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生き様-仕事の仕方

事故後の対応検証

原子力災害伝承館が伝えることと残っていること」の続きです。まず、事故対応の検証についてです。

原発事故の検証を分けると、事故が起きたことの検証と、事故後の対応についての検証の二つがあります。そして事故後の対応については、原発内での対応(原子炉を冷温停止させること)と、原発敷地外での対応(住民避難や避難者支援、国民への情報提供)の二つがあります。
このうち原発内については、事故が起きたことと事故後の対応について、政府、国会、民間による検証があります。しかし、原発敷地外の対応については、その検証はほとんどされていないようです。そして、いくつもの失敗があったのです。

ここでは、3つ事例を挙げましょう。
一つは、避難指示が出されましたが、「できるだけ遠くへ」とだけで、どこにという行き先の指示もありませんでした。そこで、ほとんどの人が、着の身着のまま、不安のなかで、何か所も転々としたのです。

もう一つは、放射線の飛散状況が示されなかったので、放射線量の高いところに避難した例があったのです。浪江町です。町の中心部から、原発とは反対側の東北の山間部(津島地区)へ避難しました。多くの町民が、そこで数日過ごしました。この判断は当然のことですが、津島地区は放射線量が高かったのです。結果として、放射線量の低い地域から、高い地域へ避難したことになりました。亡くなられた馬場有町長は、そのあとこの判断を悔やみ、責任を感じておられました。

そして、大月編集委員の記事に書かれているように、原発事故後に避難指示が出た際に、置き去りにされた人たちがいました。その双葉病院では、寝たきりの病人が行き先も決めず、バスで運ばれました。そして、死者が出ました。

これらについて、責任ある検証がされていません。しかるべき組織が検証することを期待します。その2へ続く。

一つの仕事に長く従事する

私の内閣官房参与退任が報道されると、たくさんの人から、ねぎらいの言葉をいただきました。ありがとうございます。その多くに、「長く従事しましたね」が含まれていました。

内閣官房参与は、4年あまり勤めました。東日本大震災対応は発災直後からですから、9年半になります。発災直後から従事している国家公務員は、たぶん私だけでしょう。公務員は、通常2年から3年で異動しますから。
9年の間に、事務局次長、統括官、事務次官、内閣官房参与と職位は変わりましたが、一貫して復興に携わりました。これは、極めて異例だと思います。しかし、ありがたいことでした。

東北復興のように、対象地域が限られている場合は、長期間従事は重要です。被災者はこの9年間、被災者におかれたままです。自治体幹部も、当時のままか、2代目であっても経験者です。その人たちを相手にする際に、「初めまして」より、気心が知れている方が話が早いです。そして、発災直後を知っているかどうかは、その人たちと話をする際に、大きな要素となります。
インフラ復旧などは担当者が交代しても、計画通り工事が進められます。そのようなお金と物でできる行政分野もありますが、行政は人を相手にすることが主です。人間関係が重要なのです。行政の各分野において、公務員はもっと長期間従事すべきです。

他方で、「まだ、難しい課題がたくさん残っているのに、卒業するのか」という、お叱りの声もいただきました。これは、一緒に課題に取り組んでいる関係者の方々からです。地元の方、与党幹部、各省の関係者、マスコミの諸君・・・。福島の皆さんにも、その点は申し訳なく思っています。
「課題を完成させて卒業する」ことが理想ですが、福島からの復興はまだまだ先が長く、私がすべてを見届けることも難しいです。
そこで、私がいなくても、復興が進むように「仕組み」は作り上げてあります。福島特別措置法の改定と延長、復興庁の10年存続、与党提言を始めとする課題解決の手法など。
いくつか、私が抱えている課題については、復興庁顧問として、仕上げるつもりです。いましばらく、お付き合いください。

よい仕事をするために筋肉トレーニング

9月9日の日経新聞、「企業トップ 心身を最高の状態に」から。
企業のトップで、筋肉トレーニングに励む人がいるとのことです。
確かに、悩み事があったり、他のことを考えていると、よい判断ができません。そして、健康でないと、これまたよい仕事や判断はできないでしょう。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」という金言も、ありますよね。

ところが、その人たちを指導するトレーナーによると、それだけではないようです。
重要なのは、きついトレーニングで筋肉を大きくすることではなく、「自分がどうありたいか」だそうです。
指導を受ける企業のトップたちは、「自分が筋トレでどうありたいのかというビジョンとそれを伝える言語化力がとても高い。マネジメント力を垣間見ているような気がする」とのことです。

内閣官房参与退任

内閣の交代に伴い、9月16日に内閣官房参与を退任し、18日に福島復興再生総局事務局長を退任しました。2016年6月に復興事務次官を退任して、そのまま就任したので、約4年間余りにわたって務めました。

この職は、福島第一原子力発電所事故からの復興を進めるため、現地の政府機関である復興庁福島復興局、環境省福島地方環境事務所、原子力災害現地対策本部を統括します。安倍総理の指示によって、2013年2月につくられました。政府関係機関の連絡と調整を行うとともに、現地での課題を拾い上げること、地元からの意見を聞き対応することが任務です。これまで、復興事務次官経験者が勤めています。事務局長は、私で3代目です。

4年間と言われると「長かったなあ」と感じますが、私にとってはあっという間のことでした。取り組むべき課題が、難しいのです。
放射線量は予想より早く減衰していますが、低減するには時間がかかります。長期的に取り組まなければならない大きな課題と、日々生じる新たな問題。お金と技術があればできるインフラ整備と違い、お金では解決できない課題。そして、人類が初めて経験する、原発事故被災地への住民の帰還を進めることです。
長期にわたって避難を余儀なくされている避難者、ふるさとに戻ることのできない被災者のことを考えると、一日でも早く復旧復興を進めたいのですが。

国の機関の間での問題は、大きくありません。みんな、目標に向かって、課題を調整し解決してくれます。
この仕事を進めるに重要なのは、地元の方々、特に首長達との信頼関係です。国は加害者であり、私はその代理的立場です。首長は、被害者代表です。
時に厳しい関係になります。しかし、復興を進めるという方向において一致しているので、課題をどのように解いていくか。そこが、私の任務です。そして、国(内閣、与党、各省)との調整も出てきます。
関係者の理解を得て、かなり前進したと考えています。もちろん、避難指示が解除されていない地域があり、解除された地域でも、まだにぎわいは戻っていません。道半ばです。

私は、2011年の東日本大震災発災直後から、被災者支援と復興に携わりました。このホームページの「災害復興」欄も、すごい数になりました。ページ数で316、1ページに4つくらい記事がありますから、1000件は超えているでしょう。

当初は地震津波被害が所管だったのですが。だんだん原発事故からの復興も担当するようになり、この職に就いてからは、原発事故からの復興が主たる任務になりました。
発災当初を知っていることから、被災者とはその時の大変さを一部共有していると思います。それが、仕事をする上での、基礎になりました。
関係者の方の期待に、ある程度応えられたと思います。それも、関係者の方々のおかげです。改めて、お礼を申し上げます。
まだ仕掛かりの課題があり、しばらくの間、復興庁顧問として取り組みます。

この間の仕事について、いろいろ考えることがありますが、それは追々書きましょう。