若者の夢と不安、その処方箋

学生からの相談に、夢と不安があります。
「どうしたら夢を実現できますか」とか「どれを選んだら良いかわかりません」といった悩みとともに、「将来に不安があります」という悩みです。
夢は将来のことであり、未確定ですから、常に不安と隣り合わせです。
他方で、高齢者が人生を振り返ると、過ぎ去ったことは終わったことですから、不安はありません。ただし、満足できる良い思い出とともに、後悔もあります。

では、どうすれば、不安を少なくして、後悔を少なくすることができるか。
それは、「努力」と「相談」だと思います。
だれでも、将来どのようになるのか、不安です。しかし、悩んだところで、その不安は少なくなりません。悩むと、不安は大きくなります。

努力することで、不安が少なくなります。そして、もし夢が実現しなくても、「私は全力を尽くした」と思うことで、後悔しなくてすみます。
他方で、方向違いの努力をしていても、夢は実現しません。独りよがりでは、成功する確率は少ないです。相談できる友達や先輩を持つことが、間違ったことをしない処方箋です。

遅い日本企業の意思決定

11月5日の日経新聞女性欄「挑戦の環境 中国系企業で」から。
・・・「いいんじゃない、やってみて」。通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)日本法人で働く秋山千早子さん(39)は企業向け製品プロモーションのイベント企画・運営を手掛ける。今春、1000万円規模のイベントを提案。その場で上司のゴーサインが出た。中国系企業の特長は「やる、やらないの決断がとても速い」ことだという。

「誰にどういった決定権があるのかが明確」で、日本企業のように役職が下の人から上の人へ順番に許可を取るとか、会議で全体が同意する雰囲気に持っていく必要はない。「中国の人は合理的。前例を気にしないうえ、資料の体裁や許可を取る際の気配りよりも結果を重視する」・・・

連帯責任の負の効果

10月31日の朝日新聞オピニオン欄「連帯責任を考える」から。

為末大さん(元陸上選手)
・・・個人の時間に個人が起こした問題も集団の問題だというなら、個人の時間にも組織が介入してくる構造になります。「チームや組織が大きくなれば、いろんなひとがいて問題も起きるよね」と一歩引いて考えてみるべきではないでしょうか。
実際、スポーツ界もそういう方向に変わりつつあるとは感じています。変化の理由のひとつは、選手がスポーツの外の世界に触れ、海外スポーツの状況を知ったこと。ソーシャルメディアの存在も大きい。当たり前だと思っていたことが、そうではないと気づいたのです。
ひとつの組織に帰属していた時代に連帯責任は機能しました。しかし、これから肩書が複数になったり、利益相反の関係が複雑になったり、組織の連帯も弱くなっていく時代です。そういう意味では今後、連帯責任を問うことは難しくなっていくと思います・・・

菊澤研宗さん(慶応義塾大学教授)
・・・企業経営の現場、働く現場も連帯責任と無縁ではありません。それがどんな効果を生むのか。制度論的に考えると問題が起こる前と後とで、がらりと様相が変わる点が特徴的です。
うまくいっている時は、各自が他人に迷惑をかけないように努力します。相互に点検し、協力し合って失敗を減らすので、効率はよくなる。そうした点は、この制度のプラス面と言えるでしょう。
でも、もしだれかがミスをすれば、全員が罰を受ける。失敗していない仲間にも被害が及び、組織は危機に陥ります。それを回避するため、組織的な隠蔽が発生します。そうなると、連帯責任はあしき制度になりさがる。
なぜそうなるのか。メンバーが機械のように損得を計算するからです。ミスを公表して全員が罰せられるよりも、隠蔽した方が計算上は得だからです。自分を取り巻く外部の状況を考慮し、損得に基づく行動は自分以外に原因があるので他律的と呼ばれます。こんな集団に、みなで責任を負う仕組みを持ち込むと、危険だということです・・・

・・・連帯責任は日本的な仕組みかもしれないですね。個人主義的な欧米から見れば、異質に映るでしょう。政治学的視点に立てば、連帯責任は個人を否定し、全体主義的なので「悪」に見えるかもしれません。でも悪い面ばかりではないからこそ淘汰されずに残っているのだと思います・・・

