仕事ができない上司の扱い方

6月15日の日経新聞「なやみのとびら」欄に、次のような相談が載っていました(ウエッブサイトでは出てこないようです)。

「仕事ができない上司にイライラしています。パソコンの使い方も分からないし、仕事上の相談をしても解決策を示せません。休みだけは人一倍取るため、部下の負担は増すばかり。人事部は人を見抜くことができなかったのでしょうか。」
中園ミホさんの回答は、紙面をお読みください。

今どき、こんな上司がいるのでしょうか。
こんな上司は席にいるだけで仕事の邪魔になりますから、休んでくれる方が部下にとってはよいと思うのですが。この相談者は、そのような方に仕事で相談を持ちかけているのですよね。不思議です。このあたりの事情も、もう少し聞きたいです。

私が聞かれたら、「明るい公務員講座」の基本は「一人で悩むな」ですから、「同僚はどのように考えているか聞いてみましょう」です。
みんな同じ考えなら、人事課に伝えましょう。もしあなた一人がそう思っているのなら、あなたが変わる必要があります。

学者同士の冷静な評価と議論

川北英隆・京都大学客員教授のブログ、6月14日に「経済学者なら具体的議論を」が載っていました。
私も毎朝、日経新聞の経済教室を読んでいます。同じように物足りなさを感じていたのですが、このブログを読んで納得しました。世の中の時評や書評はヨイショが多いですが、このように冷静に評価してもらうと、わかりやすいです。

・・・日経新聞の経済教室に「日本経済復活の条件」と題して、昨日から3回シリーズでの連載が始まった。昨日、今日と読んでみて「日本の経済学者復活の条件」もついでに連載したほうがいいのではと思ってしまう。
昨日は吉川洋氏と山口広秀氏の、重鎮2人の連名だった。人口減少が経済停滞の原因ではなく、イノベーションの欠如が原因だと述べている。そんなこと、わざわざ経済教室で言われなくても当然のことである・・・

・・・今日は福田慎一氏だった。日本を代表する大学、東大の教授である。株価がバブル期の高値を更新した背景を詳細に述べつつ、これを好機ととらえ、経済の新陳代謝とイノベーションを進めることが必要だとする。しかしというか、残念ながらというか、具体的な指摘は何もなく、一般論で終わっている。普段、何も考えていないのか・・・

ASEANの頼れる「級友」に

6月9日の読売新聞、相沢伸広・九州大比較社会文化研究院教授 の「東南アジア外交 ASEANの頼れる「級友」に」から。

・・・日本がASEANに「選ばれる」最大のメリットは経済面です。東南アジアの経済成長は日本経済に直結する死活問題だからです。東南アジアから見て、日本が「助けたい国」、「選びたい仲間」と認知されるかが重要なポイントとなります。

ASEAN各国の政治家や官僚などの政策コミュニティーには30~40代が多く、彼らの景色には、1980年代のように日本を「仰ぎ見る」形式は全くありません。非常にフラットに、「クラスメート」の一人として日本を見ているように感じます。

現時点では、日本は大変人気のあるクラスメートとしての地位を得ているのは確かです。継続的な支援に加え、カンボジア和平、97年の通貨危機対応などへの功績で、「日本は決して合意を 反故ほご にしない」「困ったときには助けてくれる」という信頼と期待は確実に醸成されています・・・

久しぶりの富山

昨日15日土曜日、今日16日日曜日と、富山に行ってきました。久しぶりです。私が富山県総務部長を務めたのは1994年から1998年で、30年前になります。

午前中は、氷見市へ。能登半島の付け根にある氷見市も、能登半島地震で被害を受けました。海に近い市街地の一部で液状化で多くの家屋が壊れたり、傾いたりしました。もっとも、被害は一部住宅にとどまり、工場や商店、民宿も早くに再開しました。市の大半において、生活は戻っています。
北日本新聞の依頼で、現地を視察したあと、林市長と対談に臨みました。市は、被災住民の意向を聞きつつ、再建の方向を検討中です。約5割の住民が現地で暮らしたいとのことです。これだけの人が住み続ける意向があれば、復興するでしょう。産業も被害を受けていませんから。
魚もおいしいです。魚は海の中にいて、地震の影響を受けていません。応援したい人は、ぜひ民宿に泊まっておいしい魚を食べてください。

午後は、富山県立美術館へ。エッシャー展は、見応えがありました。だまし絵というのでしょうか。右から飛んでくる白い鳥の群れが、左へ行くと反対に飛ぶ黒い鳥の群れになったり、階段を上っていくと、元の場所にたどり着いたり。皆さんも一度はご覧になったことがあるでしょう。
よくこんな絵を考えたのですね。そしてとても精密です。1枚の絵を描くのに、どれくらいの時間がかかったのでしょうか。

夕方からは、料亭加賀屋の100年記念に出席。総務部長時代にお世話になりました。様々な分野の方とお付き合いするときや、難しい相談をする際に使わせてもらいました。このお店は市の中心部から少し離れていて、私には都合がよかったのです。懐かしい顔ぶれに会うことができました。貴重な機会に誘っていただき、ありがとうございました。当時は畳の席で座布団でしたが、現在は畳で椅子席です。腰には優しいです。
その後、当時の音楽仲間との同窓会へ。私の下手なフルートを見かねて、県庁の有志がアンサンブルを作って、私を指導してくれたのです。このホームページの表紙の絵「笛吹き中年」は、そのとき描いてもらいました。県立美術館の荻野佳子館長は、その仲間でした。かつては集まれば演奏していたのですが、今回は断念。私は最近楽器に触っていないので・・・

翌朝は、地元放送局と打ち合わせ。ある番組の助言をしているので。
盛りだくさんの旅行でした。富山の海の幸を、たくさんいただきました。立山連峰は、あいにく雲に隠れていました。

いなくなった官庁のエコノミスト

日経新聞夕刊連載「人間発見」、小峰隆夫さん「日本経済と歩む人生」、6月7日の記事から。

「小峰さんの後を継ぐような官庁出身のエコノミストは多くない。」
大きな理由が省庁再編です。経済企画庁は内閣府の一部局になりました。男女共同参画や少子化など幅広い分野を担当する官庁になったため、経済を専門に仕事をしたいと思う人がなかなか来なくなりました。エコノミストとしての専門職採用や、外部人材の登用などを進めてほしいと感じます。

現役の官僚も、自分の考えを役所の外に発信するリスクを幾分、気にしているようです。原稿執筆や外部の講演、場合によっては兼業も自由に認める取り組みは大事です。
日本経済について何を書くべきなのか。次に自分は何を論じるか。役人だったときも民間に転じた後も、何十年にわたって毎日考えています。エコノミストは発信することで磨かれます。私は企画庁にいたときから、2年に1冊は本を出し、連載も続けてきました。

エコノミストは本を書くことで成長します。本を書くと必ず行き詰まる。これは苦しい。しかし、抜けると新しい世界が開ける。
当面は、私の代表作である「平成の経済」と「人口負荷社会」の続編を書けないか、構想を練っています。企画庁で働く中で、自分の〝比較優位〟は書くことにあると気付きました。日本経済について、書きたいことはたくさんあります。