昨日の続きです。司馬遼太郎著『明治国家のこと』、「『坂の上の雲』秘話」p148~。
・・・そして、その学者は、逆に質問したのです。
「ヨーロッパは方言によって国ができています。どうして中国も方言ごとに、広東国とか四川国とかできなかったんでしょう。それなら隣国にとって大きな圧迫にならないのに」
そう言うと、シラクさんは練達の政治家ですね、こう言われた。
「ドクター、恐ろしいことをおっしゃいます。日本がいくつできると思いますか」
つまり国家には、適正サイズがあるということでしょうね。フランスもイギリスも大きな国ではありません。日本も適正サイズでした。中国は大きすぎる。そのことをわかってやらなくてはならない・・・
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韓国の難しさ、司馬遼太郎さん
今日は趣向を変えて、久しぶりに読んだ本から。1か月以上前に読んだのですが・・。パソコンの前には、そんな本がいくつも積み上がっています(反省)。司馬遼太郎著『明治国家のこと』(2015年、ちくま文庫)、「『坂の上の雲』秘話」(1994年、海上自衛隊幹部学校での講演)からp147~。
・・・シラクさんというフランスの政治家がいますね。私の友達で姜在彦(カン ジェオン)博士(花園大学教授)という人がいます。その友人のある学者が、シラクさんに会ったことがあります。シラクさんが言いました。
「どの民族にも、その地理的環境によって永遠の問題、苦しみがありますが、韓国にとっては何ですか」
「中国です」
韓国人の学者は答え、続けました。
「頭の上にあんなに大きな国が、古代からのしかかっている。中国の文化を取り入れなければ、中国から襲われそうです。中国に甘い顔をしていれば、植民地にされるかもしれない。近代に入って中国の文化が停滞すれば、韓国も自然と世界からは遅れる。韓国は中国に対してずっと、アンビバレント(二律背反)な心を持ってきました」・・・この項続く
近過去を学ぶ
読売新聞の土曜日連載「昭和時代」は、1980年代に入っています。4月11日は、土光臨調でした。学校での歴史では、古代から近代までは詳しく学びますが、近過去のことは、案外詳しく学びません。まだ歴史になっていないという理由もあります、そして定番の本ができていないという理由もあります。古代や明治から始めた授業が、現在までたどり着かないという場合もあるでしょう(私もそうでした。苦笑)。このような私の年代にとっては「つい昨日のこと」(オンリー・イエスタデイ。もっともこの本が対象とした1920年代は、今では歴史になっています)も、若い人には「体験していないこと」であり「学校でも習っていないこと」です。
学者の解説書が出るには、時間がかかるでしょう。また、幅広い対象を取り上げるのは、無理があります。その点、新聞社は資料といい記者といい、資源がそろっています。この企画は良い企画だと思います。若い人にぜひ読んで欲しいです。インターネットでは読めないようですが。連載後、本になっています。
中世と近代との違い、ものの認識。司馬遼太郎さん
司馬遼太郎著『明治国家のこと』(2015年、ちくま文庫)、「ポーツマスにて」p98。
・・中世という時代規定はあいまいだが、私のイメージでは、西洋・日本をとわず、人間が、しばしば激情に身をまかせた時代といったふうな印象がある。
さらには、中世にあっては、モノやコト、あるいは他者についての質量や事情の認識があいまいで、そこからうまれる物語も、また外界の情景も、多分にオトギバナシのように荒唐無稽だった。人知が未発達だったということではない。そういう認識の空白のぶんを大小の宗教がうずめていた・・
・・近代においては、社会をおおった商品経済(貨幣経済)が、人間をそれ以前の人間と訣別させた。学校ではなく、社会が、モノやコト、あるいは自他を見る目を育てたのである。
このことは、日本ではすでに江戸中期において、物を質と量で把握し、社会のできごとを商品の流通を見るような冷徹さで観察できるようになっていた。また貸借という行為によって、ヨーロッパにおける意味とはやや異なるものの、個人という意識を成立させた・・
経済成長を問い直す。2
昨日の続きです。記事のなかで、待鳥先生の主張が参考になります。
・・・しかし、経済成長を社会変化の原因と見なすだけで良いのだろうか。基本的で素朴な議論になるが、ここではあえて、経済成長そのものが人々の行動の結果だという観点を改めて強調しておきたい。
近代以降の経済成長に大きな役割を果たした要因の一つは、技術革新だとされる。技術革新の背景には、現場での創意工夫から研究室での理論構築や実験まで、無数の人々が自由な着想を自分の仕事に生かそうとした行動があった。経済成長はそれらが集積した結果だった。このような行動を許容し、促したのは、社会が全体として持ち始めた自由であった。身分による縛り、迷信などを含む古い価値観の制約などから解放され、人々が自由になったことが近代社会の大きな特徴だが、それはやがて、自由になった人々が何を追求するのかも自由だ、という発想にもつながっていった。幸福追求権である。その中で、積極的かつ自由に経済活動にいそしみ、豊かになろうとすることも、幸福追求の一環として理解されるようになった・・・
さて、少し政治学や社会学に、話を発展させましょう。
日本が経済成長に成功したのは、先進諸国をお手本に追いかけたからです。しかし、それだけでは、世界中の後進国の多くが最近まで、なぜ日本のように成功しなかったのかの答にはなりません。「日本人が優秀だから」は一つの答ですが、すると近年になって成長著しい新興国は、最近になって国民が優秀になったのでしょうか。日本人は、江戸時代は劣っていて、明治になって優秀になったのでしょうか。違うでしょう。
向上心を持って努力する国民性は、この大きな要素です。しかし、それを持つことができる社会、それを許す社会が、それ以上に必要なのです。江戸時代と明治以降の違いです。各人が、自由に学問や職業を選ぶことができる社会。個人の立身出世が、社会の発展に組み込まれたことが、日本社会を躍動的なものにしました。田舎の農家の子弟が、才能に恵まれ、努力すれば(そして運がよければ)、大学教授(博士)にも、大会社の社長(実業家)にも、政治家(大臣)にもなれたのです。もちろん、経済事情や家庭の事情で、完全に自由であったわけではありません。
そこには、自由と平等、努力できる社会が、日本の経済発展の基礎にあったのです。各人の欲望の解き放ちがあり、それが社会に組み込まれたのです。明治維新を成し遂げた元勲とその後を担った政財界の大立て者も、江戸時代に生まれていたら、単なる変わり者だったでしょう。
社会の安定や個人の幸せを考えた時に、経済成長率の大小以上に、このような自由で平等な社会が重要です。そのような観点からは、戦後日本の発展を支えたこのような社会的条件が失われていないか。若者に夢と活力を失わせていないかが、心配です。それは格差の固定であり、子どもの貧困であり、家庭を持てない非正規雇用などの問題です。これは、経済と経済学の問題ではなく、政治(学)と社会(学)の問題です。