カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

北岡伸一先生、戦後70年談話懇談会

朝日新聞5月30日オピニオン欄、北岡伸一先生のインタビュー「戦後70年談話」から。
・・・こういう立場(21世紀構想懇談会座長代理)に就くといろいろ批判を受けることがあります。安保法制懇では朝日新聞から何度もたたかれました。日本の安全保障を考える時、国際構造や周辺国との軍事バランス、関係国の対外認識や意思決定システムから出発しなければなりません。ところが朝日新聞は「憲法の解釈を変えていいのか」「政府の歯止めはどこにあるのか」と、国際情勢から説き起こさない報道ばかりでした。すれ違いが多く、残念でした。
今回の議論にも通じる話ですが、日本はかつてなぜ戦争に突き進み、現在はなぜ平和的に発展していると思いますか。それは憲法9条があるからではなく、世界の構造が変化し、その中における日本の位置が変わったからです。戦前の貧しい時代には「土地の膨張が国の発展につながる」という思い込みがあった・・・戦後の日本は自由な通商貿易に生きることを決意し、発展した。従って自由で安定した国際関係の維持こそ日本の生命線であり、そのための責任の分担や国際貢献が不可欠だと考えています・・・

民主主義という制度資本を支える、政治的成熟という関係資本

22日の読売新聞で、佐々木毅前東大学長が「中国反日デモ、政治的経験の質を問う」を書いておられました。
「・・同時にこの関係は日中を越えて世界の視線を浴び、世界のメディアの今後の継続的な監視対象となった。その結果、両国はとかく過去の歴史を材料にして現在や未来の日中関係を論ずるというこれまでのスタイルに代えて、現実を見据え、未来を展望した日中関係の可能な姿を責任を持って描かなければならない時代に入った。それは世界において適切な評価を受けるためには、両国政府は日中関係をより安定した関係に導く歴史的な責任を事実上負ったということである。」
いつもながら、鋭い指摘ですね。続いて、次のように書いておられます。
「その鍵を究極的に握るのは政治権力のあり方、政治参加のあり方である。」
「政治的な近代化とは大多数の人間が『現実』に自ら対面し、それなりの『現実』感覚を養い、その上で政治権力と向かい合うことを前提にしている。」
「政治的近代化は言われるほど容易なものではないし、一挙に実現可能なものではない。・・意識面や制度面での長い経験の蓄積なしには政治的近代化はその現実性を持ち得ない。それは政府と国民との一定の信頼関係を蓄積することによって初めて可能になる。」
そうですね。憲法や議会を輸入しただけでは、民主主義は根付きません。近代民主主義政治という制度資本が動くためには、関係資本や文化資本が必要なのです。それは努力と経験という蓄積から生まれます。
拙著「新地方自治入門」では、社会を成り立たせる社会資本として書きました(p199)。でも、こんな話って政治学の教科書には載っていないのですよね。

憲法第9条

5月13日朝日新聞「提言・日本の新戦略」、朝日新聞の提言「地球貢献国家を目指そう」に対する専門家の意見から。
問:憲法9条には戦前の軍国主義や侵略戦争への反省のメッセージもあります。
明石康さん:・・9条があろうとなかろうと、我々は歴史の重みを受け止め、反省すべきだ。9条がなければもっと歯止めがなくなるというのが朝日の心配なのだろう。
問:確かに心配です。
明石:ドイツは9条がないけれど、戦争への反省を行動で示している。わが国の政治家は9条があっても、戦争責任の問題で失言を繰り返している。これを見れば、9条が歯止めになっているとは言い難い。
北岡伸一教授:(朝日新聞は)世界中が9条を評価しているとも主張しているが、過大評価だと思う。戦力を持たないと言いながら自衛隊を持っていることで、不信を招いている面もあるのではないか。
問:9条は米国の過剰な要請をかわす役割を果たしている、との見方はどうですか。
北岡:(朝日は)政治が9条の役割を代替できるかは心もとないと主張している。ところが、中国との付き合い方を論じた別の提言では、政治や外交に強い説得力を求めている。提言は、分野によって政府を無力にしたり、万能にしたりしているように見える。

熟議できない議会、政党の機能変化

朝日新聞オピニオン欄4月1日、ピエール・ロザンヴァロン氏(フランスの大学教授、民主主義研究)のインタビュー「熟議できない議会。代表制民主主義に松葉杖が必要だ」から(すみません、1か月以上も前の記事です)。
「民主主義というと、すぐに選挙や議会のことを思い浮かべがちですが」という問に。
・・当時(フランス革命)のフランスは、すでに2500万の人口を擁する大国でした。だから実質的な理由で、代表制のシステムを採用した。大きな国では不可能な直接民主制を技術的に代替する仕組みとしてです。
ただ同時に、代表制の選択には、こんな考えもありました。人民自身は学がない、だから代表する者たちは、他の人と違ってすぐれた者たちでなければ―
代表制の中には、二つが入り交じっていました。つまり代表する者は、代表される者たちと同じようでなければならない、縮図であるべきだという同等の原則。それと、代表する者たちは教育があり賢くなければならない、いわば特別な人たちという貴族制的な意味を帯びた相違の原則。代表制の歴史は、この二つの間で揺れ続けました・・
「それでもそれなりに機能してきたはずですが、近年、うまくいかなくなっているようです」という問いかけに。
・・・政党が変わったのです。代表制は、政党が社会を代表する役割を担っているときはうまくいった。欧州だと、労働者の党、上流階級の党、商店主たちの党などがあり、人々はこれらの政党に代表されていると感じていました。
ところが、20年ほど前から、政党が社会を代表しなくなった。理由は二つ。まず社会がより複雑になって代表できなくなった。たとえば社会の個人化。階層や社会集団によって構成されているときは、代表制はより簡単でした。
それだけではない。政党が代表するのではなく、統治する機関になったからでもあります。
議会がその本質を変えてしまいました。歴史的には、熟議の場所、社会の声を聴かせる場所のはずでした。ところが今日、そこは政府への支持か反対かが演じられる場所になった。もはや大問題について議論する場所ではない。
政党と社会の関係が、逆転したかのようです。政党は今、政府に対して社会を代表するより、社会に対して政府を代表しています。与党は、社会に向かってどうして支持しなければならないかを説明し、野党はどうして批判しなければならないかを説明します。だから、社会には代表されていないという感覚が生まれました・・・
ごく一部を抜粋しました。原文をお読みください。

アジア人の日本像、太平洋戦争。司馬遼太郎さん

司馬遼太郎著『幕末維新のこと』(2015年、筑摩書房)「人間の魅力」p295~。
昭和初年から太平洋戦争の終了までの日本は、ながい日本史のなかで、過去とは不連続な、異端な時代だったこと。すなわち、統帥権の無限性と帷幄上奏権という憲法解釈が、日本国をほろぼしただけでなく、他国に対して深刻な罪禍のこしたことを述べて、次のように書いておられます。
・・・要は昭和の戦争の時代は日本ではなかった―幾分の苛立ちと理不尽さを込めて―私はそう感じ続けてきました。
もっとも、この考え方は他のアジア人には通じにくいですな。かれらにとって太平洋戦争の時代の日本が日本像のすべてで、兼好法師や世阿弥や宗祇の時代の日本や、芭蕉や蕪村、あるいは荻生徂徠の時代の日本、もしくは吉田松陰という青年が生死(いきしに)した時代の日本など思ってはくれません。くだって日露戦争の時代の日本像ぐらいを参考材料として日本を見てくれればありがたいのですが、他の国の人にそんな押しつけをするわけにはいきませんしね・・・