桜井勝延・前南相馬市長「避難指示、連絡なかった」


10月5日の福島民友新聞に、桜井勝延・前南相馬市長の原発事故直後の証言が載っていました。「避難指示、連絡なかった」。原文をお読み下さい。

・・・翌12日、第1原発1号機の建屋が水素爆発で吹き飛び、政府は原発から半径20キロ圏内に避難指示を出した。「20キロ圏内ってどこまでだ」。テレビで知った桜井や市職員は地図を広げて見当をつけ、避難所などに身を寄せていた20キロ圏内の小高区の住民の再避難を始めた・・・
・・・ 政府は15日、3号機の爆発を受け半径20~30キロ圏内に屋内退避を指示した。避難を本格化させようとしていた矢先に物流が止まった。鹿島区は30キロ圏外だったが、すでに市内全域で市民生活が困難な状況となっていた。桜井は全市での避難を決断し、16日に新潟県への緊急避難計画を策定した・・・
・・・その後、桜井は政府文書を開示請求する。桜井が目にした「20キロ避難指示」の文書には南相馬と書かれておらず「屋内退避指示」の文書に、その文字を見つけた。「いずれにせよ、(政府からは避難の)連絡なんてなかった」。桜井はつぶやいた・・・ 

転職の手続き

9月29日の日経新聞夕刊Bizワザに「いざ転職、退職のマナーは 予定逆算、書類の確認を」が載っていました。

会社による解雇、本人の希望による転職が増え、終身雇用慣行が崩れています。さて、転職するとなったら、現在の勤務先にどのように伝え、どんな手続きが必要となるのか。そんなこと、誰も教えてもらっていませんよね。勤務先にも、聞きにくいでしょう。

記事には、勤務先・上司に退職・転職をどのように伝えるかという礼儀作法と、必要な書類も書かれています。離職票、雇用保険被保険者証、源泉徴収票、年金手帳などです。
日経新聞は、役に立つことを教えてくれますね。

朝日新聞「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」

朝日新聞ニュースレター「アナザーノート」で、取り上げられました。「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で 」(10月11日配信。秋山訓子編集委員執筆)。
・・・発足したての菅政権についての多くのニュースが新聞を埋めていた9月19日、紙面の片隅にひっそりと小さな記事が載った。
福島復興再生総局事務局長の岡本全勝氏(65)が退任――。2011年以来9年半、東日本大震災の復興に取り組んできた末のことだった・・・ 

私と大震災復興の始まり、復興でのNPOとの出会いと協働などが書かれています。帽子の話は、本論と関係ないと思うのですが(苦笑)。記事の最後は、次のように締めくくられています。

・・・2015年、岡本氏は復興庁の次官となる。退任後は福島復興再生総局の事務局長に就任した。原発事故からの復興という前例のない難しい仕事で、政府と与党、地元の調整役を担った。
「復興の仕事に一発回答はない。とにかく少しずつ、今回はここまで、というのを水面下で瀬踏みしながら繰り返してきた」
週の半分は2泊3日で福島に通った。何度も何度も足を運び、根気強くていねいに交渉や説明を繰り返した。「震災発生直後からずっと復興に関わってきた岡本がやってここまでなら、しゃあない、と思われるのが理想だった」

そうやって10年近くがたった。
「退任が報じられると、多くの人から、『今やめるなんて』とおしかりを受けた。全部が全部、皆さんの期待に応えられなかったけれども、長年公務員として働いてきた自分だからこそできたことがあったのではないかと思います」
「政」と向き合い、時に翻弄された「官」の人生は、終盤に「民」と出会ってさらに豊かに深くなった。
岡本さん、おつかれさまでした。・・・

ありがとうございます。これだけ仕事ができたのは、関係者の理解のおかげです。1週間後に、朝日新聞のウエッブサイトにも載るそうです。

肝冷斎復活か

2週間近くも無断休載していた「肝冷斎日録」が、復活したようです。今回は、パソコンの不調でなく、庵主の事情のようです。野外調査も野球観戦も、していなかったと思われます。
再開第一号は、滅んだものを偲ぶという趣旨のものです。このような心境なのでしょうか。いずれにしろ、よかったです。

理想とする国、なりたくない国

10月4日の読売新聞、岩井克人先生の「米中、いまや反理想郷の国」から。

・・・米中対立の時代です。私はコロナ禍を通じて歴史的と言える意識の変化が起きていると見ます。
まず米ソ対立の20世紀を振り返ります。1917年のロシア革命を経て社会主義・全体主義のソ連が出現した。一方で米国は第2次大戦後、資本主義・自由主義陣営の盟主に。米ソは冷戦に突入し、二つのイデオロギー、二つの政治経済体制が優劣を競い合った。米ソは共に人間の可能性を希求する国家でした。二つの希望の星でもあった。20世紀は二つのユートピア(理想郷)の争いでした。

89年にベルリンの壁が崩壊し、91年にソ連が解体して、社会主義は敗北します。米国の政治哲学者フランシス・フクヤマ氏は有名な著書「歴史の終わり」でイデオロギーの争いとしての歴史は終わり、世界は自由民主主義体制に収束すると予想したものです。冷戦後、米国流の市場任せの資本主義が世界標準になり、日本もその圧力をかなり受けました・・・

・・・さて目下の米中対立です。中国は発展途上国にとり成長モデルを提示する希望の星でした。コロナ禍で当初は発生源として非難を浴びましたが、強権的な仕組みを発動して感染を抑え込むと成功物語の主人公になる。しかし混乱に乗じて地政学的拡張や香港の締め付けなどの動きをとるに及んで、ディストピア(反理想郷)と見られるようになりました。
一方の米国は疫病にかかりやすい群に属したことに加えて、対処を誤り、感染者数も死者数も世界最多になってしまった。しかもトランプ大統領の下で国が南北戦争時代のように分断されてしまいました。米国もディストピアとして見られるようになったのです。
私は1969年から81年まで米国に暮らしました。こうした米国の没落ぶりはショックです。
21世紀は二つのディストピアの争いになりつつあるのです・・・