カテゴリー別アーカイブ: 体験談

生き様-体験談

しんにょう

今年も、年賀状書きにあえいでいます。皆さんは、もうお済みですか。
1枚1枚は大した作業ではないのですが、枚数が多くなると、根性が続きません。

また、子どもの時に習字を習わなかったので、きれいな字が書けません。これではいけないと、就職してから少しペン習字をやりました。教えてもらうと、きれいに書くコツがわかります。とはいえ、まっすぐな線がまっすぐに書けず、字はバランスよく書けません。画数の少ない文字が、難しいですね。

特にうまく書けないのが、しんにょうです。「進」などの、左側から下にかけてです。
インターネットで「ペン習字 しんにょう」と調べたら、上手な書き方が出ていました。多くの初心者にとって、難しいのだそうです。なるほど、こう書くのか。

卒業記念の寄せ書き

11月30日の退任の際、職員たちが見送ってくれたのですが、記念にと、手提げ袋も一つもらいました。家に帰って、開けてびっくり玉手箱です。30センチ四方ほどの色紙が、たくさん入っていました。それぞれの色紙に、5センチほどの卵形の紙がたくさん並んでいて、その卵形の一つひとつが、各人の寄せ書きなのです。

1 その数305名です。よくまあ、これだけ多くの人から集めてくれましたね。
2 現在復興庁に勤めている職員もいますが、ほとんどが、かつて一緒に働いた人たちです。各省から来ていた職員、民間から来てくれていた職員、自治体職員のほか、国会議員、知事、市町村長もおられます。地方や海外からも。失礼ながら忘れていて「そういえば、この人もいたなあ」と思い出す人も、たくさんおられます。9年間の仕事でしたから。
3 作成してくれた職員に聞くと、インターネット上に「ヨセッティ」なる寄せ書きサービスがあり、それを使ったとのことです。これをメールで関係者に送りました。あわせて、「前任者などにも転送をお願いします」として「拡散」したのだそうです。
なるほど、それで遠く地方や海外の人まで参加できたのですね。寄せ書きが自筆だけでなく、活字のものが多かったのは、スマートフォンなどから返信してくださったからでしょう。
4 その後、初期の頃に復興庁に在席し、今は霞が関を離れている人に会ったので、「あんたも書いてくれたんだね」と話しました。「いや~、霞が関界隈では、この連絡メールが飛び交っていたのではありませんか」と笑っていました。

これだけの数になると、読むだけでも大変です。そして、書かれた言葉とその方と一緒に働いた頃を思い出して、なかなか読み終わりません。
ありがとうございます。

復興庁顧問退任

11月30日で、復興庁顧問を退任しました。9月半ばに、内閣官房参与、福島復興再生総局事務局長を退任し、顧問として残務整理をしていました。それにめどがついたので、退任を認めてもらいました。「執務室の片付け
役所の組織は、一人が欠けても動くようにできています。私がいなくなっても、復興政策は進みます。ただし、住民や関係者に迷惑がかからないように、円滑に業務を引き継ぐこと、業務が進むように筋道を立てておくことが、去る者の責務です。

大震災対応に従事してから、9年8か月です。また、42年半の公務員生活から卒業しました。常勤職員から非常勤職員へと、徐々に「足抜け」を進めていたのですが、やはりいささかの感慨がわいてきます。先輩たちも、それぞれに感じたことでしょうが。

まずは、健康で勤められたことを、感謝しなければなりません。また、支え導いてくださった皆さんにも、感謝しなければなりません。
そして、珍しい仕事をいくつも担当させてもらったことも、神様に感謝しなければなりません。ある人は、「50年に一度の、運の良い官僚だね」と言ってくださいました。続けて「それは、50年に一度の運の悪い官僚と言うことだけど」とも(苦笑)。それぞれの仕事で、社会の役に立てたならうれしいです。

その時々の官僚の「生態」や考えたことは、このホームページで書き連ねてきました。書いた内容は、今となっては、ほとんど覚えていないのですが。
40年間の振り返りは、おいおい整理したいと思います。ところがその前に、締めきりが迫っている連載原稿や、その他の原稿があって、当分無理ですわ。

