カテゴリー別アーカイブ: 報道機関

人手をかけるほど悪くなる文章、サラリーマンジャーナリストの限界

朝日新聞7月28日論壇時評、小熊英二さんの「メディアの萎縮 まずい報道、連帯で脱せ」から。落語の「目黒のサンマ」を紹介したあと。
・・・こんな話をするのは、昨今の報道に、これに通ずる傾向があるからだ。たしかに「間違い」はない。人手も予算もかけている。しかし「まずい」のだ。
ときどき、へたに人手や時間をかけるより、少人数で素早く作った方が、シャープな番組や記事ができることがある。「どこからも文句が出ないように」という姿勢でチェックを重ねたりすると、それこそ脂と骨を全部抜いたような報道になったりするからだ。この問題は、組織が大きくなると起こりやすい・・・
ええ、国会答弁案も、作成過程でたくさんの人の手が入ると、問題はないけれど何を言いたいのか分からない文章になります。
このあと、次のようなもっと重要な指摘が書かれています。
・・・大手の方が保身的だという傾向はもちろんある。だが国連人権理事会特別報告者として来日したデービッド・ケイは別の原因を指摘する。それは「連帯」と「独立」の欠如である。
ケイはいう。日本では「ジャーナリスト間での仲間意識が感じられません」。主要メディアは自社の特権を守るため、独立系メディアを記者クラブから排除している。そこにはジャーナリストどうしが連帯する仕組みがない。連帯意識がないから、ミスを犯すと、他の記者や他の新聞社から攻撃をあびる。彼らは連帯して権威と闘うよりも、それぞれが権威に頼ることを選びがちとなってしまう。
つまり連帯がないから、独立もできない。この傾向は、大手としての権威に頼っていたメディアの方が強いだろう・・・

新聞の見だし

4月27日の読売新聞夕刊に、「東電に3100万円賠償命令」という記事が載っていました。福島第一原発事故で病院に入院中の患者がバスで避難させられ、死亡した事件です。遺族が東電に賠償を求めた裁判の、東京地裁の判決です。この事件は、原発事故とともに、避難誘導が適切に行われなかったという、反省すべきことです。
ところで、今日ここで取り上げたのは、新聞の書き方についてです。読売新聞には、「遺族側の代理人弁護士によると、東電側は避難と死亡との因果関係は争わず、賠償額が主な争点だった」と書かれています。他方で、朝日新聞夕刊は「避難患者死亡、東電に責任 東京地裁、原発事故で賠償命令」という見出しです。この見出しを見ると、東電が患者死亡について責任の有無を争っていたと読めます。記事にも、東電が因果関係は争わず、賠償額が争点だったことは書かれていません。これは、誤解を招きますね。編集者も気がついたのでしょうか、翌28日朝刊には「3100万円賠償、東電に命令 入院患者、原発避難で死亡 東京地裁判決」という見出しになっていました。
気になって他紙を見たら、毎日新聞28日朝刊は「東電は死亡との因果関係を認めており、賠償額が争点だった」、日経新聞28日朝刊は「東電側は原発事故と死亡との因果関係は認め、賠償額を争っていた」と書いています。

新聞報道のあり方、朝日新聞

3月23日の朝日新聞「紙面審議会」から。
鈴木幸一・IIJ会長
・・・朝日新聞はクオリティーペーパーを自負する一方、数百万部という発行部数からみれば、大衆紙と捉える方が妥当である。クオリティーペーパーとしての矜持を保ちつつ、発行部数を守るため大衆に受け入れられる要素も盛り込まねばならない。この矛盾を抱えながら一つの紙面をつくることが、朝日新聞の記事内容、記者の育て方、何よりも経営のあり方を難しくしているのではないか。
例えば、私の仕事であるIT分野を掘り下げ、ITという巨大な技術革新が世界をどのように変えていくのかといった視野を持ち、経営者に目を開かせてくれる記事を書ける専門記者を育てているだろうか。かつては同じ記者が長期間同じ分野を担っていたように思うが、昨今は短期間で別の記者に担当替えしているようだ。
ある出来事を報道する時、その評価については、ほとんどが学者や有識者とされる方々の意見を掲載していることが多く、新聞社としての見解は控えめだ。記事は記者が事実をなぞった、表面的な内容になっていると感じる。読者に分かりやすい、かみ砕いた記事を書き、分析もできる専門知識を持つ記者も必要なのではないか。産業以外の国内政治、国際政治、社会、文化などの分野では、専門記者が育っているのだろうか・・・
湯浅誠・法政大学教授
・・・経済的格差が広がるときは、政治的見解も二極化する。いま、そんな時代に入ったと思う。こういうときに、これまでのように、穏健な意見を社会に投げかけるだけでは足りない。テーマの選定や切り口など、「これくらいではないか」という従来の「相場観」は一度見直すべきだと考える・・・
中島岳志・東京工大教授
・・・一昨年以来の朝日新聞バッシングは、単に慰安婦報道に向けられたものではない。戦後の朝日ジャーナリズム、ひいては戦後民主主義に対する不満・鬱屈が噴出したものと捉えるべきだろう。その根源には「自分たちは正しさを所有している」という朝日の態度に対するいらだちがあるように思う・・・

今年は読売新聞

このHPでは、毎年この時期に、勉強不足あるいは説明不足の記事を批判しています。今年は忘れていたのですが、ある人から指摘を受けました。以下に、その要旨を転記します。
「今年は、読売新聞でした。23日朝刊に、しかも大きく見出しで『警官3000人増員3億4500万』と出ています。一人あたり11万円です。お手軽警察官ですね。いろんな事情もあるのかなと思って本文を読むと、『全国の警察官を3000人増員する予算として、3億4500万円が復活折衝で認められた』と詳しく書いてあります」
この記事を書いた記者さん、それを載せたデスクは、どう思っていたのでしょうか。これが事実としても、それなら解説が必要ですよね。

偏った報道、媚びる発言。復興の真実を伝えて欲しい

復興庁の職員が、災害に関する国際会議に出席して、東日本大震災からの復興状況を発表しました。彼の帰国報告から。
出席者(海外の研究者)の発言、「日本の報道からは、復興が遅れているという印象しか持っていなかった。日本政府がこれほどしっかり復興に取り組んでいるとは、知らなかった」。
日本人研究者の発言「インドネシアでは、3年で住宅が復旧した。日本はようやく着工した程度で、遅い」に対して、インドネシアの研究者は、「住民が自ら周辺の木材を使って家を元通りにしただけ。日本のように、防潮堤や高台移転などの安全対策をしっかり議論した上で住宅を再建していく方が、時間はかかるが賢明だ」と発言しました。
日本のマスコミの偏った報道は、困ったものです。マスコミの人と議論すると、「遅れている点を指摘することが、マスコミの使命」とおっしゃいます。そのような役割はあるでしょう。しかし、進んでいることも取り上げないと、偏った情報は、間違った情報になります。
また、この研究者の自虐趣味も、良くないですね。外国人に媚びを売るのも、悪い癖です。そうすることで、相手国を賞賛しているとでも思っているのでしょうか。学問や研究の世界で媚びを売っても、評価されないでしょう。
インドネシアの津波からの復興への取り組みの方が、日本政府の取り組みより優れていると、本気で考えているのでしょうか。もちろん、インドネシア政府も、復旧に力を入れています。しかし、日本のインフラや住宅の復旧は、技術と言い予算と言い、世界最高級のものです。