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社会

連帯責任の負の効果

10月31日の朝日新聞オピニオン欄「連帯責任を考える」から。

為末大さん(元陸上選手)
・・・個人の時間に個人が起こした問題も集団の問題だというなら、個人の時間にも組織が介入してくる構造になります。「チームや組織が大きくなれば、いろんなひとがいて問題も起きるよね」と一歩引いて考えてみるべきではないでしょうか。
実際、スポーツ界もそういう方向に変わりつつあるとは感じています。変化の理由のひとつは、選手がスポーツの外の世界に触れ、海外スポーツの状況を知ったこと。ソーシャルメディアの存在も大きい。当たり前だと思っていたことが、そうではないと気づいたのです。
ひとつの組織に帰属していた時代に連帯責任は機能しました。しかし、これから肩書が複数になったり、利益相反の関係が複雑になったり、組織の連帯も弱くなっていく時代です。そういう意味では今後、連帯責任を問うことは難しくなっていくと思います・・・

菊澤研宗さん(慶応義塾大学教授)
・・・企業経営の現場、働く現場も連帯責任と無縁ではありません。それがどんな効果を生むのか。制度論的に考えると問題が起こる前と後とで、がらりと様相が変わる点が特徴的です。
うまくいっている時は、各自が他人に迷惑をかけないように努力します。相互に点検し、協力し合って失敗を減らすので、効率はよくなる。そうした点は、この制度のプラス面と言えるでしょう。
でも、もしだれかがミスをすれば、全員が罰を受ける。失敗していない仲間にも被害が及び、組織は危機に陥ります。それを回避するため、組織的な隠蔽が発生します。そうなると、連帯責任はあしき制度になりさがる。
なぜそうなるのか。メンバーが機械のように損得を計算するからです。ミスを公表して全員が罰せられるよりも、隠蔽した方が計算上は得だからです。自分を取り巻く外部の状況を考慮し、損得に基づく行動は自分以外に原因があるので他律的と呼ばれます。こんな集団に、みなで責任を負う仕組みを持ち込むと、危険だということです・・・

・・・連帯責任は日本的な仕組みかもしれないですね。個人主義的な欧米から見れば、異質に映るでしょう。政治学的視点に立てば、連帯責任は個人を否定し、全体主義的なので「悪」に見えるかもしれません。でも悪い面ばかりではないからこそ淘汰されずに残っているのだと思います・・・

個人商店の消滅、コンビニの氾濫

津波被災地では、まちの復興が進んでいます。視察をして、気になることがあります。
町中の商店が、コンビニばかり目立つのです。八百屋や肉屋、荒物屋といった個人商店や専門店は、見当たりません。
関係者に聞くと、コンビニだと、店主は品揃えや仕入れに悩まなくてもすむのです。何万種類にも上る商品が、バーコードを使ってコンピュータで管理され、品薄になると配送センターから補充されます。次々と新商品が棚に並べられ、売れない商品は撤去されます。

極論すると、店主はその仕組みの管理人であり、アルバイト店員の管理人です。もちろん、いろんなノウハウや悩みはあるのでしょうが。
個人営業の店だと、どのような品物をどれだけ仕入れるかを、悩まなければならないのに比べ、その違いは大きいです。個人商店が、コンビニのように新鮮なおにぎりやサンドイッチを、欠品なく並べることは難しいでしょう。また、その背景には、問屋さんの機能の縮小もあるのでしょう。
消費者にとっては、品揃えの多いコンビニやスーパーマーケットが便利です。

個人商店が減り、コンビニやスーパーマーケットに代わられる。この傾向は、被災地だけでなく、日本全国で進んでいるのでしょうね。
私は道路を走っている車の窓から見ているので、道路脇に立っている目立つ3種類(セブンイレブン、ローソン、ファミリーマート)の看板を見ているから、なおさらそう思うのかも知れません。

なお、10月31日の朝日新聞夕刊「あのときそれから」は、1974年の「大店法施行」でした。中心市街地の商店街衰退を解説しています。当初は大型店対中小小売業だったのですが、その後は郊外の大型店と中心市街地の構図になりました。
そして、町の中心が空洞化し、車を持っていない人には買い物が不便な町になりました。さらに、困るのは飲食店です。飲んだら運転してはいけないのですから。
この点では、日本の多くの都市は、街づくりに失敗しました。

精神的な不調に苦しむアスリート

11月1日の朝日新聞オピニオン欄、バスケットボール元女子日本代表主将・小磯(旧姓・浜口)典子さんの「アスリートと心の病」から。
バスケットボールの女子日本代表選手として5度のオリンピックに挑み、アトランタ(1996年)とアテネ(2004年)の2回、出場を果たした小磯さん。アスリートの心の問題への関心を訴えています。

・・・2010年に引退後、想像もしなかった自己嫌悪や絶望感に襲われ、精神的な不調に長く苦しんだからです。18歳で初めて出た1992年のバルセロナ五輪予選から引退まで、私の毎日はすべて、五輪で戦う準備の日々だったと言っても過言ではありません。ところが、引退後は、心にポッカリと穴が開いたような気がして、何も残っていない自分を痛感しました。
これは私の個人的体験ですが、燃え尽きて心を病んだり、目標をなくし生きがいを失ったりするアスリートは少なからずいる、とも聞きます。自分の経験を語ることで、見過ごされがちな選手たちの心のケアにも社会が関心を持ってくれればと思っています・・・

