「連載「公共を創る」」カテゴリーアーカイブ

連載執筆状況

みなさん、お元気でお過ごしですか。梅雨が明けると、とても暑い日が続いています。今年の暑さは、こたえますねえ。

とはいえ、連載「公共を創る」の締めきりは、待ってはくれず。あんなにたくさん書きためたと思っていたのに、あっという間に、貯金が残り少なくなりました。
続き(第1章3(3)主体と手法の拡大)は7月中旬にはほぼ書き上げ、不安なところを関係者に確認してもらっていました。他方で、右筆に手を入れてもらうことを督促して、昨日、完成させました。

ここのところ、昼もなにかと用務が入り、夜は異業種交流会が続いています。昨日は冷房を入れて、頑張りました。

連載「公共を創る」第12回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第12回「哲学が変わったー成長から成熟へ 東日本大震災が覆した常識」が、発行されました。
今回からは、東日本大震災という個別の災害対処でなく、それを日本社会の変化や行政の役割の変化という、大きな構図の中に位置づけてみます。

大震災は、私たちが持っていたいくつかの「常識」を覆しました。それは、日本社会の基底で起きている変化を、露見させたのです。
日本は災害列島であること。防潮堤で守り切ることはできず、逃げることも必要であること。防災とともに、減災が重要であること。原発が安全だというのは神話であったこと、などです。

連載「公共を創る」第11回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第11回「町を再建するーまちとは何か 町のにぎわいの3要素」が、発行されました。
前回の津波からの復旧に続き、今回は、原発事故からの町の再建を説明しました。原発事故被災地では、津波被災地と異なった困難さがあります。
放射線量が低下する必要があること、場所によっては放射性物質を取り除く必要があること。住民の中には戻らないと決めた人がいること、戻ってくる人も徐々に戻ってくること。住民が戻らないと、商業の再開は遅れ、商業が再開しないと住民は戻らないこと・・・。

そして、これまでの復興を通じてわかった、町の暮らしが何で成り立っているかについて、解説しました。道路や建物を復旧しただけでは、町での暮らしは戻らないのです。産業となりわいの再生、コミュニティの再建が必要です。
公共施設の完成をもって、復旧が完了したとは言えません。住民とそこでの暮らしが戻ってこそ、復興なのです。

連載「公共を創る」第10回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第10回「町を再建するーまちとは何か 町を復旧・復興する」が、発行されました。
前回の「町をつくり直す難しさ」に続き、実際にどのようなことをしたか、説明しました。

まずは、施設や住宅の復旧です。元の場所では危険な場合は、高台を切り開いたりかさ上げして、町の基礎を造りました。
通常の災害復旧はこれで完成ですが、今回は続いて、暮らしの再建に取り組みました。産業再建やコミュニティの再建です。

原稿は続くよどこまでも~、その2

原稿は続くよどこまでも~」の続きです。もちろん、この表題は「線路は続くよ どこまでも~」のメロディーで読んでください。

執筆に際しては、具体事例と抽象的考察とを組み合わせることに、気を遣っています。具体事例だけだと主張にならず、抽象的主張だけだと理解してもらえません。
大学の先生の公共政策論や社会論は、その分析の鋭さに感心するのですが、私たちの実生活と離れている場合も多いです。日本社会、近代社会を分析し記述すると、抽象的にならざるを得ないのでしょうが。「その分析とご指摘はもっともですが、明日から私たちはどのようにしたらよいのでしょうか?」と質問したくなります。
私の論考は、復興や行政の現場で体験し考えたことなので、現場密着型です。しかし、そこから問題点と今後の方向性を提示しなければなりません。「公共を創る」と銘打ったのですから。

読み物として、読者に読んでもらえるような工夫も必要です。学術論文ではありません。
専門誌への連載という「制約」もあります。1回に載せる分量を、ほぼ同量にそろえる必要があります。きっちりと3ページとか4ページに収める必要はないのですが。今回は1ページ分で、次回は5ページ分になるのは、編集長が困ります。
で、まとめて送った原稿を、数回に分割してもらいます。ほぼ均等にならないときは、文章の構成を再考します。とはいえ、そんなにうまく行かないので、途中で切って「続く」と入れてもらいます。

頑張った甲斐あって、第1章3(1)と(2)をほぼ書き上げました。(3)を書いて、第1章を完成させます。書きためて余裕を持っておかないと、毎週締め切りに追われるようでは、精神衛生上よくありませんからね。