女性社長の失敗と失敗と成功2

女性社長の失敗と失敗と成功」の続きです。

で、第2の黒です(11月2日)。
・・・帰宅は毎日終電、週末も出勤という広告会社で取締役をしていた岩崎裕美子さん。「残業をやめて売り上げが落ちたらどうするんだ」という社長の一言に愛想を尽かして退職し、2005年に化粧品会社ランクアップを設立した。
こんどは子育て中の人も活躍できる会社にしたいと、残業を極力しない働き方に心を砕いた。でも、広報部の近藤良美さんは、5年ほど前までの会社の雰囲気を「あれは暗黒時代でした」と振り返る。

とにかく、社長の岩崎さんが一から十まで決めたがる会社だった。社員が作成した会員向け冊子は、細かく変更を求めた。文章から文字の色、フォント、「!」マークの数まで。会員向けに企画したイベントを岩崎さんが土壇場でひっくり返すこともあった。
社員たちは休憩室で顔を合わせては、愚痴をこぼしあった。それを岩崎さんも感じていた。「休憩室の存在が恐怖だった。みんながあそこで私の批判をしているんだろうなって」

12年、社員に行った満足度調査の結果を見て、岩崎さんは言葉を失った。
「意思決定に従業員を参画させている」と答えた社員は11%、「仕事に行くことを楽しみにしている」は0%だった。
一致団結するには運動会だ、と言い出してみたが、社員の反応は冷たかった。
そんなとき、2泊3日の社員合宿があった。岩崎さんが不在のなか、最終日の話し合いのテーマは「会社のために自分たちができること」。ついに社員たちの不満が爆発した。
「この会社で働く目的がわからない」
「認められていないから貢献なんてできない」
合宿に参加していた講師は、会社にいた岩崎さんを呼んだ。そこで、あらためて社員たちの気持ちを思い知らされた。

ほどほどの給料と休みやすい職場があれば、社員は幸せだと思っていた。社員の給料を自分が稼がなくちゃという思いが強すぎた。残業もないが、やりがいもない。そんな会社になっていた。経営者失格だ。変わるべきは私だった・・・

さて、この会社がどう変わったか、いえ社長がどう変わったか。それが「黒、黒のち白」の白です。
そこは、続きをお読みください

社会史と政治史、喜安朗・川北稔著『大都会の誕生 ロンドンとパリの社会史』

喜安朗・川北稔著『大都会の誕生 ロンドンとパリの社会史』(2018年、ちくま学芸文庫)を面白く読みました。
川北稔先生が18、19世紀のロンドンのにぎわいを、喜安朗先生が19世紀のパリの民衆運動を書かれたものです。原本は1986年に出版されています。

産業革命後、国内各地から、若者がロンドンを目指して上京してきます。働き口があるだろうと考え、そして都市の魅力を求めてです。
実際には、低賃金で雇われ、スラム街が成立します。しかし、食べていけますし、働くこととチャンスをつかむことで上昇することも可能です。ただし、続く新来者で、スラムは持続します。そこでの働き場は、産業革命で想像するような工業ではありません。縫製など身の回りのものの製造や作業です。
ロンドンは工業都市ではなく、消費都市です。金融機能は世界一になりますが。

つくづく、経済活動では、中心と周辺が常に成り立つのだと、思いました(世界システム論、ウォーラステイン)。
国際的にも国内でも、貧しい地域が努力すれば、いずれは先進地域に近づくと、かつては考えられました。そして世界では、日本を筆頭にいくつかの国は成功しました。しかし、国内でも世界でも、いくつかの成功事例を除いて、貧しい地域は成長はしますが、豊かな地域には追いつくことはできません。格差は続くのです。
そして、イギリスとロンドンの事例は、工業化がすべての理由ではないことを示します。工場の立地した地域より、その富を使う消費都市の方が、豊かで魅力ある都市になるのです。

読みやすい文庫本ですが、多くのことを考えさせる本です。パリについては、次回書きます