遺伝による能力や性格の違い

10月28日の朝日新聞別刷り「サザエさんをさがして」「双生児 似ているのに、どこか違う」に、次のような記述がありました。

安藤寿康・慶応大名誉教授は、欧米の研究成果を踏まえた上で仲間たちと分析した結果、知能82%、学業成績52%、外向性や神経質46%などと、遺伝の影響を受けていることを突き止めた。
「遺伝の研究が進んだことで、同じ親からでも非常に多様な子どもが生まれる確率が高く、『トンビがタカを生む』は十分あり得るとわかった。科学的知見を知らないまま自分の無能さを嘆くよりも、『これは遺伝の影響』と受け止め、真正面から向き合う時代になった」。

丹波篠山市で講演

今日11月10日は、丹波篠山市で管理職研修の講師を務めました。市の要望で、午前午後の2回です。
どの組織でも、管理職の仕事が難しくなったという嘆きを聞きます。私は、そこには2種類の問題があると考えています。一つは、どの時代にもある上司と部下との関係の問題です。これについては『明るい公務員講座 管理職のオキテ』に要点を書きました。

もう一つは、この30年間すすんだ、日本の職場の変化です。これが、管理職を悩まし、心の不調を訴える職員の増加につながっています。
日本の職場の特徴は、大部屋で係単位で仕事をする。職務記述書や執務要領でなく、引継書で仕事をする。上司が十分な指導と管理をすることなく、周囲や先輩を見ながら仕事を覚えることです。それが、かつては効率的でしたが、うまく機能しなくなりました。新しい仕事が増え、他方で古い仕事はなくなりません。パソコンが一人一台行き渡ったことで、係単位の仕事と職員育成が機能しなくなったのです。

質問も、切実なものでした。私の話が、少しでも参考になったらうれしいです。
丹波篠山市は2006年12月に講演に呼ばれています。そのときの勉強会メンバーが、市の幹部になっておられます。頼もしいことです。
前日から入って、久しぶりに市内を観光しました。良い城下町が残っています。篠山城下町ホテル「ニッポニア」に泊まりました。明治前期に建築された元銀行経営者の旧邸宅です。これも、良かったです。

男らしさのつらさ

10月26日の日経新聞夕刊に「男性らしさへの向き合い方」が載っていました。

男性と聞いたとき、無意識に思い浮かべるイメージはないだろうか。内閣府の調査によると、女性より男性の方がいわゆる「男性らしさ」の規範にとらわれがちな様子が浮かび上がる。これが生きづらさにつながっている人もいるだろう。男性像を巡る近年の議論や状況について専門家に聞いた。

「求める像ひとつではない」日本男性相談フォーラム代表理事の福島充人氏
――電話による男性相談事業を続けてきました。
「1995年に前身となる団体がホットラインを開設した。現在月3回、夜間に相談を受けている。私たち相談員も男性であり、当事者の目線を持ち対話する姿勢を重視している。相談は強くあろうとする男らしさのよろいと、弱さがせめぎあう葛藤と矛盾の場だ。年間150〜200件ほど電話がかかってくる。近年は減ったが、それでも無言は15%を占める」
「男性相談は言葉を発するまでに高いハードルと長い滑走路があるといわれる。こんな話を聞いてもらえてうれしかった、といって電話を切る人は多い」

――悩みを共有できる場が少ないのでしょうか。
「男性はそもそも悩みを語り合う場があまりないし、語っていいと思っている人も少ないというのが実感だ。それは望まない孤立も生んでいる」

連載「公共を創る」第168回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第168回「政府の役割の再定義ー日本の経済と働き方の特徴」が、発行されました。

行政機構の目標と評価について、官僚の説明責任を論じています。官僚ももっと自分たちの仕事を記録して、公表すべきだということです。私が素晴らしいと感じた著作を挙げました。一つは、黒江哲郎・元防衛事務次官の「防衛事務次官 冷や汗日記 失敗だらけの役人人生」です。この本については、このホームページでも紹介しました。
もう一つは、大村慎一・前総務省新型コロナ対策等地方連携総括官兼地域力創造審議官の執筆による「新型コロナウイルス感染症対策に関する地方連携推進の取組」です。これについては先月紹介したばかりです。

続いて、日本の経済発展と停滞の原因が日本型の職場慣行にあるとして、その説明をしています。日本の経済力、生産性の低さ、長時間労働を説明するために、図表も付けてあります。

訂正し歩み寄る

10月27日の読売新聞夕刊、東浩紀さんの「訂正し合い 歩み寄る」から。詳しくは原文をお読みください。

—『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)とその入門・実践編の『訂正する力』(朝日新書)と出版が相次いでいます。今、なぜ「訂正」をテーマにしたんですか。
東 とにかく今の日本社会は訂正をしない。政府は公文書を隠し、質問にも正面から答えず、批判勢力も一度方針を決めたら、それを曲げない。そのため変化に対応できず、社会が停滞しているという問題意識がありました。

—「君子豹変(ひょうへん)す」といい、論語の「過ちを改むるに憚(はばか)ることなかれ」といい、訂正は本来いいことなのに、なぜ嫌がられるようになったのか。
東 「論破」したら勝ちという風潮が強まり、意見を変えると矛盾を糾弾するなど訂正に不寛容な社会になっている。SNSの発達で、過去の発言が全部記録できるようになり、意見を変えると叩かれやすくなったことも影響しているでしょう。
—もの言えば唇寒し、では対話する気が失せますね。

東 一方で、批判されることを恐れ、口当たりのいいことばかり言う風潮にも疑問があった。対話というのは、みんながわかり合うことが見えない目標ですが、そこにたどり着くには「ここは違うよ」とか、お互いの発言を訂正しあうことが大事です。だから、東日本大震災が起きた3・11以降、「寄り添う」という言葉が流行したときには違和感がありました。
—というと?
東 相手の言い分を聞いて、「その通りだね」「わかる、わかる」とうなずくだけでは事態は何も動かないじゃないですか。もちろんケアは大事だけど、ここぞのときには、「それは違うよ」と言わないと、対話にはなりません。