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三陸の津波と宮城の津波

4月2日に陸前高田を視察した時に、津波被害地があまりに片付いていることに、驚きました。ほとんど何もなく、真っ平らなのです。市長さんにお聞きすると、「津波が引く時に、すべてを持っていった」とのことでした。23日24日に、宮城県と福島県を視察した時は、津波被害地域は、がれきが一杯残っていました。市町長さんに「津波は、がれきを持っていかなかったのですか」とお聞きすると、「残していった」とのことでした。
同じ津波でも、違うものだなあと考えていたら、24日の読売新聞に、三陸と宮城の津波の違いが、図解付きで解説されていました。高さや進み方が違うのですね。でも、ともに、破壊力はすさまじいものです。

小西先生の新著

小西砂千夫先生が『市場と向き合う地方債-自由化と財政秩序維持のバランス』(2011年、有斐閣)を出版されました。あとがきには、次のように書かれています。
・・地方債の市場はどのように機能しているのか、そこでは完全情報は期待できるのか、市場の不安定性はどこから来ているのか、地方債の安全性を担保している原理は何か。これを丁寧に解きほぐしていく必要がある・・
地方債については、これまでは、実務家の書いた制度解説と少しの書物しかなかったので、貴重な本だと思います。

被災地視察

23日(土曜)24日(日曜)と、仙谷官房副長官のお供をして、宮城県気仙沼市、亘理町、山元町、福島県相馬市に、行ってきました。現地を見せてもらい、市町長さんたちの要望を聞き、当方の問題関心をお伝えすることが主な用務です。
これらの町は津波被害が大きく、がれき(災害廃棄物)がたくさん残っています。400トンのマグロ船が、陸に上がっていたり。町の100年分の廃棄物があるという町もありました。これは難物です。田んぼの中の大きながれき、例えば家の残骸とか自動車は片付けても、地中にガラス片や金属片が残っていて、田としては使えないところもあると、おっしゃっていました。
首長さんたちは、それぞれ実情にあった対策を、知恵を出しながら行っておられました。市町長さんが何に気を遣っておられるか、良くわかりました。失礼な言い方ですが、各首長さんの競い合いです。「つらいけど、いつまでも後ろ向きじゃ、復興しないから」と、おっしゃいます。「まずは、産業復興だ。それがないと、町の将来はない」とも。「今回津波が来た地域は公園にして、市街地は高台に上げるつもりだ」とか、どんどん絵を描いておられます。
私の関心の一つは、避難所の条件改善です。今回おじゃました各避難所は、市町職員や応援に来た自治体職員が、避難所住民代表らと良く連携を取って、運営しておられました。食事も、住民参加で調理しておられたり、自立に向けて踏み出しておられます。同じ市内でも、間仕切りのある体育館と、無い体育館がありました。「足らなかったら送りますよ」と聞いたら、「いいえ、間仕切りがあると疎遠になるので、皆さんが『要らない』と言うんです」という答でした。
物資は、ほぼ行き渡っています。「最初の頃は、物資が来なくて困った。そのうちに国が手配をしてくれて、食事や石油が届いた」と、お礼を言ってもらえました。人手が足りないという所もあったので、「避難所で元気な人を雇って、作業をしてもらう仕組みがあるので、それを使ってください」と、お願いしてきました。仮設住宅建設も着実に進み、旅館などへの一次的避難(ショートステイのようなもの)も、利用の準備が進んでいました。
避難所では「早く働きたい」という声、漁港では「早く漁に出たい」という声が大きかったです。そのお気持ちは、良くわかります。私たちも、同じ予算金額で、生活のための失業手当のようなお金を出すより、働いてもらって賃金を渡す方が、個々人の満足度は上がると考えています。そして、復旧復興につながる仕事をしてもらうと、「一石二鳥」以上の成果が出ます。
旧知の市長さんや副市長さんもおられ、ご活躍ぶりが良くわかりました。それぞれに、自宅を無くされたり、職員を失ったり、つらい目にあっておられます。帰りに、福島県庁に寄って、原発事故対策に当たっておられる内堀副知事や、避難所担当の杉浦課長さんに、お話を伺ってきました。ご苦労をされておられます。

避難所の実態把握

3県の避難所を対象とした実態把握第2回目が、まとまりました。987か所のうち、第1回目か第2回目に回答があったのは、510か所です。これで約半数のか所について、実態が把握できました。水道等ライフラインが全く復旧していない避難所が、11 か所あります。おにぎりとパンのみの食事の避難所は、なくなりました。入浴できていない避難所は、ありません。もちろん、未だ回答を得ていないか所が半数あるので、この中には厳しい条件のところもあると、推測されます。
緊急物資の調達と搬送は、21日から、各県が行うようになったので、政府による支援は終わりました。徐々に、通常の災害対応に移行しつつあります。インフラも、急速に復旧しています。「現地の課題と生活支援本部の取組み」も、変化しつつあります。
もちろん、避難所の生活を改善しなければならないこと、仮設住宅の建設を急がなければならないこと、がれきの撤去を急がなければならないことなどのほかに、行き先が把握できていない避難者の方がたくさんおられることなど、大きな課題があります。

執務風景など

被災者支援本部のホームページが、日々充実しています。執務風景の様子が、載りました。
ここに載っている写真のうち、上の2枚が毎日11時から開いている運営会議です。大臣、官房副長官、副大臣と、事務局参事官がそろって議論します。右上の写真、仙谷副長官が指さしておられる先に、私が座っています。たいがいのことはここで、即断即決。
下の写真2枚が、物資の調達配送を行っている部隊の様子(内閣府講堂を間借り。約100人)です。右下の写真、左手前に歩きながら文書を読んでいるF参事官。左奥に、職員に指示を出しているY参事官が写っています。私も最初はここにいたのですが(左下の写真、手前真ん中の机が私の席)、人数が増えて追い出され、今は別の部屋にいます。
文書で記録を残すことも重要ですが、執務の様子は、このような写真で残す方が、後世の人にはわかりやすいと思います。

支援物資が、どのように運ばれているかも、写真入りで紹介しています。自衛隊の活躍なども、良くわかります。今回のヒット策は、物流業者による、物資の仕分けと配送アドバイスです。一時、物資の集積所に物があふれ、収拾がつかなくなりました。そこで、仕分けのプロを呼んだのです。良いことを思いつく職員がいたものです。
一番下の2枚の写真です。物流専門家と書いてありますが、宅配業者の方です。写真をよく見ると、見たことのある制服やマークがわかると思います。これも、文章で紹介するより、わかりやすいです。ありがとう、広報チームのみんな。