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近過去・昭和時代

読売新聞が毎週土曜日に連載していた「昭和時代、第1部、30年代」が、17日で終了しました。
私が生まれたのが、昭和30年です。東京オリンピックが昭和39年、私は小学校4年生でした。奈良盆地の南端にある村では、農村の暮らしが続いていました。
それから、半世紀が経っています。日本は高度成長を経験し、その後、オイルショック、低成長、バブルと崩壊、失われた20年が過ぎました。多くの人が懐かしく思い出すのでしょうが、時計を逆に戻すことはできず、またあの頃の貧しさや不便さに戻りたい人は、いないでしょう。
この半世紀に、日本社会がどれだけのことを達成したか。それを伝えたくて『新地方自治入門』の第1章で、「地方自治50年が達成したもの」を書きました。

私たち世代にとっては、この連載の内容は珍しいことではなく、毎日の生活でした。私たちにとっては「ついこの間のこと」only yesterdayですが、平成生まれの若者には「遙かな昔」なのでしょうね。近過去のことは、学校の歴史の授業では教えてもらえず、適当な書物もありません。また親父たちが経験したことは、書物では十分に伝えることはできません。私が、私の両親が体験した戦前・戦中・戦後を知らないように。
このような連載は、熟年世代が思い出すこと以上に、若者に知ってもらうために良いことですね。日経新聞も夕刊で、同様の連載をしています。

大震災、社会学からの分析

遠藤薫編著『大震災後の社会学』(2011年、講談社現代新書)を読みました。いくつかの書評でも取り上げられていたので、読まれた方も多いでしょう。新書という体裁ですが、勉強になりました。表題の通り、社会学から今回の大震災が日本に与える影響、日本社会が大震災に対して取った反応などを分析しています。大震災のメカニズム、危機対応、復旧復興過程などについては、それぞれたくさんの論考が出されています。この本は社会学から、それらとは違った視点から、分析しています。

日々、現場での対応に追われている私にとっては、「こんな見方もあるのだなあ」と、視野が広がりました。
先日も書きましたが(3月11日の記事)、「大震災で何を失ったか」という視点でも、命、財産や街並み、日々の暮らし、政府への信頼といった、いくつもの次元があります。また誰にとってかという視点からは、個人や家族、企業、地域社会、日本社会、行政と政府といった主体別が考えられます。
拙著『新地方自治入門』(p190)では、地域の財産を、自然環境、公共施設、制度資本、関係資本、文化資本に分類して、形あるものだけでなく形のないものに広げて解説しました。

インフラや産業の復旧だけが、復旧復興ではありません。もちろん行政ができることとできないこと、行政が得意な分野と不得手な分野もあります。
そこで、NPOとの連携、企業の役割(ボランタリーと営業と)など、既存の行政に閉じこもらない発想を考えるように心がけています。また、東京で何をしたかではなく、被災地で何が実現したかを考えるようにしています。しかし、行政内部での発想は限界があり、外部の人の様々な視点が、有用です。

決められたことを実行する、これまでの延長線上で考えるのが「普通の公務員」。それを上手に実行した上に、より広い視点で新しい発想をするのが「良い官僚」だと自戒しています。そのような観点からは、復興は、官僚にとっても壮大な実験の場、国民や後世の人から審判を受ける試験の場です。官僚や行政に対する国民の信頼を回復するためには、地道に仕事をして期待に応えるしか方法はありません。

大震災関連の本はたくさん出版されていて、その多くを読むことができません。買って読んでない本も、たくさんあります。いつものように反省。

今年は遅い椿

先日ようやく、玄関の椿が、一輪咲きました。早速メジロが来たらしく、花びらは傷ついています。二輪目のつぼみが、大きくなっています。今年は寒さのせいか、花が遅れました。水仙は、いまだにきれいに咲いています。

被災者アンケート

3月11日の読売新聞は、岩手・宮城両県300人、福島県200人のアンケートを載せていました。
岩手・宮城では、「暮らしていた地域に戻りたい」は43%、「移転したい」が46%です。「地域が復興できるか」という問いに対しては、「思う」が38%、「思わない」が43%です。
福島では、「暮らしていた地域に戻りたい」が57%、「移転したい」が25%です。「地域が復興できるか」については、「思う」が22%、「思わない」が55%です。
厳しい結果ですが、関係者の冷静な評価が現れているのでしょうか。