カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

経験とともに怖くなる

日経新聞夕刊の「人間発見」は、25日から俳優の加藤剛さんです。加藤さんは、俳優生活50年のベテラン。テレビの「大岡越前」で、おなじみです。
・・・ところが、長く俳優をやっていながら、人前に立つ自信がありません。舞台初日の開幕までの心細さ。終演までの「魔の時間」を前に、鏡の中の自分の扮装姿を眺めると、映った相棒は何とも頼りない。開幕ベルが鳴り響き、背中を押されて舞台へ出ていきますが、常に自信がない。少年時代の学芸会も「役が付きませんように」とひそかに祈ったほどです。そんな私がなぜ俳優になったのか、実に不思議です。
思えば駆け出しの頃は、この仕事がそれほど恐ろしくなかった気がします。「人間の条件」(俳優デビュー作)をはじめ若い時分の映像を眺めていると、よくあんなことができたな、と驚きます。若さがそれをさせたな、と。だが、どんな仕事も完成はなく、どこで完成なのかがわからない。年とともに役を演じる怖さがわかってきたのでしょう・・
あの堂々とした大岡越前守の演技の裏(本当の姿)です。達人や名人というのは、こういうことなのでしょうね。

ものを拾う

職場で、ゴミや書類などが落ちていたら、あなたはどうしますか。
A 知らんふりをして、通り過ぎる。
B 部下に注意する。
C 黙って拾う。
我が職場は、民間ビルなので、清掃員が毎日掃除をしてくれます。それでも、クリップが良く落ちています。大臣室まで往復すると、3つくらいは貯まります。私が、下を向いて歩いているから、見つけるのでしょうかね(苦笑)。
今日は帰りの地下鉄で、定期券を拾いました。座った向かい側の座席に、手帳らしきものが落ちているのを見つけました。しばらく見ていましたが、左右に座っている人も、気がつかないようです。私が降りる駅が近づいたので、そばに行って「これは、あなたのですか」と聞き、誰も反応がないので、中を見たら定期券でした。駅員に届けましたが、落とした人は困っているでしょうね。
私もこれまで、いろんなものを落としたり、電車に忘れたりしたので、他人のことを言えた立場ではありません。万年筆、傘・・・。

目は口よりも、ものを言う

昨日の「社会脳」、相手の心を読むにはアイコンタクトが重要だ、という話の続きです。
「目は口ほどに、ものを言う」という、ことわざがあります。私は、「目は口よりも、ものを言う」だと、思っています。次のような場面を、想定してください。
場面1。あなたが、部下や子どもに、お小言を言います。相手は「申し訳ありません。私が悪かったです」と言いながら、視線はあなたではなく、空を見ている場合。「こいつ、本気には反省していないな」と思うでしょう。言葉より、目の方が、本心を表しているのです。
場面2。あなたが失敗をして、母親か奥さんを怒らせてしまいます。その際に、お母さんや奥さんが「良いわよ、こんなことは許してあげるから」と言いながら、目はつり上がり、目の中には炎が燃え上がっている場合。「許してもらえた」と思いますか(リアルですねえ・・。苦笑)。
人の脳は、男性で平均1.4キログラム、女性で1.3キログラム。体重の約2%しかないのに、体全体が使うエネルギーの20%を使っているのだそうです(『社会脳の発達』p20)。道理で、学生の時に勉強すると、おなかが減りました。
社会人になると、人と話す場合が、最も疲れます。私の場合は、授業や講演会もヘトヘトになりますが、気を遣う人との会話が最も緊張し、疲れます。同じ一対一でも、気心の知れた人とは、それほどは疲れませんが。相手の発言と顔色に全神経を集中し、相づちを打ち、話題を発展させと、気を遣いますよね。横で聞いている人は、「全勝さんは、無神経によくあんな発言をしますね」とあきれますが、これでも、結構気を遣っているのです。
その際に、相手の視線と顔色をうかがい、心を読むとともに、時機を失せずに言葉を継ぐことも重要です。相手が、「私の言っていることが正しいだろう」とか「私は美人」と発言した際に、「おっしゃるとおり」または「御意」という言葉を、間髪入れずに返すかどうかです。返事が、0.5秒遅れたら・・・。

相手との関係を作る脳の力

千住淳著『社会脳の発達』(2012年、東大出版会)を読みました。出張の新幹線と宿は、本を読むにはありがたい時間です。
ヒトは、他人がいなければ生きていけない動物です。「社会」がなければ生活できない動物です。その社会行動を、脳神経から研究するのが、社会脳研究、ソーシャル・ブレインズ研究です。
他人と共生する際に必要な能力、それは相手の心を読むことだそうです。相手が何を考えていて、何をするのかを予測します。なるほど。
その際には、アイ・コンタクトや相手の視線がどこを向くかを読むことが、重要であること、自閉症者は相手の心を読むことが不得手であることなどが、実験によって示されています。いくつもなるほどと思うとともに、まだまだわからないことが多いこともわかります。
普段の生活でも、相手の心を読むことは重要ですよね。その先を読んで、当方の次の発言や行動を考えます。それが、円滑な会話や良好な関係を生みます。もっとも、間違った先読みをして、失敗することも多いですが。

かつて読んだ、藤井直敬著『ソーシャルブレインズ』(2010年、講談社現代新書)を思い出しました。手元のメモには、次のようなくだりが、書き留めてあります。
喜びも、他者との関係性の中で感じるもので、モノによって感じるものではない。
赤ちゃんは、他者との関係性がないと死ぬ場合がある。
意思決定とは、たくさんの可能性を絞り込むプロセス。ルールは、社会からトップダウン的に与えられるだけではなく、各個人がそれを受け入れ、咀嚼して脳内に取り込むことで成り立っている。
ルールは、社会というシステムとその構成要素である私たちの間で起きる相互作用によって維持、実行されている。各人が、ルールを受け入れる理由は、認知コストを少なくできるから。無限の可能性から選ぶというコストを、選択肢を狭めることで、少なくする。そしてそれは、社会の安定性を増す。
今回この記事を書くに当たって、確認しようとしたら、本が見当たりません。本棚にないということは、床に積み上げた山の中に埋もれているということでしょう。捜索は断念しました(反省)。

いつの間にか9月が過ぎました

今日は、10月1日。また、私の了解なしに、9月が過ぎました(笑い)。この1月間に、何をしたか。それを考えて、反省しています。先月も、同じことを書きました(9月3日の記事)。
手帳を見ると、いろんなことをしているのですが。中学の時に、先生が朝礼でおっしゃった言葉が、今も焼き付いています。「酔生夢死」です。「明るい係長講座」でも書いたので、詳しくはそちらをご覧ください。
「何をしたか」は、会議の回数や出張の回数ではなく、忙しさでもなく、「何を達成したか」で計られるべきです。もちろん、今直ちに結果が出ないものもあります。種をまいていることも、多いです。でも、12月には、「今年は、これをした」と、書きたいですね。
時々、「何になった」(あるポストに昇進した)ことを成果に誇る人がいます。でも、それはあなたにとって成果でも、組織や社会にとっては成果ではありません。「である」ことでなく、「すること」「したこと」で計りましょう。
「であることとすること」は、もちろん、丸山真男先生の『日本の思想』(岩波新書)の名文です。