも聞きます。
心配なのは、子どもの育ちが保障されなくなること。待機児童問題が、これまでと別の形で出てくると思います。預けたい子どもはいても、職員がおらず、園の定員を縮小せざるを得ない。だから預けられない、という問題です。十分な保育士を確保できるだけの給与と配置基準にしないといけません。

秋のアサガオ

アサガオ」(8月17日)の続きです。その後も、ヨトウムシが数匹出ました。見つかったときは、大きくなっていて、新しい葉を食い尽くしています。そこまで気がつかないのが悪いのですが、探しても虫が見つからないのです。

散歩でもらった種は、その後もどんどん生育し、我が家の種はそれに押されて、大きくなれないようです。で、もらった方のアサガオをいくつか抜きました。
ようやく先週から、我が家伝来のアサガオがいくつも花を咲かせるようになりました。アサガオらしい、立派な赤や青の花です。どうやら、おくてで、秋に咲くようです。