岡本全勝 のすべての投稿

2007.03.17

16日の衆議院内閣委員会で、地域再生法改正の審議と採決が行われました。民主党の質問は、引き続き一部、通告なしでした。例によって、大臣の後ろに控えて、メモだしをしました。よく働かせてもらいます。国会テレビでは、その様子が正面から映っていたとのことです。後で知人から、「審議官になっても、あんなことをしているのですか」と、笑いの電話がかかってきました。その後、本会議で可決されました。民主党は反対でした。今度は、参議院で審議です。

市民の責任

5日の朝日新聞「時流自論」は、河合幹雄教授の「裁判員制が問う市民と情報」でした。
犯罪白書などによれば、2005年に送検されたのは212万人。そこから交通違反関係を除いても、48万人が検挙されている。しかし、裁判にかけられたのは14.6万人、刑務所に入ったのは3.3万人にすぎない。日本の司法現場の運用は、犯罪者をなるべく刑務所に入れない、入れても短期で出す。
誰か世話をする身元引受人を見つけて、起訴を見送ることが通例となっている。釈放してしまうのだ。それでも日本の治安は、先進諸国と比較してケタ違いに良い。この方針で、世界に類を見ないほどに、犯罪者の更正に成功してきた。警察官、刑務官、保護観察官、家裁調査官などのがんばりに加えて、保護司をはじめとした民間の特定の人々が、犯罪者の社会復帰を密かに支えてきたからである。
しかしこの仕組みは、犯罪者の社会復帰を一般市民の生活領域から遠いところで実現したために、市民は何もしなくても「犯罪と無縁の安全な社会」に居られるという感覚を持ってしまった。彼らの視点では、前科者は世間(市民の生活領域)に戻れていないのであるから、刑務所から短期間で出ていることなど、知るよしもない。
裁判員制度は、こうした「隠蔽する官」と「知ろうとしない民」に支えられた成功システムを終焉させるものである。なぜなら市民にとって、犯罪にかかわる情報を知ることなしに自分たちで量刑をすることは、不可能だからである。裁判員制度の導入と安全神話の崩壊は、一部の者だけが更正にかかわり、他の市民は何も知らずに任せきって安心できた伝統との訣別を促す意味で、同じ方向の変化である。それは、社会の透明性が高まり、市民が大きな責任を負う社会の到来である。(3月6日)
15日の日経新聞夕刊に、OECDの「女と男」報告書が、載っていました。それによると、日本人男性の交遊活動が突出して不活発で、世界で最も孤独だそうです。友人や同僚と業務外で外出したり、サークル活動に参加した経験は、17%の日本人男性がないと答え、2位のチェコの10%を大きく上回っています。
人生の満足度でも、ほとんどの国では男性の方が満足度が難いのに、日本では女性の54%に対し男性は52%です。もっと詳しく知りたいですね。

新しい仕事42

15日の日経新聞は、2006年に転職した人が346万人になったと伝えていました。調査を始めた2002年以降で、最多だそうです。うち女性が180万人、男性が166万人です。前の仕事より収入が増えた人は34%、減った人は37%です。もう少し分析しないと、その背景やこの数字の意味は分かりません。

2007.3.14

今日も、先週に引き続き、衆議院内閣委員会で、地域再生法改正の審議がありました。まだ衆議院は正常化せず、民主党は質問通告なしでの質疑でした。今回も突然、再チャレンジ寄付税制に関して質問があり、私は渡辺大臣の後ろに飛んでいって、メモ出しに励みました。「なぜ直接型では、フリーターは対象にならないのか」「地方自治体が認定したことに対して、国税を優遇するような仕組みは他にあるのか」・・。
自分では、小さな声で大臣にささやいているつもりなのですが、委員長席を挟んだ反対側に座っている衆議院事務局の人からは、「岡本さんの声は、良く聞こえますよ(笑い)」と言われてしまいました。与党の議員からは「緊急事態だから仕方ないよ」と言う声も。ハイ。何せ、簡潔に大臣に、要点をお伝えしなければならないのですから。

行政委員会

記者さんとの会話
記:教育委員会とか公安委員会も、行政機関ですよね。
全:そうだよ。行政機関には、独任制と合議制があって、委員会は合議制の機関。その二つは意思決定とか執行をする機関だけど、審議会のように意見を述べるだけの機関もある。
記:教育委員会が独任制でなく合議制なのは、政治的中立性を確保するためと習いましたが。
全:僕もそう習ったけど、疑問に思っているのよ。地方団体の場合、教育委員会や公安委員会は、首長から独立して=指揮監督を受けないことで、政治的中立性を確保するといわれている。でも、その機関が合議制であるかどうかは、別の話だわな。監査委員は複数いるけど、一人で行動できる。監査委員「会」ではない。
逆に、首長の指揮監督を受ける合議制の行政機関もあり得る。国家公安委員会は委員長が国務大臣で、内閣の一員。内閣総理大臣の指示に従うことになる。
記:なるほど。しかし、私が問題にしているのは、今議論になっている地方の教育委員会に対する文科大臣の指示です。首長からの独立性を確保するために委員会制度を取っているのに、それに対し指示をするなら、何も委員会制度でなくてもいいんじゃないですか。
全:ぼくも、そこが疑問なのよ。ただし、私の整理では、委員会制度にしたままで、首長の監督を受けるという方法もあるけどね。でも、それなら首長の監督を受ける独任制機関にした方がわかりやすいわ。
記:それは知事部局に入って、「教育部」になるということですか。
全:その通り。いつも言うように、国は教育委員会制度でない。文科省であり文科大臣。問題は、地域の教育について、誰が誰に対して責任を負っているか。今の委員会制度は、責任が不明確。さらに、首長でなく国が指示を出すとなると、教育委員会は住民でなく、国に対し責任を負うことになる。私の言うように、首長の元に置けば、責任ははっきりする。そして、それは国ではなく、住民に対して責任を負うことになる。
記:文科省でなく、首長がまずは指示をすべきではないですかね。いずれにしても、わざわざ行政委員会制度を取っていながら、国が指示をするということの意味について、行政法学者、行政学者の意見を聞きたいですね。
全:そうやね。ぼくの見解だけで記事を書くと、危ないよ。