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行政-災害復興

今日は田村市へ

今日は、福島県田村市へ、行ってきました。市内の都路(みやこじ)地区について、帰還を進めるための打ち合わせです。この地区は、合併前は都路村でした。北は葛尾村に、南は川内村にはさまれた、阿武隈山地東麓の村です。水系も経済圏も双葉郡に入っているのですが、歴史的経緯で田村郡(現田村市)に入っていました。郡山駅からは、車で1時間以上かかります。
インフラは大きくは壊れていないのですが、除染をし安全が確認されないと、住民は戻ってこられません。また、多くの家庭が井戸水に頼っているので、その安全確認(放射能に汚染されていないことと水質が悪化していないことの確認)も必要です。
皆さん、広い家に住んでおられたのですが、仮設住宅での狭い不便な生活で辛抱してもらっています。
幸い、田村市役所やその周辺(旧船引町、常葉町など)が、無事でしたので、復旧の体制は強いです。今日、いくつかの課題をいただいたので、解決を急ぎます。
沿道の田んぼの稲は、ほぼ刈り取りが終わり、栗の実がはぜていました。

推進委員会中間報告

復興推進委員会の、中間報告が公表されました。9月14日に官邸で会議を開き、その後、いくつかの加筆をして、今日の発表になりました。委員の方々が、現地をみて、進んでいる点とまだの点を指摘してくださいました。これは中間報告で、年次報告は来年3月の予定です。しかし、それを待たずに、指摘された6つの課題に、重点的に力を入れる必要があります。

南相馬市との打ち合わせ

今日は、南相馬市に行ってきました。南相馬市は、南部の小高区が避難解除準備区域になっていて、立ち入りが自由になりました。しかし、1年あまりの間、立ち入り制限があったので、津波が来た昨年3月11日の状態にあります。変わった点は、セイタカアワダチソウなどがはびこっていることです。
帰還に向けて、除染やがれき片付け、インフラ復旧を進めます。課題は、いっぱいです。4月にお邪魔したときより、壊れた家の解体撤去が進んでいました。
立ち入りが自由と言っても、上下水道が復旧していないので、片付けが進みません。また、家を片付けた際に出る大量のゴミを処理することも、課題です。市役所では、上下水道を復旧させる工程表を作っておられます。順次進んでいます。
現場に行くと、東京で聞いているのと違う現実に、気づきます。個別事項についての認識の違いもありますが、それ以上のものがあります。
すなわち、各省は課題について、自治体から指摘や要望を受けた際に、制度を作ったりや予算をつけたことをもって、「解決した」と書きます。しかし、現場に行くと、制度を作っても予算が付いても、実際にそれが実行されないと、解決したことにならないのです。
また、自治体が要望したのに、「返事がまだ」という事項もあります。耳の痛いことも多いですが、このようなすれ違いを拾い上げ各省を動かすことも、復興庁の仕事です。
市の中心の原町区は、平常の生活に戻りつつあるのですが、子どもたちの帰還が遅れています。放射能への不安からでしょう。すると、ほとんどの店が再開しているのに、子どもに人気のマクドナルドとかっぱ寿司が再開していないのだそうです。若者たちが、再開を心待ちしているとのことです。
市役所の各部との検討会を終え、役場を出たのが、18時前。すみません、金曜日に残業をしてもらって。マイクロバスで、阿武隈山地を越えて、山道を郡山駅まで1時間半。途中、全村が避難している飯舘村を通りましたが、街灯はあるものの夜道は真っ暗でした。
福島駅の弁当屋さんは、いつもはたくさんあるのに、この時間では売れ残りが少しだけ。定価500円が半額になっていますが、選択の余地はなし。家にたどり着くと、22時でした。

避難市町村

今日は、福島県葛尾村に行ってきました。といっても、村役場が疎開している福島県三春町にです。現在、原発事故で住民が避難をさせられた12市町村ごとに、復興庁でチームを作り、各自治体の課題の解決と復興計画づくりを進めています。チームの責任者は参事官を当てているのですが、私もできる限り現地に行って、話を聞くようにしています。先週20日が川内村、今日が葛尾村でした。
葛尾村も、阿武隈山地の東麓にある山中の村です。人口1,500人、これといった産業がありません。商業や医療などのサービスも、かなりの部分を、他の町に依存していました。原発事故を受けて、全村が避難しました。
村のかなりの地区は、年間20mSV以下です。インフラや住宅は、地震の被害をそれほど受けていないので、損傷は少ないです。しかし、特に警戒区域内の家屋は、1年半以上人が住んでいないので、傷んできています。
インフラ復旧に大きな作業は不要なのですが、住民が戻るかどうか、予測がつきません。商業などのサービスの再開と働く場の確保が、難しいからです。そして、住民が戻らないと、商店も工場も再開しません。他の町に避難した人たちは、町の生活の便利さや、子どもたちが転校先で友達を作っていることから、早期の帰還に二の足を踏みます。
これまで多少の不便があっても、ふるさとでの暮らしを守ってきた人たち。その人たちが、いったんふるさとを追われ、新しい土地になじんできています。今後の暮らしをどう立てるか。皆さん、難しい判断を迫られています。
かくいう私も、村(明日香村)では食べていけないので、東京に出てきた一人です。都会の狭い住宅、満員電車、土の見えない街で、ふるさとの野山を懐かしむしかありません。もっとも、私の場合は、職業を選ぶ際に自ら東京を選び、家庭を持ちました。それに対し、葛尾村の住民は、村で家族と暮らし、生業に就いているのに、突然追い出されたのです。

避難者との意見交換会

今日は、復興大臣のお供をして、東京都江東区の東雲(しののめ)住宅へ、福島県から避難しておられる方の話を聞きに行ってきました。この住宅は、国家公務員住宅を東京都が借りて、避難者に提供しています。平屋の仮設住宅と違い、高層アパートです。約1,200人の方が、福島県から避難しておられます。代表の方8人に話を聞きました。
原発避難区域からの避難者は、帰る見込みが立たない人も多く、不安な状態におられます。帰ることが可能になった区域、例えば南相馬市小高区も、まだ上下水道が復旧していないので、片付けに帰るのも難しいです。水道とトイレが使えないのです。
1年半の間放置してあるので、雑草が生え、またネズミも繁殖しているとのことです。いろいろとご不満や心配を聞きました。これに、どうお答えするか。頭をひねります。