カテゴリー別アーカイブ: 歴史

国際情勢、1930年代との類似

中国とロシアが、アメリカや西欧に対立する最近の国際情勢が、1930年代と似ているという説があります。3月31日の日経新聞、ギデオン・ラックマンさんの「1930〜40年代繰り返すな 当時の日独、現中ロに酷似」も、その一つでした。

・・・対立する2つの陣営が世界に出現したことで新たな冷戦が始まったとの議論が沸き起こっている。新冷戦も米ソの冷戦と明らかに似たところがある。つまり、中ロが米国を中心とする民主主義諸国を敵視する一方、今回もいずれの陣営とも同盟関係を結んでいない多くの途上国(最近は「グローバルサウス」と呼ばれている)が、どちらにもつかないで両陣営の動きをそばで見ている点はそっくりだ。

しかし、歴史を振り返れば米ソ冷戦以上に今の状況に似た時代がある。それは世界各地で緊張が高まった1930~40年代だ。当時も今と同じく、欧州とアジアの2つの権威主義国家が、英米が不当に世界を支配しているとみなし、強い不満を抱いていた。30年代にそうした不満を募らせていたのはドイツと日本だ。
朝日新聞は1941年に日本政府の公式見解を要約する形で、米国と英国が「アングロサクソンの世界観に基づく世界支配のシステム」を押しつけていると訴えた。こうした不満は現在、ロシアの国営放送や中国共産党系のメディアの環球時報が時折伝えている・・・

よく残った着物文化

3月30日の日経新聞夕刊「人間発見」、誉田屋源兵衛十代目山口源兵衛さんの「着物文化、よくぞ残る」から。

・・・そもそも世界の民族衣装に比べたら、着物はよくぞ残ってると思う。着付け教室があるような不便な民族衣装なんてほかにあらへんやん。血の記憶なんやろか。もう日用品ではないけど、着物には確かな存在理由があると思う・・・

・・・日本の染織が世界一いうことをわかってへんのは日本人だけ。明治以降、西洋の価値基準や文化をくぐってしまったせいなんや。今の若い人は日本の古典音楽もドレミで解釈してる。海外ブランドくぐったから着物もドレミの目で評価しはるわけや。これが伝統的な着物ですよ、と言うても、嫌なものは嫌や、となる。もうごまかせんのや。
そんなお客さんを満足させられる着物や帯を作れるか、ということや。けど、俺は西洋に媚びたりはせん。こっちには日本のすごい美意識を土台にした強さがある。なんで西洋の水準に合わせなあかんのや、と思うてる・・・

・・・これだけの染織技術が今に伝わっているのは、鎖国で産業革命が100年遅れて手仕事が生き残ったおかげや。着物の存在もこの技術を守ってくれた・・・

ルーヴル美術館展

先日、国立新美術館で開催中の「ルーヴル美術館展 愛を描く」に行ってきました。
「愛を描く」という主題で、作品が選ばれています。なるほど、このような展示もありますね。ルーブル美術館などは古今東西、膨大な数の美術品を集めていますから、そこから展示品を選ぶとなると難しいです。ごった混ぜになると、見る方も疲れます。

「愛」と言っても、西欧の歴史では大きな変遷があります。
古典古代の時代は、ギリシャ神話やローマ神話での愛で、神々の愛です。生身の人間は出てきません。しかし、男女の愛を神様に仮託して描いたのでしょう。
中世は、キリスト教の愛です。これは、男女の愛ではありません。
ルネッサンスのあと、かなり時代が経ってから、現実社会での男女の愛が絵に描かれるようになります。
共通するのは、女性の美しさを表現することです。そして中世以外は、裸像です。
ところで近世では、理想的な愛だけでなく、俗な愛も描かれています。娼婦や不倫と思われる絵です。注文した人がいたのです。これらは、どこに飾られたのでしょうか。お客さんが来る応接室や、子どもたちもいる食堂や居間には掛けなかったでしょうね。

国立西洋美術館の「憧憬の地 ブルターニュ」もよかったです。祝日の上野公園は、大変な人出でした。

『古代豪族 大神氏』

鈴木正信著『古代豪族 大神氏 ─ヤマト王権と三輪山祭祀』(2023年、ちくま新書)を読みました。

「大神」と書いて「おおみわ」と読みます。大和盆地の南西、桜井市に三輪山があります。その麓に、三輪山をご神体とする大神神社があります。桜井市は明日香村の隣です。大神神社には、子どもの頃に初詣にも行きました。それはそれは大変な人出でした。
「大神と書いて、なぜおおみわと読むのか」、不思議に思っていました。
三輪山の周辺には、箸墓をはじめたくさんの古墳があり、また初期の大和朝廷の宮殿が置かれました。でも、天皇家の崇拝する神社は大神神社でなく、はるか東にある伊勢神宮です。

大神氏という、三輪山をまつる豪族がいたのですね。物部、大伴、葛城、蘇我などの豪族の名はよく出てきますが、大神は知りませんでした。というか、出てきたのでしょうが忘れていました。
限られた古文書、それも後世に人の手が加わっています。それと出土した遺物から、歴史を組み立てる。一種の推理小説です。しかも小説と違い、「これですっきりした」とはなりません。

近代化で受けた心の傷

2月18日の朝日新聞読書欄、モリス・バーマン著『神経症的な美しさ アウトサイダーがみた日本』(2022年、慶應義塾大学出版会)についての、磯野真穂さんの書評「急速な近代化がもたらす後遺症」から。

・・・本書前半の一節が甦った。
「(あらゆる先進国が)中世から近代への移行によって受けた傷は精神的・心理的なもので、現実の始原的な層(レイヤー)を押しつぶし、そこに代償満足を補塡した――実に惨めな失敗に終わったプロセスである(略)そこには、実存ないしは身体に根ざす意味の欠如がつきまとっている」
・・・
著者は日本を先進国への移行過程で最も傷を負った国であるとする。英国が200年かけた近代化を、日本は20年ほどで成し遂げねばならなかったからだ。古来より受け継がれた暮らしのあり方を捨て、西洋を模倣し続けた日本人。その精神は西洋への憧憬と、心の核を求める煩悶の間で分裂し、虚無に泳いだ。これはあらゆる先進国が抱える問題であるが、日本はその速度ゆえ、後遺症が神経症レベルで現れ続けていると著者は分析する・・・