カテゴリー別アーカイブ: 官僚論

行政-官僚論

日本にはチームがない、個人主義が進んでいる

書評に誘われて、齋藤ウイリアム浩幸著『ザ・チーム』(2012年、日経BP社)を読みました。
著者は、1971年生まれの日系二世のアメリカの方です。14歳で、コンピュータの会社を立ち上げ、成功と失敗を繰り返し、生体認証暗号システムの開発に成功しました。近年は日本に居を構え、ベンチャー支援をしています。国会の東電福島第一原発事故調査委員会の最高技術責任者なども務めています。
この本は、前半は齋藤さんの失敗と成功の半生記、後半は齋藤さんから見た日本社会・企業・役所の欠点を指摘したものです。
「日本にはチームがない。個人主義が進んでいる」という指摘に、私は「違うだろう。日本ほど組織を重視する社会はない、というのが通説だ」と思って読んだのです。しかし、齋藤さんの指摘の通りです。
日本には同質者によるグループはあるが、異質な者が集まってある仕事を成し遂げるようなチームがない。これが、チームがないという指摘です。そして、チームで仕事を達成する教育をせず、個人が競争するだけだというのが、日本は個人主義だという指摘です。
・・政府機関が主催したセキュリティの会議に呼ばれたときも驚いた。出席者は男ばかり、しかも全員グレーのスーツ姿だった。出身大学も出身高校も、あるいは小学校時代に通っていた塾も同じと思えるほど似たような人間が集まって、人種も宗教も職業も違う世界中のハッカー相手の対策を考えていた。これはほとんどジョークとしか思えなかった。ハッカー対策を本当に検討するなら、ハッカーの感性に近い若い人、例えばコンピュータのオタクに協力してもらうべきだと思う。海外ではそうした発想がごく普通で、成果を挙げている・・
・・調べてみると、明治時代から日本の組織は、ずっと同じ構造だった。先進国では例を見ないほどの圧倒的な男社会であること、年功序列が重視され、官民格差が厳然としてある。戦前ならいざ知らず、戦後の民主的な社会になっても、過去の社会構造が温存されたままだ。
各省庁では、東京大学法学部出身者が幅をきかせ、国が国民をリードしていた時代の遺物がそのまま残っている。硬直化しているのは民間企業も同じで、特に大企業は役所とそっくり同じ構造になっている。役員は東大、京大などの国立大学に、早稲田、慶応などの名門私大の出身者ばかりだ。しかも、年配の男性ばかりだ。同質化した集団は、キャッチアップする時代には向いていたが、イノベーションで戦っていかなくてはならない今のグローバルな世界には向いていない・・
・・個人個人は、みなさん優秀な人たちだ。自分たちのやるべきことも、わかっている。やる気もある。しかし、これが集団になると、その優秀さが消え、意思決定ができない守り一辺倒の集団となってしまう・・
・・日本の組織は、いつからはわからないが、イノベーションが止まっているように見えた。何かを解決する、何かを生み出すための組織ではなく、与えられたこと、決められたことを間違いなく処理するための組織、何かを守るための組織になっている・・(P105~)
「アメリカの視点、若い起業家からの視点なので、日本では違う」とおっしゃる方もおられるでしょう。私は、かなり当たっていると思います。十分に紹介できないので、ご関心ある方は、ぜひ本をお読みください。

国民の公務員への期待

12月1日から、公務員倫理週間が始まります。それはそれで重要なのですが、今日紹介するのは、人事院のアンケート結果です。「資料」の6ページ目に載っています。「国家公務員に期待していますか?」という問です。
市民モニター、企業、有識者モニターの3者が、調査対象です。市民モニターは「期待している」が33%で、「期待していない」が43%です。ところが、企業は「期待している」が77%になり、「期待していない」は11%。有識者モニターでは、なんと「期待している」が94%で。「期待していない」は2%です。
あなたは、この結果をどう分析しますか。また、マスコミや評論家は、この結果をどう評価するでしょうか。
もちろん、私たち公務員にとっては、期待されないこともつらいですが、期待されることに答えることが大変です。

国会質問の答弁案作成

10月31日、11月1日と衆議院本会議で代表質問が行われ、明日11月2日には参議院本会議が開かれます。毎日、復興関係の質問が出ています。職員は、その総理答弁案と復興大臣答弁案を作成しています。
1日の質問の中には、31日の夜11時過ぎに通告があったものがありました。それから答弁案を作るので、できるのは真夜中になります。いつものように、私は自宅のパソコンに答弁案を送ってもらって、確認しています。すみません、私だけ早く家に帰って。
でもねえ、23時過ぎに質問が通告されるとは・・。部下に常々「残業するな」「早く帰れ」と言っているのですが、これではどうにもなりません。

内弁慶の旧軍、官僚

「国内で威張っている」ことと「世界での評価」のズレを書いていて、思い出しました。先日紹介した、ハンチントン著『国家と軍人』です(9月26日の記事)。
そこでは、旧日本軍の軍人の特徴として、物質的要素がきわめて低く評価され、その代わりに精神的要素が決定的な意味を持っていたことが指摘されています(p127)。これは、通説になっています。私が考え込んだのは、次のような指摘です。
・・知性の低下と精神の高揚は、日本で職業軍人の著述の著しい欠如という結果をもたらした。1905年から1945年まで、日本は、強大な海軍力を持っていたが、海軍力の本質とその行使についての重要な理論を定式化した評論家は、日本には一人もいなかった。第二次世界大戦以前におけるこの問題についての日本人の著作は、人気取りのものか、極めて初歩的なものかのどちらかであった。学問的な分析はみられなかった。同じことは、陸上作戦についても当てはまる・・(p128)。
世界一の行政サービス水準を達成した後の、日本の官僚にも当てはまるかもしれません。日本の官僚機構は、「日本で最高のシンクタンク」と、高く評価されていました。しかし、各省の組織がどれくらい政策を提言し、官僚が個人として政策を提言しているでしょうか。
また国際的には、例えば発展途上国に対し、どれくらい知識を輸出することでそれらの国の近代化に貢献したでしょうか。我が身を振り返り、反省。
「海外協力庁」をつくって、制度や経験を「輸出」すれば良かったですね。モノの輸出やお金の支援以上に。後発国に比べ先に発展した日本の経験は、後発国にとって良いお手本(良い面も悪い面も)になると思います。日本が、法制度を輸入しながら輸出には熱心でなかったことについては、「2011年10月19日」の記述を見てください。