アカデミズムとジャーナリズムの関係

昨日紹介した月刊『ジャーナリズム』2014年9月号「特集 時代を読み解く珠玉の200冊」のp25、田所昌幸・慶應大学教授の文章から。
・・そのアカデミズムとジャーナリズムは、お互いにあまり好意を持っているとはいえないのが実情ではないか。しばしば気づくのは、ジャーナリズムの世界では「学者」というのは褒め言葉というわけでななく、「観念的」とか「非現実的」とかいうことの代名詞として通用しているように見えることだ。また、大学で教えているというだけで、なぜか妙に敵対的な態度をとるジャーナリストに遭遇することもある。それにしては退職して大学の教員になっているジャーナリストが多いのは不思議なことだが。
確かにアカデミズムでは、何らかの主張をするための知的な手続きが厳格で、結論を出すまでの手順に慎重を期さねばならないのは事実である。それで歯切れが悪いとか、ハッキリしないとかいう反応が多くなる。
逆に、アカデミズムの側の人間には、ジャーナリストはいつも結論を性急に出そうとするとか、ありきたりの枠組みでいつも同じような言説を発しているという思いがある・・もっとも、見下している割には、テレビや新聞に登場できると、うれしくなるアカデミックが多いのも、お互いさまというべきだろう・・

経団連による復興政策の評価

10月10日に、日本経団連が、与党の政策(実績と課題)の評価をしました(主要政党の政策評価)。その項目の第1番目が「震災復興の加速」で、実績は次のように評価されています。
「復興関連予算の迅速かつ柔軟な執行により、被災地の早期復興に向けて着実に取り組んでいる」
ありがとうごうざいます。このように高い評価をいただいて。私たちの仕事ぶりが、理解されているということです。
課題には、次の2つがあげられています。
・ 復興に向けた一層の取り組み
・ 人口減少・高齢化が進む中での新たな地域社会のモデルとしての「新しい東北」の展望の提示
ご指摘の通りです。さらに努力して参ります。

読書案内

月刊『ジャーナリズム』(朝日新聞社)2014年9月号は、「特集 時代を読み解く珠玉の200冊」です。紹介しようと思いつつ、読み終えてないので、放ってありました。いつものことです(反省)。
ジャーナリストや学者が選んだ、お薦めの本です。18人が10冊ずつ、6人が3冊ずつ選んでおられます。
専門家や先達の読書案内は、役に立ちます。本屋で手に取った時に、「まあいいか」と思った本でも、紹介文によって、「この本は、こう読むのか」と、参考になります。既に読んだ本は、「私も読みましたよ」と満足し、買ってあったけど読んでない本も、読もうという気にさせてくれます。
そして読みたくなった本は、紀伊國屋に買いに行ったり、アマゾンで中古の本を注文しては、読み切れずにたまっていくのです・・。
ところで一つ注文を。本の紹介にする際に、著者名、書名、出版元とともに、発行年は重要な要素だと思うのですが。この冊子では、それぞれの本の紹介に、その出版年が添えられていないのです。

気が小さい上司の悩み

仕事での悩みを一つ、吐露します。職員に仕事を頼むときです。
簡単な事案や、担当がはっきりしている場合は、問題ありません。悩むのは、ややこしい案件で、担当者がはっきりしない場合です。自分で片付けることができる案件なら、自分でやってしまいます。その方が早いですから。また、全く担当者がいない事案の場合は、数人の「何でも屋」を決めてあるので、彼らに頼みます。
困るのは、複数の担当者にかかわるけど、決め手がない場合です。何人かの顔を浮かべて、誰に頼もうかと、しばらく思案します。たいがいは、内容との関係度より、引き受けてくれそうかどうかで、選んでしまいます。
その職員を呼んで、「この案件は、難しいのよ。あんたの担当と違うと思うけど、やってくれる?」と言ったとき、「わかりました、やってみます」と言ってくれる職員には、本当に感謝します。今日のS君、先日のO君ありがとう。
若い時から、この方法でやってきました。しかし、若い課長の時に、いつも引き受けてくれている係長から、「いつも私ばかりですか」と、まじめに抗議されたことがあります。このときは、まいりました。確かに、この方法は正しい仕事術ではありませんね。
でも、「それは私の担当ではありません」という返事が、間違いなく返ってくる職員に頼んでも、ムダです。こちらも気分が悪くなります。私は気が小さいので、「いやです」と面と向かって言われると、心臓が凍ってしまいます。「いつも、好きなように仕事を命じているではありませんか」という、陰の声が聞こえてきそうですが、本当です。
また、頼まれたときに、私から「それは私の担当ではありません」とも、言うことができません。それで、何でも引き受けてしまいます。かつて、ある大臣から、「何でも吸い込むブラックホール全勝」というあだ名をもらいました。それを聞いたある職員は、「あれは、ゴミ箱だと言われているんでっせ」と、笑いましたが(本業の様子3)。
もちろん、部下からの依頼も、断ることができません。たいがい、彼らは困って、私に相談に(頼みに)来ているのですから。私でできることなら、頭を下げに行くくらいは、安いものです。
職場では上司に従い、仕事では部下に従い、家ではキョーコさんに従う。男は三界に家なし。
原典(本歌)はもちろん、「女三界に家なし」ですが、これって、現代では通じない(許されない)表現ですよね。でも、妻が夫に従っていたら、こんな説教は必要なかったのでしょう。実際は夫が妻に従っていて、願望を述べたのがこのような表現だと、私は理解しています。「我が家は違います」という方がおられたら、一度話を聞かせてください。

支援者と被災者をつなぐコーディネーター

藤沢烈さんが主宰している「RCF復興支援チーム」が、3周年を迎えたそうです。この団体の活動内容は、烈さんのブログを読んでいただくとして。
私が理解した範囲で解説すると、支援をしたい側(企業、NPO、個人など)と支援を求めている被災側(行政、企業、地域など)をつなぐコーディネーターです。
支援分野(相手先)は、コミュニティ、企業、自治体です。そして支援内容(手法)は、人(専門家)、ノウハウ、資金です。その仲立ちをするのです。
東京の企業が、被災地の中小企業を支援する場合を考えてください。支援する側は、何を誰に支援してよいかわからない。支援を希望する側は、誰に何を求めてよいかわからない。技術、販路、新製品開発などです。NPOが被災地を支援する場合も、どこの何を支援したら良いか、わかりません。この情報をつなぐということが、重要なのです。はやりの日本語では、マッチングと呼ばれています。
復興庁でも、自らそのような場を作っていますが(例えば「結いの場」「官民連携協議会」)、このような民間団体による活動もありがたいです(「ワーク・フォー・東北」は、復興庁と日本財団で立ち上げましたが、今年からは日本財団がやってくれています)。
新しい行政のかたちであり、一つのビジネスのかたちになるでしょう。
商品を並べて売る商売(商店やネット上で)がありますが、現段階での被災地支援は、並べるだけでは成り立ちません。単なる支援物資の提供と要求なら、それでもできるのですが。双方への助言をして、それぞれが何を用意し、何を求めているかを整理しないと、マッチングができないのです。そこに、難しさがあります。