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日記

ほっと一息

1月も終わり、2月になりました。1月末締め切りの仕事をいくつも抱えていたのですが、何とか切り抜けました。まだいくつか原稿などを抱えているのですが、ひとまず一息つきました。恒例のぼやき、今回は少し違います。

締め切りの近づいた原稿や講演をたくさん抱えていると、精神的によくありません。読みたい本も読めないし・・・。
右筆に言わせると、「引き受けすぎ」です。
分かってはいるのですが。講演にしろ取材にしろ原稿にしろ、お誘いが来るとうれしいのです。お座敷の声がかかる芸者さんと同じです。
そして、私の経験とそれを基にした主張を、世間に理解してもらうことも責務だと思っています。

「債務奴隷」と自嘲しています。本来の債務奴隷は、借金を返せずに奴隷身分に落とされ、働いて返します。私の場合は、債務が執筆で、金銭ではなく執筆という労働で返さなければならないという奴隷です。
もっとも、「締め切りに間に合わず、あわてる」という夢を見たことがないので、心理的に追い込まれてはいないようです。

近所のお寺が高齢者施設に

我が家のある杉並区高円寺(といっても広いのですが)には、お寺がたくさんあります。各寺院の説明を読むと、江戸時代に江戸の中心地から移ってきたものが多いようです。地下鉄新高円寺駅近くに、円福寺別院というお寺とお墓がありました。私の散歩の経路の一つにあります。
結構広い敷地です。椿椿山の墓があると立て札もありました。私もその説明書きで知ったのですが、椿椿山は、江戸時代後期の日本の文人画家です。

先年からお墓の片付けが進んでいて、「空いた場所には新しく募集するのか」と思っていました。昨年から工事が始まり、更地になりました。そして高齢者施設が建ちました。時代を感じさせます。
椿椿山の墓も、移されたのでしょうね。

令和6年元旦

新年です。皆さん、よいお年をお迎えのことと存じます。
東京はよい天気、風は少しありつつも穏やかな朝でした。毎年のことですが、年末年始も働いておられる医療、消防や警察、交通や流通関係者などに感謝しなければなりません。
去年、母が亡くなったので、今年は年賀状や松飾りを遠慮しました。実家のあの門松もありません。私は69歳になりました。今年がよい年でありますように。

と書いたら、能登半島で大きな地震がありました。被害が拡大しないこと、早い救助と支援が行われることを期待しています。

恒例の元旦の富士山、知人の送ってくれた写真です。上は富士宮市から、下は横浜からです。

 

 

 

 

 

 

 

 

令和5年大晦日

早いもので、今日は12月31日。令和5年も終わりです。
皆さんにとって、今年はどのような年だったでしょうか。うれしいこと悲しいこと、さまざまなことがあったでしょう。まずは、この1年が無事すぎたことを感謝しましょう。

私は「令和5年の回顧」3回に書いたように、びっくりすることは起きず(除くぎっくり腰)、原稿締め切りに追われて、あっという間に1年が経ちました。何もしなくても時間が経ってしまうので、自分で何かを企画しないと、酔生夢死になります。キョーコさんに引っ張られて旅行すると、良い思い出ができます。充実した1年を過ごしたと総括しましょう。

今日も孫の乳母車を押して散歩をし、蕎麦打ち名人のおいしいお蕎麦をいただいて、進んでいない原稿を抱えて(つい先ほどまで格闘していました)、年を越します。
今年もこのホームページをご覧いただき、ありがとうございました。

令和5年の回顧3、生活

今年の回顧の3は、生活です。
今年も、仕事や原稿執筆に追われた1年でした。なかなか余裕ある生活にはなりません。自分で仕事を引き受けたり、仕事を作ったりしているのですが。夜の異業種交流会・意見交換会も多くて。読みたい本もなかなか読めず、たまるばかりです。「回遊魚」性格の性ですね。

新型コロナウイルス感染が下火になり、生活はコロナ前にほぼ戻りました。
キョーコさんのお供をしての旅行も再開。8月末から8日間、スペインに行ってきました。国内は京都のほかに新潟、広島(宮島など)も。放っておくと毎日同じことしかしない私の単調な生活に、キョーコさんが変化を与えてくれます。

息子は夏からアメリカ・ワシントン勤務で、先に赴任した嫁と暮らしています。インターネットで近況を報告してくれます。便利なものです。
娘の方の孫のうち、上の女の子は4年生。私は、もう相手にしてもらえません。下の男の子は1歳を過ぎ、休日に乳母車を押して散歩をしています。これが一番の楽しみです(笑い)。私にとっては健康のため、娘夫婦にとっては動き回る子どもを預かってもらえるので、役に立っていると思います。

母が96歳で旅立ちました。数年前に脚を骨折し手術はうまくいったのですが、コロナで面会ができず、認知症が進みました。長期間の入院もなく、苦しむことも少なく亡くなったことで、良かったと思っています。母が亡くなると、一緒に過ごした子供の頃を思い出します。うれしかったこと、楽しかったことです。それを思うと、昭和30年代の明日香村から遙かに遠いところまで来ました。

早寝早起きで、インフルエンザや風邪をひくことはなかったのですが、40肩とぎっくり腰に悩みました。それらも治って、健康に過ごしています。健康を維持するためには、努力が必要な年齢になりました。