責任者は何と戦うか。その2、周囲の評価

昨日の記事に、読者から便りがありました。
「私にとっては、抽象的ではありません。これまでにないことが起きていて、何が起きているか把握している人が一人もいない。ぼんやりとした推測を前提に、対策を講じていくしかありません・・
そして問題の原点は、責任者が不明確なことがあります。関係する組織がたくさんある、かつその組織の中での責任体制が不明確だと、責任者が曖昧になります。すると、責任者=歴史の法廷に立てる人は存在しなくなります・・」といった趣旨です。
具体の事案に直面した方には、わかりやすいと思います。後段、ご指摘の通りです。それについては、追々書いていきます。
まず、昨日の続きです。
危機が起きたとき、責任者が立ち向かわなければならない「敵」は、事態でした。そして、「対応の仕方によって、周囲の人・マスコミ・国民が、責任者を見る目が違ってくる」ことを指摘しました。
そうです、戦わなければならない第二の敵は、「周囲の評価」です(敵という表現は、象徴的に使っているので、ご理解ください。
事故の際の記者会見が重要なことは、ご承知の通りです。しかし、そのような「狭い広報活動」だけでなく、責任者がどのように事態を把握し、対応しているかを、マスコミや世間はどう見ているかが重要です。
その際には、「彼が精一杯やってこれだから、仕方ないね」といわれるのか、「やはり彼がやっているから、ダメだよね」といわれるかという、基礎にある信頼も重要な要素です。
次回は、読者のお便りに答える形で、意思決定過程、責任者、責任の所在について、解説しましょう。昨日今日と解説したのは、「外の敵」です。それよりやっかいなのが、「内なる敵」です。