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水揚げ高の復旧

日本財団のブログが、「女川の水揚高が震災前を上回る。マスカーがフル稼働、魚の町復権へ」を紹介しています。
宮城県女川町に、中東カタールが日本財団の協力で、大型冷凍冷蔵施設を建設してくれました。大きな目立つ建物なので、現地に行くとすぐわかります。この施設が、サンマなどを受け入れ、水揚げ高が震災前を上回ったのだそうです。 うれしいですね。詳しくは原文をお読みください。

原発事故、子供の避難者数

1月7日の毎日新聞が、「東日本大震災:県外避難、「県内」下回る 福島の18歳未満。事故後、初めて」という記事を載せています。
2014年10月時点で、県外避難している子供の数が1万2436人、県内避難が1万2437人です。県外避難は、2012年4月に1万7895人でしたから、約3割減少しています。記事にあるように、県外への自主避難者が帰還しているようです。県内避難数は減っていません。避難指示が出た地域では、まだ帰還できない地域が多いので、戻れないのです。

風評被害

福島県では、農水産物や観光で、いわゆる風評被害が続いています。放射能は検査をしても、何の問題もない値か、検出されないくらい低いのですが、消費者は買ってくれないのです。特に、県内でも関係のない会津地方でも、影響を受けています。1月6日の読売新聞が、「福島牛なお「風評価格」…もうけなく廃業農家も」という記事を載せていました。政府も自治体も、関係業界も、安全であることを広報しているのですが。消費者の皆さんには、なかなか理解してもらえません。根気よく説明を続けるしかないのでしょう。

朝日新聞、報道検証第三者委員会報告、4

同じく、「14 問題点の指摘と第三者委員会のからの提言、(1)報道のあり方について」(p85)に、次のような指摘があります。
ア 前提とする事実の存否及び事実の意味についての吟味の必要性の自覚
新聞報道のうち、事件・事故を取材した記事ではなく、いわゆる企画記事、調査報道などは、その企画趣旨に沿う情報を収集、選択して報道することになる・・
イ 先入観が事実の選択を誤らせることの自覚
・・朝日新聞の記者は、上記の基本的な報道のあり方について今一度思いを致し、取材対象を相対化する目をもち続け、自己の先入観や思い込みをなるべく糺すと共に、一方的な事実の見方をしないよう努める必要がある・・
岡本行夫委員は、個別意見で次のように述べています。
・・当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。
だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々・・
多くの読者が、各新聞社の報道ぶりについて、「色がついている」と考えているのではないでしょうか。朝日新聞と産経新聞では違いがあることを、多くの国民は認識しています。さて、各新聞の主義主張と、客観性・中立性をどのように折り合いを付けるか。まず、限られた紙面にどの情報を載せるかという選択の際に、完全な中立性はあり得ません。記事だけをとれば「客観的」であっても、取捨選択の際に中立ではなくなるのです。他方で、主義主張だけを書くと、それは政党の機関誌になります。一つの道は、「我が社は、保守寄りです」とか「中道を目指していますが、やや革新的です」と、立ち位置を明らかにすることでしょう。
ところで、 「革新と保守」という分類もあいまいです。これまでの日本では、簡単に言うと「憲法を守れ」と主張するのが「革新」で、「変えよう」というのが「保守」でしたから、この表現も適切ではありません。「反政府」と「そこまでは言わない」という分類や、「何でも反対」と「是々非々」という分類もあります。

朝日新聞、報道検証第三者委員会報告、3

1月2日の記事で「問題を起こした組織が自ら検証をせず、他者に委ねることの問題」を指摘しました。これに関して、委員の個別意見で、田原総一郎委員が、次のように指摘しています(報告書15 個別意見 p95)。
まず、幹部の責任について。
・・なぜ誤った情報を与えた加害者として謝罪しなかったのか・・報告書では、経営幹部が判断したと記しているが、当初は入っていた謝罪文言を外す判断をしたのは経営の最高幹部である。
話が飛躍するが、池上彰氏のコラムについても、担当者やGE、そしてGMは掲載することで問題はないと判断したようだ。ところが、吉田証言問題と同様に、「経営上の危機管理の観点」から、経営の最高幹部が掲載しないと判断したのであった。
そして最高幹部は、私たち第三者委員会が提言を出す以前に辞任してしまった・・
次に、編集部門の責任について。
・・編集上の問題に、経営最高幹部が介入したことに対する批判はあるだろうが、私は編集部門のスタッフが、表現は下品だが、最高幹部と身体を張った議論が出来なかったことこそが朝日新聞の問題体質であり、最高幹部が辞任しただけでは体質改革にはならないのではないかと強く感じている・・