カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

民主主義とは

読まなくてはと思いつつ、放ってあった、杉田敦『デモクラシーの論じ方ー論争の政治』(2001年、ちくま新書)を、読みました。民主政治をめぐる論点がバランス良く簡潔に整理されていて、わかりやすかったです。AさんとBさんの二人が論争するというスタイルを取って、論点ごとに議論を進めるのです。
民主主義とは制度か過程か、少数意見をどう保護するか、政権交代とそのコスト、二項対立(二大政党制)と多様な意見(多党制)、国民という単位、文化の共有、代表制の問題などなど。
読みやすいですが、内容の濃い本です。

国家観の違い

先日から書いている、「政党の役割、国家観による違い」に関して、かつて書いた「国家観の転換」を思い出しました。「不思議な公務員の世界-ガラパゴスゾウガメは生き残れるか」(月刊『地方自治』2008年5月号)。
私は、官と民の垣根が低くなる背景として、藤田宙靖東北大学教授(当時)の説を引用しました(「行政改革に向けての基本的視角」『自治研究』(良書普及会)平成9年6月号に所収)。先生は、近代ドイツ国家学における国家観と、アメリカ社会的考え方とを対比されます。そして、日本の行政改革を、前者から後者への転換と見るのです。
すなわち、近代ドイツ国家学では、社会は弱肉強食、カオスの世界であり、中立公正な国家が弱者を救済し、秩序を保たなければならないと考えます。官(国家)と民(社会)が峻別されます。一方、アメリカ社会的考え方では、社会のあらゆる組織機構と同じく、国家機構もまた、社会(一般国民)が自らの必要のためにつくったものです。官と民の間に、垣根がなくなります。
政党の役割、行政機構の位置付けなども、このような背景=国民の考え方によって、違っているのだと思います。

政党の役割、選挙制度による違い

昨日の続きです。
日本では、二大政党制と多党制については、17年前の選挙制度改革の際に、大きな議論になりました。当時の衆議院選挙は、中選挙区制でした。同じ党から、複数の候補者と当選者が出ます。たとえば5人区では、自民党が2~3人の当選者を出します。無所属を含め(当選後、自民党になります)それ以上の候補者を立てるのです。そこでは政策の争いでなく、サービスの争いになることが批判されました。
政策の争いにしよう、政党が責任を持つようにしようという意図で、現在の小選挙区制を基本として、比例代表制を組み合わせた制度になりました。
小選挙区制が二大政党制を導き、比例代表制が多党制を導きます。後者は前者に比べ、多様な利害を反映することができますが、政権は不安定になりがちです。多くの場合連立政権にならざるを得ず、その過程で政策協議が必要になります。
すなわち、比例代表制では、国民の中にある多様な利害がそのまま議席に反映され、国会の中、政党間の協議で、利害を集約することになります。他方、二大政党制は、国民にある多様な利害を、2つの政党内で集約させざるを得ません。
その際、政権党は議会で多数を握っているので、政権党内で決まったことは、そのまま国会と内閣の決定になります。国会での議論より、事前の政権党内での議論が重要になるのです。これは自民党が政権党であったときも、同じでした。党内(政策審議会など)での議論、その報道が価値を持ったのです。連立政権の場合やねじれ(参議院で多数を持っていない)の場合は、他党への配慮が必要となります。

政党の役割、国家観による違い

講談社のPR誌「本」2010年7月号、宇野重規東大教授の「二大政党制の終焉?」が、興味深かったです。ハンナ・アレントの政党制論を紹介して、政党の機能を論じておられます。アレントは、イギリスとアメリカの二大政党制と、ヨーロッパ大陸型の多党制を区分します。
・・アレントに言わせれば、二大政党制と多党制の違いは、単に問題の外面的な現れにすぎない。より根本的なのは、政治体制全体における政党の機能、権力との関係、国家における市民の地位であった。
イギリスにおいて二大政党とは、一方は現在権力を握り国家を統治している市民の政治的組織であり、他方は未来において権力を握り国家を統治する市民の政治的組織である。権力と国家は市民の手の届くところにあり、市民は政党に組み入れられることによって、今日の権力と国家を代表するか、あるいは明日の権力と国家を代表するかのいずれかとなる。諸政党の上にそびえるような国家は存在しない。
これに対し、大陸型の政党においては、諸政党の上にあくまで国家が別個に存在する。権力を担うのは国家であって政党ではない。政党政治と国家は疎遠であり、国家権力の中心に立つのはあくまで非党派的な官僚機構である。政党の方も自らを国家全体における部分利益の代表と自覚し、国民全体の利益の代表はすべて国家に委ねてしまう。その上で、権力を自ら構成するという重荷を負わず、自らの特殊利害を議会で表明する役割に徹するのである。すなわち、大陸型の政党は公然と自らを部分利益の代表と認めるが、そこには、政党の上に立つ国家が全体利益を実現するはずであるという前提があった。
イギリスの場合、二大政党は交互に、あくまで一時的にではあるが国家となる。政党が権力を構成する以上、政党とは別途に存在する国家は存在しない。したがって、この制度の下では、政党は特定の社会集団の特殊利害の代表者ではなく、あくまで国全体を代表するべきとされる。結果として、政党はそれ自体が特殊利害の担い手であるあるわけにはいかず、むしろ多様な利害は、各政党の内部において代弁されることになる。そのような利害は党内闘争において表明され、それにしたがって党内に右派と左派が形成される。言い換えれば、政党とは、それ自体が、多様な利害が表明されるべき公的なフォーラムなのである・・
・・このようなアレントの議論が示唆するのは、問題が政党の数ではないということである。より本質的なのは、政党が特殊な利害の代弁者ではなく、多様な利害を調整するためのフォーラムになりえているかどうかである・・(この項続く)

消費者団体訴訟制度1年

18日の読売新聞は、消費者団体訴訟制度ができて1年になるので、その成果を評価していました。不当な契約に対して、被害者に代わって、消費者団体が差し止めを請求できるものです。それまでは団体に権限がなかったので、問題ある業者に問い合わせても、相手にしてもらえないこともあったそうです。それが団体訴権を持つようになったので、悪質業者と強く交渉できるようになり、相手も態度を変えてきたようです。不当行為改善を申し入れた実績や、業者が改善に応じず訴訟になったケースも紹介されています。じわじわと効果が出始めていますが、まだ認知度が低いようです。
新聞が、新しい制度改正を書くのでなく、このように結果を評価するのは、良いことですね。