岡本全勝 のすべての投稿

職員慰労会

今日の放課後は、復興庁の国会班の慰労会(兼・岡本統括官を突き上げる会)に呼ばれました。6月22日で国会が閉会したので、打ち上げです。異動が決まった職員もいて、送別会もかねています。
国会班は、本庁と国会内の分室に別れて仕事をしています。国会議員に呼ばれて質問を取りに行ったり、資料を提出したり。出てきた質問を、各省と調整したり、復興庁内の各班に割り振ったりと、特殊技能が要求されます(私は、2年半、通常国会を3回経験した数少ない総務(国会担当)課長です)。
150日間の会期中、毎晩のように徹夜をして、国会答弁の準備をしてくれた職員たちです。本当に、頭が下がります。職員から、私が知らなかった「混乱」や「困ったこと」「苦労」を教えてもらいました。そして、「統括官のホームページに、今日の飲み会は書いてもらえますよね」「私たちのことを、誉めてください」と、率直な要求がありました(笑い)。
ご苦労をかけました、紺野君、岡田君、佐貝君。苦労をかけています、小座間君、坂本君、橋本君。これで全員ではないのですが、要求のあった職員だけ名前を出します。名前を出さなかった職員も、ありがとう。
ところで、今国会では、ついに「岡本統括官作成答弁」がありませんでした。これまで復興庁では、誰も担当参事官がいないような問が出たり、たくさんの参事官にまたがって主たる作成者がいない問が、しばしば出ました。私は答弁案を書くのが好きなのと、早くできないと最終確認する私が寝る時間が遅くなるので、ついつい答弁案を書いてしまいます。私が書かなくてすむようになったのは、組織と仕事が固まってきたことと、自ら書いてくれる参事官が増えたということです。少し残念ですが、これもうれしいことです。

公営住宅への転居の課題

6月24日の岩手日報「仮設から公営住宅、新たな課題 釜石で対応を議論」から。
・・被災地で仮設住宅から災害公営住宅への転居が今後本格化することを踏まえ、県は23日、釜石市平田の岩手大三陸復興推進機構釜石サテライトで、移行期の課題を考え共有する研修を初めて行った。阪神大震災で住民の支援活動に携わった福祉関係者を招き、地域コミュニティーで起こり得る問題について理解を深めた。
社会福祉協議会やNPO法人職員、地域住民ら約60人が参加。兵庫県明石市望海在宅介護支援センターの永坂美晴センター長が講師を務め、住民が減る仮設住宅や移転した公営住宅で予想される孤立化などの問題について、阪神大震災の事例を紹介した・・

現地視察、職員との意見交換

今日は、復興大臣のお供をして、岩手県釜石市に視察と意見交換に行ってきました。できあがった公営住宅、高台移転の用地工事が終わり順次住宅が建てられている現場、復旧した水産加工場などです。着実に工事が進んでいます。
沿岸市町村長らとの意見交換の他、市役所に応援に入っている職員たちとの意見交換、激励もしました。保健師、管理栄養士、用地買収業務などに、他の市役所から派遣された職員や民間人が活躍してくれています。
今日一日を有効に使うために、昨日のうちに、釜石市に入りました。東京からだと、5時間かかります。昨晩は、再開している居酒屋で、復興庁の現地職員たちと意見交換会(番外編)をしました。彼らは、経験のない仕事で、大変な苦労をしています。でも、そんなことをものともせず、元気です。ありがとう。安心しました。ただし、懇親会でも元気なので、付いていくのが大変です。私は早々に切り上げて、ホテルに戻りました(苦笑)。

災害公営住宅に自治会

6月22日の河北新報ネット版が、「災害公営住宅に自治会」を伝えています。
・・宮城県東松島市が東日本大震災で整備した災害公営住宅「市営小松南住宅」の入居者が、小松南地区自治会を設立した・・
・・設立総会は今月上旬にあり、主な役員を決め、ごみ出しや騒音といった生活ルールについて話し合った。7月に住民の親睦を目的に開催する「団地開きイベント」が初めての活動となる。
菅原司会長(61)は「活動は始まったばかりで市に助言を求めることも多いと思うが、住民と行政の間に立って暮らしやすい地域をつくっていきたい」と話した・・

名編集長、粕谷一希さんの仕事

粕谷一希さんが、5月に亡くなられました。『中央公論』の名編集長と呼ばれた方です。退社後も、『東京人』、『外交フォーラム』、『アステイオン』などの創刊に、かかわられました。永井陽之助、高坂正堯、山崎正和、白川静、塩野七生さんらを、世に出されました。
学界の研究や官界の政策を一般の方に広く理解してもらうために、雑誌や書籍は重要な手法であり、場です。その際に、編集者の役割と能力は決定的です。粕谷さんが作られた雑誌や、世に出された作家や研究者をみると、その能力の高さがわかります。随筆集が刊行され始めました。『忘れえぬ人々―粕谷一希随想集』(全3巻、2014年、藤原書店)。
歴史をどう見るかー名編集長が語る日本近現代史』(2012年、藤原書店)は、明治以降の日本の歴史をどう見るかを平易に語った本です。次のような構成になっています。
1武士の「自死」としての革命―明治維新
2近代日本の分水嶺―日露戦争
3帝国主義と「個人」の登場―大正時代
4「戦争責任」再考―第二次大戦と東京裁判
粕谷さんは、歴史を語る方法として、学者が扱う実証史学、小説家が書く歴史小説、小説家が書くノンフィクションを上げておられます。そして、この本のように、日本論、日本国民の政治史・精神史として語る方法があるのでしょう。それは、過去の事実を取り上げるという形を取って、現在と未来の日本人に取るべき道を指し示すという、警世の書です。日本人それも指導者だけでなく、国民が選択してきた成功と失敗の歴史として書かれています。すると事件の記述でなく、それを判断した当時の指導者と国民を俎上に載せることになります。快刀乱麻で、氏の博学が披瀝されます。
学者や小説家が書く歴史は、「他人事」として客観的に読むことができます。しかし、この本は、なぜ昭和の失敗が起きたのか、すなわち今後どうしたら起こさないか。また、戦争責任と昭和憲法を、今後どのように扱っていくか。今を生きる私たちに、考えさせます。他人事ではなく、自ら責任を引き受け、自ら考えなければならないのです。成功の努力と失敗の判断をしたのは、私やあなたの父や祖父なのです。簡単に読める書でありながら、重い本です。
学問や研究としての歴史は、テーマごとに狭く深く分析されますが、このように100年の歴史を簡潔に書くことは、難しいことです。
「大日本帝国の興亡という大きなテーマを考えた場合、日本が太平洋戦争に負けたのは必ずしも昭和の軍人だけが悪かったのではなく、明治、大正期に形成されていった大日本帝国というもの自体に問題があったというのが、私の大きな感想です。
考えれば考えるほど、昭和史は昭和史で終わるわけがない。やはり、幕末、明治維新、明治国家、明治時代、大正時代―のことをあわせて考えていかないと、昭和の歴史の結論は出ない」(p8)。
「日本人は自らの姿を三思する必要がある。日本は戦争に勝って、“列強に伍する”ことしか頭になかった。日本人は孔明や三蔵法師のことは知っていても、交渉相手の「李鴻章」(岡本隆司氏)のことは知らない。好き嫌いを超えて相手を知らなければ、国際社会を生きていくことはできない」(p166)。
お薦めします。