このホームページの読者から、依頼がありました。復興支援の感謝の言葉とともに、三陸鉄道の震災学習列車を宣伝してほしいとのことです。
三陸鉄道は岩手県沿岸、すなわち東日本大震災で大きな被害を受けた地域を走っています。鉄道も寸断されたのですが、復旧しました。眺めがよいですよ。三鉄は、大震災津波の伝承や三陸地域の魅力発信に取り組んでいます。それを支援する仕組みです。クラウドファンディングによる寄付募集です。
岩手県のホームページをご覧ください。
月別アーカイブ: 2022年3月
安藤宏『「私」をつくる 近代小説の試み』
安藤宏『「私」をつくる 近代小説の試み』(2015年、岩波新書)が、分かりやすかったです。宣伝には、次のように書いてあります。
「小説とは言葉で世界をつくること.その仕掛けの鍵は,「私」──.言文一致体の登場とともに生まれた日本近代小説の歴史は,作品世界に〈私〉をどうつくりだすかという,作家たちの試行錯誤の連続であった.漱石や太宰などの有名な作品を題材に,近代小説が生んだ日本語の世界を読み解く,まったく新しい小説入門」
文学評論というより、明治以降の小説を「私=書く主体と書かれる主体」を切り口にした、日本社会分析です。
第4章「「私」が「私」をつくるー回想の読み方、つくり方」72ページに、次のような文章があります。
・・・自分で自分の書いた日記を読み返し、そこに描かれている「私」の姿にとまどいや自己嫌悪を感じた経験はないだろうか。
描かれている「私」はたしかに自分であるはずなのだけれども、まるで別人のようにも感じられる。いっそ赤の他人ならよいのだろうが、一見異なる人物が実はほかならぬこの自分自身でもある、という二重感覚がわれわれをとまどわせ、羞恥や嫌悪の引き金になるのである。
いや、こうした言い方はあまり正確ではないかもしれない。たとえば写真で過去の自分の姿を見た時、われわれが感じるのは羞恥や嫌悪よりも、むしろ「こんな自分もいたのだ」というおかしみや懐かしさである。画像が外面的、形態的な客観性を保持しているのに対し、日記は言葉で書かれているために、本来外にさらされることのないはずの「内面」を露呈してしまっている。そのためにわれわれは勝手な「内面」づくりにいそしんでいた、まさにその行為にいたたまれなさを感じるのだ。
日記に登場する「私」は実にさまざまだ。友人と喧嘩したときの記述は自分に都合よく正当化されてしまっているかもしれないし、失恋したときの記述はこの世の悲劇を一身に背負ったヒーロー、あるいはヒロインになってしまっていることだろう。その時々の要請に従ってフィクショナルに仮構された「内面」が、今、読み返している「私」と同一であることを強いられるがゆえに、われわれはいわく言いがたい羞恥と嫌悪を感じてしまうのである・・・
故・竹下亘先生お別れ会
インターネットが進めたチーム研究
3月3日の日経新聞夕刊「私のリーダー論」、坂村健さんの「決定に責任持つ覚悟を」から。
――良いリーダーには何が必要だと思いますか。
「リーダーのあるべき姿は、どんな組織なのか、どんな経済環境やビジネスモデルなのか、といった条件によって変わってきます。こういう人ならどんな組織のリーダーにもなれる、なんて人はいませんよ。和をもってよしとするのがいい状況もあれば、リーダーシップを強く出してチームを引っ張っていかないといけない状況もあります」
「ただ共通しているのは、自分が決定したことに対して責任を持つ覚悟ではないでしょうか。リーダーとは決定権を持つ存在です。自分の組織がどうなっているのか、リーダーは状況をしっかり把握しないと、次にどうすべきかを決めることはできません」
――若い頃からチームのリーダーとしてプロジェクトを進めてきたのでしょうか。
「僕が学生の頃、研究はチームで行うものではなかったです。当時は個人主義で、一人で研究するスタイルが主流でしたから。研究者としてのキャリアのスタート地点ともいえるトロンを始めたのは1984年です。79年に慶応義塾大学の大学院を修了し、すぐに東京大学の助手になりました。その後、講師になろうとしていた頃です」
「まだ今ほどコンピューターが進歩していなかった時代です。普及し始めていた大型コンピューターの研究は一人で行うのは難しかった。そういう中で、70年代にマイクロコンピューターが登場したことで、これなら研究チームを組まなくてもできそうだと考え、一人でプロジェクトを立ち上げたのです」
――研究の進め方が個人からチームへ、変わってきたのはいつごろからでしょう。
「チームの力が強くなったのは、インターネットが普及し始めた頃でしょうね。80年代にインターネットは民間開放されました。それまでは軍事技術だったのです。やはりインターネットの普及が、人と人とが密接に連携することを簡単にしたんですよ」
「昔はとにかく連絡を取り合うのが大変だった。電話をかけるか、手紙を書くか、直接会うかしかないでしょう。研究の途中で24時間いつでも相談できない。いまはメールもあるし、SNS(交流サイト)もある。遠く離れている人と連携しやすくなった。環境の変化がいまのチームの基礎になっていますね」
時事ドットコムに転載「管理職研修の盲点」
3月1日にコメントライナーとiJAMPに載った拙稿「管理職の必須知識」が、時事通信のニュースサイト「時事ドットコム」に転載されました。
「企業も役所も大変!今どきの管理職研修に大きな盲点」です。無料閲覧可能なので、ご覧ください。なお、3月7日の『地方行政』にも載せてもらいました。
表題が、分かりやすいものに変わっています。なるほど、専門家は違いますね。
一般ニュースに取り上げられるとは、私の指摘が良い点をついていたということでしょうか。
「明るい公務員講座」3部作を書いたときに考えましたが、職員養成の重要性が叫ばれる割には、官民とも力を入れてこなかったように思います。「職員研修は充実している」と、関係者からは反論がおきるでしょうが。
1 職員養成とそのための手法(研修だけでなく)の、全体像や系統的な教科書がないこと。
2 職員養成の専門家が、企業や役所にいないこと。各分野の専門家はおられるのですが、全体を分かる人です。
今、勉強中です。この1と2について、良い教科書と専門家がおられれば、教えてください。お教えを乞いに行きます。