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生き様

アメリカ旅行2・3つの都市

今回の旅行は、ボストンとニューヨークで子供たちに会うことでしたが、ワシントンも回ってきました。結果として、特徴の異なる3都市を、見ることになりました。

ボストンは、アメリカの古都。人口60万人あまりの、落ち着いた都市です。イギリス風の美しい町並みが残っています。高層ビルはありますが少なく、低い建物と緑の公園が美しいです。また、学生の街です。日本で言うと、京都より、金沢でしょうか。
ワシントンは言わずとしれた、首都です。政治的いきさつから首都が置かれた町で、その機能に特化しています。日本で言えば、永田町と霞が関が大きくなったものです。
そして、ニューヨーク。競争の町と言ったら良いでしょうか。マンハッタン島は、戸建て住宅が禁止され、高層ビルが建ち並ぶ、商業・金融などの業務都市+ミュージカルなどの娯楽の町です。改めて、その形に感嘆してきました。形だけだと、東京の大手町と丸の内がそのまま大きくなったようなものです。公園や暮らしが感じられない、コンクリートとガラスの町です。
彼の地で仕事をしたら、もっとすごさが分かるのでしょう。金の威力がすごいです。高層住宅の1フロアが100億円の住宅だとか・・・。トランプタワーも見てきました。ニューヨークには、ほかにもいくつかトランプ氏所有のビルがあります。

ボストンは、今のアメリカ合衆国発祥の地です。プリマス植民地(ボストンの南)から、イギリスからの移民が町を作り、それが独立革命を経て、今のアメリカ合衆国になります。ボストン・ティーパーティー事件の地です。
南北アメリカ大陸は、コロンブス以来、スペインとポルトガルが先行して植民地化しました。しかし、それはいわば「収奪の地」としてです。原住民とアフリカ大陸から連れてきた奴隷を使って、鉱産物や農作物を本国へと収奪します。「人は平等だ」という教えのはずのキリスト教・カソリックは、彼らを人間として扱わず、この収奪に手を貸します。
それに対し、イギリス植民地は、自営農民の定着です。故国を追われ、あるいは捨てて、この地で暮らすことを選びました。もちろん、原住民を追いやることになるのですが。こちらでは、住民の自立が基本にあり、自分たちで町を作るという民主主義が発達します。また、国よりも先に町ができるので、自治も発達します。

歴史のイフですが、もしイギリス人がアメリカ大陸に植民せず、スペインとポルトガル、さらにはフランス植民地だけだったら、アメリカ大陸の歴史も大きく変わったでしょう。また、南北戦争で、南(黒人奴隷を使った大規模プランテーション経済)が勝っていたら、アメリカ合衆国の歴史も変わっていたでしょう。そして、世界の歴史も変わっていたでしょう。

アメリカ旅行3に続く

アメリカ旅行1・見物

夏休みをとって、キョーコさんと、アメリカ(ボストン、ワシントン、ニューヨーク)に行ってきました。

現地では、ツアーを使って、効率よく見所を見て回りました。
ボストン美術館とメトロポリタン美術館は、客は私たち夫婦だけという、ぜいたくなものになりました。興味のあるところを、ガイドにじっくりと解説してもらえました。特にこれを見たいという意図はなかったのですが、次の2つを見ることができました。
ボストン美術館では、ゴーギャンの我々はどこから来たのか。我々は何者なのか。我々はどこへ行くのか」です鎌田浩毅先生が、『地球の歴史』(2016年、中公新書。上中下3巻)の帯に使われたあの絵です。
メトロポリタン美術館では、ベラスケスの「オリバーレス公伯爵」に巡り会いました。オリバーレスは、先だって彼に関する本を読んだばかりだったのです(6月17日の記述)。あの本を読んでなかったら、絵の前を通り過ぎたでしょう。感慨を持ってしばらく眺めました。

と書いたら、25日の日経新聞文化欄「名作オペラで読む絵画」は、モネの「ラ・ジャポネーズ」(西洋女性が真っ赤な派手な着物を着て、扇子を持っているあの絵です)を取り上げていました。これも、ボストン美術館の目玉として飾ってありました。

ニューヨークでは、日食を見ることができました。皆既日食はアメリカでは99年ぶり。ニューヨークは75%の日食だそうです。町の通りには、たくさんの人が出て、空を見上げていました。大騒ぎです。
観察用のサングラスを持っていなかったので、雲を通してちらと見ていたのですが(これも目を痛めます)。ロックフェラ・センター69階の展望台に登ると、日食観察用のサングラスを配っていました。それをもらって、ばっちり見ることができました。
偶然は、いろんなところに転がっています。

アメリカ旅行2に続く

夏休みを取りました。

長らくお休みをいただきました。その間、このページを訪ねてくださった方も多かったようで、カウンターも上がっていました。お詫びします。

夏休みをとって、キョーコさんと、アメリカ(ボストン、ワシントン、ニューヨーク)に行ってきました。
海外旅行も久しぶりですが、私的な旅行は20年前に両親を中国に連れて行って以来です。さらに、キョーコさんと海外旅行に行くのは、35年前の新婚旅行以来です。
当時私は27歳。「40歳になったら、また海外に連れて行く」と約束しながら実行せず、ようやく約束を果たしました。
「退職したら、罪滅ぼしのために、夫婦で海外旅行」というのが、知人たちの「お約束」のようです。私は、去年夏に事務次官を退任したのですが、そのまま非常勤の国家公務員(福島復興総局事務局長)になって、夏休みどころではなかったのです。
今回は一大決心をして、実行しました。娘婿と息子がこの夏同時に、ニューヨークとボストンに留学したので、彼らに会いに行くという大義名分も立ちました。

肝冷斎からは、「旅行中も、見聞を実況中継しなさい」と指示を受けていました。このホームページを加筆できるように、パソコンも持って行ったのですが。せっかく仕事を離れて、奥さん孝行の旅行しているのに、そんなことは忘れた方が良いですよね。
とはいえ、全くの音信不通は仕事で迷惑をかけるので、ホテルで毎晩、電子メールの確認はしました。残念なことに、何かと連絡が来ました(苦笑)。便利といえばそうですが。日本からの電話は、携帯電話が一度だけ鳴りました。「いや~、今アメリカなんですわ・・・」とお詫びしながら、仕事の話をしました。
彼の地で考えたこともありますが、おいおいこのページに書きましょう。

アメリカ旅行1・見物」に続く