略歴等

 

 

石舞台古墳
(この隣に小学校がありました)
(画像提供・明日香村教育委員会

 

略歴
昭和30年1月1日 奈良県高市郡高市村生まれ(現・明日香村)
昭和48年 奈良女子大学文学部附属高校卒
昭和53年 東京大学法学部卒、自治省採用
徳島県財政課、自治省財政課、鹿児島県財政課長、自治大学校教授、自治省交付税課課長補佐などを経て、
平成4年 自治大臣(村田敬次郎・自民党、佐藤観樹・社会党)秘書官
平成6年 富山県総務部長
平成10年 内閣・省庁改革本部参事官
平成13年 総務省自治財政局交付税課長
平成16年 総務省大臣官房総務課長
平成18年 内閣府大臣官房審議官(経済社会システム担当)、内閣官房内閣審議官(再チャレンジ室長)併任
平成20年 総務省大臣官房審議官(財政制度、財務担当)
平成20年 内閣総理大臣秘書官(麻生太郎内閣総理大臣)
平成21年 総務省消防庁消防大学校長
平成22年 総務省自治大学校長
平成23年 内閣府東日本大震災被災者生活支援本部事務局次長
以後9年半にわたり復興に従事
平成23年 内閣府東日本大震災復興対策本部事務局次長
平成24年 復興庁統括官
平成27年 復興庁事務次官
平成28年 内閣官房参与福島復興再生総局事務局長
令和2年 内閣官房参与、福島復興再生総局事務局長退任。復興庁顧問を経て退任
令和3年 市町村職員中央研修所学長

平成14・15年度 東京大学教授(大学院総合文化研究科)併任
平成17・18年度 一橋大学公共政策大学院で「現代行財政論」を講義
平成19・20年度 慶應義塾大学法学部講師兼務
平成22年度  日本大学法学部大学院講師、慶應義塾大学法学部講師兼務
平成29・30年度 慶應義塾大学法学部講師

(呼び名)
名前は、「まさかつ」が本名です。でも、世間では「ぜんしょう」で通っています。高校以来ですから、ほとんどの人は、それが本名だと思っておられます。
「官邸の怪人」「霞が関の治外法権」というあだ名の由来については、「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」(2020年10月11日朝日新聞ウエッブサイト)をご覧ください。被災者生活支援本部では、何でも引き受けるので「ブラックホール」とか「スーパーゴミ箱」とも呼ばれました。長く復興に従事したので「ミスター復興」とも、呼んでもらっています。
体験談」のページへ。笛吹中年(トップページの絵)について。

岡本行夫さん、希望の狼煙

岡本行夫さんが、キャノンの研究機関『キャノングローバル戦略研究所」のホームページに、「日本人の復興力」を書いておられます。希望の狼煙プロジェクトです。
私は当時(2011年夏)、被災者支援本部から復興本部に勤務していました。この試みを聞いたとき、目から鱗が落ちるというか、行夫先輩のアイデアと実行力に脱帽しました。
その後も、いろいろとご指導いただいています。行夫さんは、1991年の湾岸戦争時の、外務省北米一課長時の対応が有名です。若い人はご存じないでしょうか。手嶋龍一著「一九九一年日本の敗北」(1993年新潮社)、「外交敗戦―130億ドルは砂に消えた」(2006年、新潮文庫に再録)をお読みください。

日常? 原稿の奴隷

非日常的な時間はそうしばしばないからこそ、非日常です。残りの時間は、いつものように過ぎます。すなわち、毎日、職場では仕事に追われ、家では原稿に追われています。
連載「明るい公務員講座」は、1か月分の原稿を出版社に渡してあるので、順次返ってくるゲラを校正すればすみます。とはいえ、その次の分を書かなければなりません。
3月に共著で出す予定の本は、11月中旬が締めきりと、編集者から督促されています。今日も家にこもって、ほぼ書き上げました。これから、関係者に目を通してもらい、完成させる必要があります。
このほか、年内に2か所で講演を引き受けているので、これもしゃべる内容と資料を考える必要があります。
夜は異業種交流会が続き、このあとは、年賀状という苦行難行が待ち受けています。

自衛隊音楽祭り

今日は、自衛隊音楽祭りに、武道館へ。ご存じの方も多いでしょう。大変な迫力、かつ一糸乱れぬ展開は、感動します。耳で音を聞き、眼でドリルを見て、体で太鼓の音を感じます。2時間があっという間でした。自衛隊の歌姫も、陸海空3自衛隊にそれぞれおられるのですね。昨年の演奏・演技を、映像で見ることができます。(平成26年度映像写真)。

インドネシア政府幹部への説明

昨日11月12日には、インドネシアの防災庁幹部など国と地方の復興関係者の訪問を受け、日本の復興についてお話をしました。インドネシアも、大きな津波にしばしば襲われています。
事前に資料を用意し、インドネシア語に翻訳しておきました。通訳を介してですので、あまり細かいことを伝えることは難しいです。そこで今回も、写真を多用し、解説もわかりやすいことを心掛けました。英語と違い、通訳者が通訳しているのを横で聞いていても、どこまで話が進んだかまったくわかりませんでした。