清代の知事

山本英史著「清代知識人が語る官僚人生」(2024年、東方書店)を読みました。読みやすく、面白かったです。1630年頃、中国山西省で生まれた黄六鴻という人が残した書物を元に、当時の官僚生活を解説したものです。

彼は、科挙の途中段階まで合格しますが、最後の試験になかなか受からず、知県になる道を選びます。時に40歳を超えていました。最初に赴任したのが、郯城(たんじょう)県です。ウィキペディアで出てくる、この県のようです。郯という国は「春秋左氏伝」に出てくるそうです。二つの県で知県を勤めた後、中央官庁の職にも就きます。引退後、田舎暮らしを選ばず、経験を元に指導書を書きました。その本が、元ネタになっています。

知県は県の知事にあたりますが、当時の県は10~20万人、全国で1200あったそうなので、日本の市くらいと考えるとよいでしょう。
当時の地方行政機構は、大きい方から、省、道、府、県・州となっていました。知県はこの末端の県の長官です。徴税と司法、治安を司ります。治めやすい県とそうでない県がありますが、それ以前に、部下職員が言うことを聞きません。知県が連れて行く安心できる部下のほかに、職員は地元採用でかつ給料が安いのです。彼らは、賄賂など生計を立てます。
知県は正しい政道を目指しますが、それだけでは組織が回りません。かといって、緩めると部下たちはなめてかかります。主人公は、かなり清廉潔白な政治を行いますが、失敗もあります。書かれている事例が具体的で、面白かったです。

災害時の虚偽情報

6月2日の日経新聞、久保田啓介・編集委員の「防災DXの光と影 デマ克服し長所伸ばせ」から。

・・・能登半島地震から5カ月。発生直後から復旧・復興までさまざまなデジタル技術が登場し、今後の活用に期待が膨らむ。一方で、SNS(交流サイト)ではデマが飛び交い、防災DX(デジタルトランスフォーメーション)の光と影を浮かび上がらせた・・・
・・・一方で「影」はデジタル空間に虚偽情報があふれたことだ。「家の下敷きになった。すぐに救助を」といった虚偽の要請や津波被害などのニセ画像がSNSで流布した。情報通信研究機構が地震後24時間の投稿の一部を分析したところ、救助要請に関連する1091件のうちデマと推定できた投稿が104件を占めた。
2019年の台風19号災害では長野県がSNS投稿を約50件の救助に結びつけ、救助・救援の切り札とも期待されただけに関係者は衝撃を受けた。「正しい投稿を否定するデマまで現れ、虚実がわからなくなった」と研究者は嘆く。

人工知能(AI)が社会に浸透するなか、DXの便利さと危うさは社会のあらゆる場に潜む。特に災害時には影の部分が鋭く頭をもたげることに注意が要る。
とりわけ懸念されるのが南海トラフ地震や首都直下地震など巨大災害時だ。心ないデマだけでなく、インフラを動かす重要データの書き換えなど「悪意ある攻撃」が国家規模で仕掛けられる恐れすらある・・・

私専用のエスカレータ

最近、東京駅と京都駅を利用する機会が、何回かありました。荷物があるので、エスカレータを使います。
すると、皆さんが左側に長く並んで待っていて、私のために右側を空けてくれているのです。
「こんなに特別待遇してくれなくてもよいのに」と言いつつ、誰も乗っていない右側にさっさと乗らせてもらいます。

世界で最も魅力的な国

6月1日の日経新聞に、「海外客の消費額、過去最高に」が載っていました。詳しくは記事を読んでいただくとして。世界で最も魅力的な国の順位が載っています(アメリカの大手旅行雑誌によるとのこと)。
なんと、日本が第1位です。以下、イタリア、ギリシャ、アイルランド、ニュージーランド、スペイン、ポルトガル、イスラエル、ノルウェー、スイスです。旅行に求める興味は人様々なので、意見は分かれるでしょう。なぜ、日本が一位なのでしょうね。

外国人観光客に人気の観光地の順位も載っています。1位は、東京都江東区のチームラボプラネッツだそうです。私は知りません。
2位が京都の清水寺、3位が京都の侍忍者ミュージアム、4位が京都の伏見稲荷、5位が東京スカイツリーとのこと。

連載「公共を創る」第188回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第188回「政府の役割の再定義ー重ねた被災地訪問と信頼関係の醸成」が、発行されました。前回に引き続き、東日本大震災対応の経験をお話しします。

大きな仕事を進めるために、与党提言を活用し、安倍首相にも動いてもらいました。
私が意を用いたことに、職員に現場を見てもらうことと、被災自治体との信頼関係を作ることがありました。
霞が関の官僚には、現場を見る経験がない、少ない職員もいました。しかし災害復旧、しかも新しい政策を作らなければならないときに、現場を見ずしてよい案を作ることはできません。
復興庁は、当初は被災自治体からよい評価をもらうことができませんでした。その後、評価が上がりました。現場で復旧工事が進んでいないのにもかかわらずです。それは、復興庁職員が現地に出向いて要望を聞き、できることとできないことを整理して、できることから取り組んだからだと思います。

もう一つ難しかったのは、原発事故対応です。
原発事故は、政府が政策の誤りで特定地域に多大な被害を与えた事例なのです。その点では、太平洋戦争での沖縄戦と比較することができるでしょう。被害者である福島県と市町村、その住民が、方針や対応において判断を誤った政府に対して怒りを持つことは当然です。
原発事故被災者の政府に対する怒りには、2つの原因があります。一つは、政府が安全だと言っていた原発が爆発を起こしたこと、政府が十分な安全策をとっていなかったことです。もう一つは、原発事故が起きた後に、正確な情報が伝えられず、住民の避難誘導も十分でなかったことです。
事故後の現地では、原子力被災者支援チームの職員たち、主に経済産業省の職員が、被災者や自治体との対応に当たりました。自治体と住民の間に政府への不信感が強くありました。支援チームの職員たちが事故を起こしたわけではありません。しかし、政府としての責めや省としての批判を一身に背負って現場に入り、頭を下げ、厳しい言葉を浴びながら、要望を聞き、失われた信頼を再建する作業をしたのです。彼らの努力と苦労には頭が下がります。「角野然生著『経営の力と伴走支援』