カテゴリー別アーカイブ: 歴史

マスク着用、みんなが着けているから

8月11日の日経新聞夕刊に、興味深い記事が載っていました。「マスク着用の動機? みんな着けているから
・・・新型コロナウイルスの感染が拡大する中、日本人がマスクを着ける動機は、感染が怖いからでも他の人を守るためでもなく「みんなが着けているから」。同志社大の中谷内一也教授(社会心理学)らのチームが11日までに、インターネットで行ったアンケートから、こんな結果をまとめた・・・

・・・「感染すると症状が深刻になる」「やれる対策はやっておく」などの理由が、それぞれマスクの着用頻度にどの程度影響するかを示す標準化偏回帰係数という指標(最高は1)を算出したところ、断トツは「人が着けているから」で0.44。次は「不安の緩和」で0.16、「自分の感染防止」や本来の効果とされる「他人の感染防止」は0近くでほぼ関係がないとされた・・・
・・・中谷内教授は、人々に望ましい行動を促すには、マスクのように「みんなやっている」という同調心理をくすぐるのが有効とみる。ただ「やりすぎると窮屈な監視社会になる」とし、施策への応用は慎重にやるべきだと注意を促した・・・
教授の論文」「教授のホームページ

法律による規制をしなくても、自粛で行動を誘導できる日本社会が、良く現れています。同調圧力がきついですね。太平洋戦争中の雰囲気と、通じるものがあるのでしょう。「自粛警察」という言葉ができました。

李登輝元総統

台湾の李登輝元総統が7月30日に、亡くなりました。
中国文化に詳しい肝冷斎は、30日の記事(終わりの方)を李登煇さんに捧げ、「小さな島国とはいえ、ゴルバチョフと周恩来と池田勇人を一人でやったような人ではないかと思います」と評価しています。

日本統治下や、大陸から来た国民党の支配下では耐えて頭角を現し、総統となっても弱い権力基盤や支持から、徐々に権力を固めました。
大陸中国という大きな敵から牽制されながら、民主化と自由化、選挙による総統選出、平和的政権交代、そして経済成長を成し遂げました。暴動や内乱なしにです。それが起きたら、中国から介入されたでしょう。
世界の歴史に名を残す政治家の一人だと思います。
ご本人の著作も多いですが、いずれ日本でも、評伝が出版されるでしょう。

『科学の社会史』

コロナウイルス外出自粛の時期に、紀伊国屋新宿本店も閉店していた時期があり、書斎の本の山を物色しました。連載執筆のために読まなければならない本や、読みかけの本がたくさんあるのに、ほかの本に手を出す悪い癖です。
いや~、いろいろ出てきました。「そういえば、この本は××の時に買ったな」のほかに、「こんな本も買ったのだ。なぜだろう」と思うものまであります。いつもながら、反省。
その一つを読み終えました。

古川安著『科学の社会史 ルネサンスから20世紀まで』(2018年、ちくま学芸文庫)。勉強になりました。書名の通りの内容です。発明や発明家の歴史ではありません。科学と技術が社会をどう変えたか、また社会が科学と技術をどのように求め変えたかが書かれています。社会史です。
この点、哲学史や思想史、社会学史の多くは、偉人の思想の歴史であり、社会との関係(社会をどう変えたか、社会はなぜそれを求めたか)が書かれていません。「日本思想史

これだけの長い歴史、科学と社会の関係という大きな主題を、この大きさの本にまとめるのは、難しいことです。長々と書くより、短くする方が難しいのです。
西欧の近代の科学技術は普遍的な性格を持っているのに、各国がその発展に力を入れます。第6章以下に、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカが順に取り上げられます。そしてそれが行き着いた先は、二つの大戦での国を挙げての兵器開発でした。残念ながら、日本は取り上げられていません。
そして、20世紀後半になって、科学の発展について疑問が生まれます。このままで良いのか。それは、原爆であり、公害や自然破壊です。また、遺伝子工学による生命倫理の問題もあります。
研究者、企業、国家によって、科学技術の研究と発展は、止まることがありません。そして、それぞれの研究は、真理を探求するため、社会をよくするために行われます。しかし、個別の研究を勝手に進めていて良いのか。研究者に任せるだけでなく、社会や政治による制御が必要になりました。

「マックス・ウェーバー」

野口雅弘著『マックス・ウェーバー』(2020年、中公新書)を読みました。新書版という大きさに、ウェーバーの人生と学問が、切れ味良く整理されています。専門家はもっと分厚い本を読むのでしょうが、一般人には新書版はありがたいですね。内容は、本を読んでいただくとして。

私の学生時代は、マルクス経済学が下火になり、ウェーバーが一つのはやりでした。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は必読書でした(実は、当時読んでもよくわからなかったのです。後に飛ばし読みしたら、わかるようになりました)。『職業としての政治』も。
理念型(イデアルティプス)。近代の合理性、官僚制。信条倫理と責任倫理。正統的支配の「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」の3つの類型。価値自由(これは「没価値」と訳されていて、私は長らく誤解していました)。

ところで著者の野口先生は、訳語に注意を払っておられます。『職業としての政治』を『仕事としての政治』と訳しておられます。この本でも、「没価値」を「価値自由」と、「心情倫理」を「信条倫理」と、「脱魔術化」を「魔法が解ける」と訳した方がよいと書いておられます。なるほどと思いました。

「日本思想史」2

日本思想史」の続きです。
私が知りたいのは、国民・大衆の思想です。ところが、学問の思想史で取り上げられるものは、一部知識人階級のものであって、その他多くの民衆の考えではありません。

僧の説く仏の教えを、どこまで庶民は理解したでしょうか。文字の読めない多くの庶民は、絵解きの地獄や極楽を見て理解しました。そして、そのような世界観で、毎日を暮らしたのでしょう。
そのほかに、儒教の教え、神様の信仰、習俗となったお祈りや祭りなど。庶民の道徳、倫理です。そして、個人の意識と社会の共通意識があります。

そこには、
・ものの見方(価値観を含む。大人になったら働き結婚するものだ)
・道徳(規範。嘘をついてはいけない。他人には親切にする)
・生きる意味・死後の世界(世界観。私の存在理由)
の3つがあるでしょう。
あわせて、意識(認識)のほかに、感情(気持ち)があります。国民感情、庶民感情と言われるものです。

連載「公共を創る」では、社会の変化を見る際に、数値で表すことができるものとともに、社会の意識を取り上げています。国民は何を求めたか、何に向かって努力したか、何に満足したか、何を不安に思っているかです。知識人の思想だけでは、これらは見えてこないのです。
何か良い書物がありませんかね。教えてください。