「その頃、息抜きとか気分転換になるような趣味は?」という問に。
・・・ありませんでした。姉の影響で小学4年からバスケを始め、高校は県内一の名門に特待生で入学し、18歳で実業団チームに。バスケで自分の生活をたてたいという必死な思いだけで、社会や会社のことなど何もわからないまま成長しました。
忘れもしない出来事があります。引退間際の欧州遠征で、生まれて初めて先輩の指示に「それは違います」と口答えしました。思いをはっきり伝えたその翌日、移動する空港の貴金属店でピンクのジュエリーが驚くほど輝いて見えたんです。ピンクがピンクに、草木の緑が鮮やかな緑に見えた。世界にはこんなに色があふれているんだと驚きました。目上の人の言うことは絶対という世界にいて、色もきちんと見えないほど、感覚が摩耗していたのかもしれません・・・

「東京五輪が2年後に迫りました。現在の盛り上がり方をどうみていますか」について。
・・・マスコミも含め、国全体で盛り上げようとするのはわかります。ただ『感動物語』があふれ過ぎていないでしょうか。諦めず努力して挫折を乗り越え、栄光をつかむ、そんな話が多くないですか。だれもが努力次第で成功者になれるというのは幻想で、現実には努力では越えられない壁が多くあります。若いアスリートが自分の努力不足が原因ととらえ、自分を追い込み、痛めつける方向へ向かうことを心配しています・・・
原文をお読みください。

小中学校でのスマホ禁止

10月23日の東京新聞が「学校でスマホOK?」を伝えていました。フランスの小中学校では、スマホを禁止したのだそうです。

・・・フランスは今年9月、すべての幼稚園と小中学校内でスマートフォンなどの使用を原則禁じる法律を施行した。勉強に集中させるとともに、校内での盗難やネット上のいじめを防ぐなどの狙いだ。世界では授業で積極的な利用を呼びかける国もあり、スマホと教育との関係は模索が続いている。
禁止されたのはスマホを含む携帯電話やタブレット端末、通信機能などがあるスマートウオッチ。仏生活環境調査観察研究所の調査によると、12~17歳の86%が携帯電話を持っており、中学生は大部分が影響を受ける。高校は学校の判断で独自に禁止できるが、すでに導入しているところは多い・・・

・・・スウェーデンでは、長時間のスマホの使用が脳や神経の発達に悪影響を及ぼすなどとして、フランス同様に禁止は定着している。2016年の調査では、10~15歳の57%が禁止に理解を示した。
ドイツでは9月、教職員組合がいじめへの懸念から、14歳以下の子どもの学校持ち込み禁止を呼びかけた。英国では学校ごとに対応が委ねられている・・・

・・・イタリアでは2007年から携帯の教室持ち込みを禁じていたが、2016年に解禁。政府は校内のWi-Fi化やブロードバンド化で、授業でも積極的に使用できる環境整備を進める。ファラオネ教育次官は「学習障害のある子どもにとっても助けになる」と述べ、全体的な学力向上が期待できるとの認識を示した。スペインでも解禁する自治体が相次いでいる・・・
・・・米国では校内への携帯電話の持ち込みを認める動きが広がっている。連邦政府機関のまとめでは、校内での携帯使用を禁じる公立学校は2009年度の91%から、2015年度には66%まで大幅に減った。
ニューヨーク市は2015年春、「子どもの安全が高まる」として携帯の持ち込みを解禁。これを主導したデブラシオ市長は父親としての経験から「保護者は子どもに電話したりメールを送ったりできるべきだ」と主張し、解禁の意義を「家族の尊重」とも述べた。・・・

原文をお読みください。

ピンピンコロリとはいかない

10月18日の朝日新聞オピニオン欄「最期は好きにさせてよ」。

上野千鶴子さん(社会学者)の発言から。
・・・現場を歩いてきた経験から断言しますが、施設や病院に進んで入りたいお年寄りはいません。お年寄りは住み慣れた「おうち」が好き。でもそれは「家族と一緒にいたい」という意味と同じではありません。自分以外に誰もいない「おうち」でもおうちが好き。目をつぶっていても、電灯スイッチの位置がわかるとか、住まいとは身体の延長のようなものです。
施設を選ぶお年寄りは、子どもに迷惑をかけたくないという理由から。親を施設に入れる子どもは自分の「安心のため」。親の幸せのためではありません・・・
・・・いま、独居高齢者の数が増えています。2017年の厚生労働省の調査では65歳以上の高齢者世帯のうち、独居世帯は26・4%、独居予備軍の夫婦世帯は32・5%です。以前は死別してひとりになった親を子ども世帯が呼び寄せて同居するケースが多かったですが、独居になっても世帯分離が定着してきました。それ以前から世帯内での家計分離が起きていました。この変化のスピードは私の予想を超えています。
理由は単純です。「独居」はやってみると親にとっても子にとってもラクなことがわかってきたから・・・

遠矢純一郎さん(内科医)の発言から。
・・・ピンピンコロリが実現できるのは、せいぜい1割ほどの方たち。ほとんどの方は様々な病気とつき合いながら、老いていくのが現実です。だれもが「我がこと」として考えないと間に合いません。急に脳卒中になる可能性だって、あります。
私も鹿児島にいる母を自宅で看取りましたが、いざ当事者になると知らないことだらけでした。必要な窓口がどこにあるかを含め、戸惑いました。慌てず、望ましい最期を迎えるために、家族と意思を早めに話し合うことが大切です・・・