南相馬市で復興の協議

今日11月18日は、南相馬市で「復興・再生に向けた協議」の場に出席しました。
市の南側、3分の1を占める小高区の避難指示が解除されてから3年あまり。関係者の努力のおかげで、住民も賑わいも戻りつつあります。しかし、まだ大震災の前の状態には戻っていません。「市の資料p9

他方で、戻らないと決めている人もいます。住民の帰還を進めるだけでは、賑わいは戻りません。また、戻った人も高齢者が多く、若い人に住んでもらうことが課題です。

政府と県は、官民合同チームによる産業再開と、イノベーションコースト構想で、これまでにない、またほかの地域ではないような支援を続けています。それらに加えて、今後どのような対策を打つかが、次の課題になっています。

人は物語を求める、2

人は物語を求める」の続きです。
人は、ある出来事を見て、物語やいきさつの中に置いて理解しようとします。それだけでなく、自分にとってどのような意味があるかを考えます。

病気も医学で説明がつき、事故も因果関係によって説明できます。しかし、その説明に納得しながらも、人はそれだけでは納得しできないのです。
「なぜ私だけが、このような病気になるのか(他の人は健康なのに」「なぜ、あの人が事故に遭うのか(他の人は無事だったのに」。そこには、医学や事故の因果関係による説明だけでなく、「何か意味ある説明」が欲しいのです。
因果関係による説明を「理解」できても、意味ある理由付けをしないと「納得」できないのです。

そしてその際には、偏向が働きます。「自分は優れている」「自分だけは特別だ」と思いたいのです。
子供が、ヒーローに憧れ、自分をそのヒーローと思い込んで、わくわくします。子供だけでなく、大人も人事評価の際に、自分のことを5割増しに、他人のことは3割引で評価するという傾向があります。そうです、人は自分を中心に物事を考えるのです。
他人が病気になると「かわいそうに。どこかで病気をもらったか」と同情しつつも、他人事です。しかし、自分が同じ病気にかかると、「なぜ私が病気になるのか」と落ち込み、その理由を探そうとします。そして病原菌が原因とわかっても、納得できません。
「何か悪いことをしたかな」さらには「前世で悪いことをしたか」とまで悩みます。

他人がずるをしていることに対して、腹が立つことも同様です。「私はこんなに正直に努力しているのに。あいつはずるをして、うまくやっている」。
すると、ずるをしている人に対して、厳しく当たることになります。その人に罰が当たると、喝采します。週刊誌が売れる、スマホで悪口が拡散するのも、この性質によるのでしょう。

このような、物語を作る、自分を中心に考える、何か「原因」(因果応報の説明)がないと納得しないことは、サルから進化する過程で脳が身につけたものなのでしょう。

職員が仕事に頑張っている、けど

後輩職員と話をしていて、思うことがあります。
本人が「××の件で頑張っています。こんな成果を上げました」と報告してくれます。良くやっていることは、私もうれしいです。「よかったね。さらに頑張ってね」と応援します。

ところが、何か変だなと思うことがあります。確かに彼や彼女は良くやっていて、成果を出しているのですが。「その仕事って、能力あるあんたが頑張るような内容かね」と思うことがあるのです。
「そんな仕事は、適当に片付けるか、暇な人に任せて。あんたは、もっと重要な仕事をした方が良いよ」と助言したいです。でも、与えられた仕事を一生懸命やっている彼に、そのようなことを言うのは残酷です。そして、それは彼の責任ではないのです。

問題は、有能な職員にさほど重要でもない仕事をさせている、上司にあります。
職員は、与えられた仕事をきちんとやらないと、評価が低くなります。もし彼が勇気と説得力があるなら、上司に対して「この仕事は止めましょうよ」と意見するでしょう。しかし、多くの職員はそんな勇気はないでしょう。ある仕事を止めるとか手を抜くことの判断ができるのは、上司です。

私が若い頃、ある先輩が「この仕事はさほど重要でないので、私の代で止めましょう」と、上司に意見したことがありました。その話を聞いて、びっくりしました。
当時駆け出しの私は、与えられた仕事はきちんとするもの、前任者より丁寧にやることと考えていました。そして、私が担当している仕事は「重要なのだ」とも。
しかし、先輩の話を聞いてなるほどと思い、私もそのような立場になったら、同じようにしようと肝に銘じました。また、止められない仕事でも、どうしたら手を抜くことができるかを、常に考えていました。早く片付けて、帰りたいですよね。

上司になったときは、部下に「その仕事はもっと手を抜けないのか」と質問するようにしました。
あなたも、前年通りの仕事をする際に一度立ち止まって、それが重要か、もう止めても良いかを考えてみてください。その際に、上司に言わずに1人で手を抜いたら、減点の評価をもらいますよ。気をつけてください。

人は物語を求める

千野帽子著『人はなぜ物語を求めるのか』(2017年、ちくまプリマー新書)を読みました。この新書は中学生向けのようですが、この本はなかなか難しい内容です。

人はある出来事を見て、その事実を理解するだけではなく、なぜそうなったか、あるいはそれはどういうことか、その背景や前後を「想像」して、物語の中に位置づけます。著者の説明は本を読んでいただくとして、読みながら考えたことを整理しておきます。

どうやら人間は、ある出来事について、「その意味」を明らかにしたいようです。そして、「その意味」とは、自然科学的な因果関係だけではありません。また、自然現象でない社会の現象でも、「過去にもこうだった」と物語の中に位置づけ、その先を予測します。

そして、そのような物語やいきさつだけでなく、自分にとってどのような意味があるかを考えます。というか、そのような意味づけをしないと、納得できないのです。
天気は自然現象ですから、季節、気温、大気の動きなどで決まります。気象衛星とアメダスが示すとおりです。
しかし、晴れ男と雨女がいるように、晴れたときは「ぼくは晴れ男だ」と自慢し、雨の時は「この中に誰か雨男がいるだろう」と責任を転嫁します。遠足の日に晴れると、「日頃の行いが良いからだ」と意味をつけます。
血液型による性格の当てはめも、そうでしょう。「あの人はA型だから、几帳面だ」と。科学的には根拠がないと分かっていても、そのように「理解」するのです。
この項続く。

生まれた赤ちゃんに椅子を送る、君の椅子

「君の椅子」って、ご存じですか。
企画のホームページ」には、次のように紹介されています。
・・・子どもたちに「生まれてくれてありがとう」の思いを込めて居場所の象徴としての「椅子」を贈る取り組みです。
「君の椅子」はデザイナーが心をこめて描いたデザインをもとに、北海道が誇る家具製作技術でつくられたオリジナルの手づくり椅子です。
デザインは毎年変わり、座面の裏に名前や生年月日、プロジェクトロゴや一連番号が刻印された“世界に一つだけの椅子”です・・・

14日に札幌に講演に行った際に、展示場を見に行ってきました。発案された磯田代表のお話も、聞くことができました。
かわいい赤ちゃん用の椅子が並んでいます。毎年デザインが変わるので、それぞれ違います。著名なデザイナーと技術ある職人さんが作っただけあって、素敵な椅子が並んでいます。
2006年から始まったので、最初にもらった子供は、既に中学生になっています。

この企画は、市町村単位で参加します。福島県では葛尾村が参加しています。
また、2011年3月11日の大震災の際に、被災地で生まれた子供たちに、椅子を送ることもしてくださいました。市町村役場の協力を得て該当する子供さんを調べ、申し込みのあった97人に送ったそうです。「希望の君の椅子
個人も申し込むことができます。私も知っていたら、孫に1つお願いしたのですが。もう遅いですね。