近況報告、復興関与の仕上げ

9月に内閣官房参与と福島復興再生総局事務局長を退任し、復興庁顧問として仕掛品の片付けや、現地視察を行っています。残っている課題を、首長さんたちと再確認したり、関係者に引き継いでいます。

特に津波被災地では、インフラ復旧はほぼ終わりました。現地を訪問した際には、首長さんたちと、9年前を思い出し、この9年間を振り返って、「あのときは、どこから手をつけるかわからず、がれき片付けに何年かかるか途方に暮れました」「あんなこともありましたね」「よくここまで来ました」など、一緒に感慨にふけっています。
首長さんからは「あの時、全勝さんから、助言をもらいました」「原案がダメなときに、代案を考えてもらいました」「行政ではできないことを、別の分野の人を紹介してもらいました」など、お礼を言ってもらいました。私は、ほとんど忘れていたのですが。

大震災を経験し、復興を指揮した市町村長さんたちは、皆さん良いお顔をしておられます。あの大被害を経験し、住民の時に理不尽な声にも応え、今の町を作り上げました。皆さん自信をつけ、次の課題に取り組んでおられます。主要な課題は、産業振興と人口減少対策、特に若い人に戻ってきてもらうことです。
原発被災地では、そうは行きません。まだまだ、復興途上です。しかも、放射線が相手なので、私たちの努力ではできないことも多いのです。

また、9年間の総括も始めています。その時々に考えたことを、講演会で話し、取材に答え、このホームページや雑誌、本に書き留めて残すようにしました。しかし、改めて、9年を振り返ることも必要です。マスコミや学者の方からも、そのような観点からの取材が増えています。質問の中には、私の忘れていた論点、考えていなかった視点のものもあり、勉強になります。

近況報告、執務室の片付け

復興庁の執務室の片付けを進めています。書類とパソコンの中と私物です。

執務関係の書類で、私だけが持っているものは、基本的にはありません。職員と共有するようにしていたからです。私が頭の整理につくった文書のようなものもありますが、その都度、関係者に配っていました。
参考のために取ってあった資料などが、問題です。問い合わせがあったり、自分でも「あの時の資料は」と取り出すために、保存してあったものがあります。公文書とは言えないものですが、思い出す際に必要なのです。復興関係の新聞切り抜きなどもあります。
整理を始めると、「こんな資料もあったな」というのが出てきます。忘れていて何の支障もなかったのですから、なくても良いものです。最低限のものに絞って、残すことにしました。

次に、パソコンの中です。電子メールのやりとりは、最近のものを残して、削除しました。たいがいの人には「このメールアドレスはしばらくしたら使えなくなるので、今後必要なときは、私の自宅パソコンに送ってください」と伝えてあるので、これも大丈夫です。
資料が大変です。約10年間使ったパソコンなので、執務参考資料、講演資料などが大量にたまっています。それぞれに分類し年度ごとにファイルに入れてあるので、その中を見て削除しました。これも、思い出を捨てているようなものです。執務外の講演資料や原稿は自宅のパソコンに保管してあるので、これは作業の必要なし。

私物にはいろんなものがあります。大震災関係で買った本、いただいた本などは、職場に寄付しました。
壁に掛けていた絵、机や棚に飾ってあった小物類は、持ち帰ります。肝冷斎が描いてくれた絵など。その時々に、さまざまないわれで集まった物がたまっています。他人が見たら、ガラクタと思えるようなものですが、なかなか捨てがたいのですよね。

仕事そのものは(被災者生活支援チーム時代を含めて)、復興庁のホームページに残すようにしてあります。後世に引き継ぐことと、評価を受けるためです。私自身も取材に応じたり、本を書いたりして(さらにこのホームページに書いて)、広く理解してもらい、残るように心がけました。その点では、基本的な情報は残しました。
その周辺の私物を片付けることは、10年分の、いくつかはもっと昔からの思い出を整理する作業でした。