7月24日の日経新聞経済教室は、武石恵美子・法政大学教授の「転勤制度を考える「自律への要請」が促す変革」でした。主体が企業など雇用主から、働く個人に変わりつつあるということでしょう。私が主張している「供給側支援の行政から生活者支援の行政への転換」と軌を一にしていると考えています。この点は、別途書きましょう。
・・・転勤制度の改革を進める企業が増えている。勤務場所の自由度を高め、転勤や単身赴任の廃止を打ち出したNTTグループ。転勤なしの働き方を原則としたAIG損害保険。同意なき転勤を撤廃する東京海上日動火災保険。事情により転勤ができない時期を申し出る転勤回避措置を実施するキリンホールディングスなどの動きが代表例だ。
企業の対応には濃淡があるが、従業員は転勤命令に従わなくてはならない、と考えられてきた転勤制度は曲がり角を迎えている。
転勤制度改革の動きは、人材の獲得・定着面の問題への対処、女性の能力発揮を阻害する要因の除去、転勤のメリットの相対的低下といった、足元の課題に迅速に対応する必要性に迫られたという側面がある。
加えて、テレワークなど技術面の変化も重要であることは間違いない。しかし転勤制度改革は、企業の人事政策変革と一体的に進んでいる構造的なものととらえるべきであろう。
そもそも転勤は異動の一つの形態で、人材育成にもつながる重要な人事政策である。人事制度を検討する際には企業経営と従業員という2つの主体に対峙し、双方が要求するものを調整して、事業展開上の最適解を求める必要がある・・・
・・・それでは、これまでなぜ従業員は負担の大きい転勤を拒否せず受け入れてきたのだろうか。裁判で従業員の転勤拒否が認められるケースは少ないという事情もあるが、ここでは日本の雇用システムにおいて仕事内容や勤務地を従業員が選択する余地は少なく、基本的に組織主導で決定されてきたという点に注目したい。
組織の人事部門が配置・異動に関して幅広い権限を持っている日本の状況は、配置・異動に本人同意が必要であることが多い欧米とは異なる特徴である。
筆者らが実施した日本を含む5カ国比較の調査結果を紹介したい。図1に示すように「他の職場への異動は本人の申し出による、もしくは本人同意が必要である」を肯定する割合は日本では5割に満たず、他国に比べて低い。
関連して「自分のキャリアを決めているのは自分だと思う」を肯定する割合も日本は約5割にとどまり、従業員個人が自身のキャリア展望を描きにくい実態が確認できる。
日本でキャリア形成が組織主導で行われてきたのはなぜか。背景には、従業員は組織に雇用保障や人材育成投資を期待し、それが充足されると考えれば組織が提示する異動を受諾するというように、従業員と組織との間に依存関係が存在したことが指摘できる。
しかし筆者らが2015年に実施した調査では、転勤経験者で過去に経験した転勤が能力開発面でプラスになったとした割合は4割弱で、残りは転勤の人材育成機能に懐疑的であった。にもかかわらず従業員が組織からの異動命令を受け入れてきたのは、それにより組織との関係が強化され、雇用安定や組織内での処遇が期待できるというように一種の「心理的契約」が成立していたためといえる。
一方で働く人には自身のキャリアを自己決定したいという欲求が存在する。厚生労働省「能力開発基本調査」(24年度)によると、「自分で職業生活設計を考えていきたい」とする正社員は32.3%。「どちらかといえば」という回答を含めると66.3%が職業生活設計は自分で考えたいと回答しており、長期的にこの傾向に変化はみられない。
どこで・どのような仕事をするのかに関して、働く側のキャリア決定の裁量度を高め自己決定を促すことは内発的動機付けを高め、エンゲージメント(仕事への熱意)向上にも寄与する。意に反した異動や転勤はエンゲージメントを低下させてしまうリスクがある・・・
・・・転勤制度改革は、組織と従業員の関係性を「依存する関係」から「自律する関係」へと転換する動きと一体的に進められている・・・