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日本近代政治史

坂野潤治著『日本近代史』(ちくま新書、2012年)を読んでいます。書評でも取り上げられているので、読まれた方も多いでしょう。とにかく、おもしろいです。おもしろいと表現するだけでは十分ではありませんが、わかりやすく、そうだったのかと勉強になります。
1857年から1937年まで(年表では1842年から1937年まで)の政治史です。この間を、改革、革命、建設、運用、再編、危機(とそれに続く崩壊)の6段階に分けて、日本の政治の成功と混迷と失敗を説明しています。約100年の歩みを簡潔に整理すると、このようになるのですね。もちろん、大胆に切ることで、切り捨てられていることも多いですが、それは仕方ないです。
私も大学以来、日本の近現代史は勉強したつもりですが、これだけの視野から整理するのは、なかなかできないことです。細かいことを深く調べる研究は、たくさんありますが。

この本が示していることは、この間の歴史が、何人もの「登場人物」と「集団」が、各々の利害と思いで行動した結果であることです。明治維新も、決して単線的に成し遂げられたものではありません。学校で習う歴史や概説書は、結果としての出来事しか書いていませんが、この本では、参加者の意図がどのように実現したか、または失敗したかが書かれています。歴史が人の営みであること、「人間くささ」が良くわかるのです。
他にも、なるほどと思うことが、多いです、1900年以降、立法府(政党)と行政府(藩閥と官僚)の連立がなりたち、2大政党の交代が実現しなかったこと、それは第2次大戦後の自民党一党支配と似ていること、などなど。

著者は、2011年の日本をこの歴史に当てはめると、第二次大戦が終わって再出発した1945年ではなく、危機の時代から崩壊の時代に入る1937年(昭和12年)にいると位置づけています。昭和12年が、危機の時代から崩壊の時代への「区切り」であることは、本書をお読みください。
今後の日本(政治)が、60年前のように崩壊の道を歩むのか、あるいは再編(立て直し)に成功するのか。日本人とリーダーの力量が問われています。歴史に学ぶのか、歴史は繰り返されるのか・・・。
現在の日本政治の混迷を嘆いておられる人には、一読をお勧めします。明治維新は坂の上の雲を目指して一本道を進んだと思っておられる方、「維新」や「革命」を叫べば、日本が良くなると思っておられる方にも。さらには、原敬が大正デモクラシーの象徴だと思っておられる方にも。
ただし、新書で450ページ。また、この間の大きな出来事は知っているとの前提で書かれているので、決して易しくはありません。

時間が経つのは早い、子育て終了

大型連休が始まりました。東京の初日は、天候にも恵まれています。4月に就職した息子が、初月給で食事をごちそうしてくれました。うれしいですね。同じく、就職した娘に食事に連れて行ってもらったのが、5年前でした(2007年5月2日の記事)。
それぞれ、子どもだと思っていたのに、大きくなりました。その分だけ、こちらは歳を取ったのですがね。

不可能の反対語は

朝日新聞4月26日の天声人語に、次のような文章が載っていました。
・・黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンに名言がある。「不可能の反対語は可能ではない。挑戦だ」。
久しぶりにこの言葉を聞いて、胸にずしんと来るものがありました。
人種差別のきつい時代に、それを切り開いていったロビンソン選手には、私なんぞには、わからないくらいの苦労があったでしょう。しかし、そのような境遇の違いを超えて、この言葉は、これまでにない仕事や困難な仕事に挑戦する私たちに、「勇気」を与えてくれます。
そうです。失敗するかもしれません。完璧な成果を達成できないかもしれません。しかし、それを恐れていては、難しい仕事、これまでにない仕事はできません。前例のない課題に、立ち向かっているのですから。
世間には、前例のないことに取り組むことが好きな人と、前例通りの仕事を好む人(前例がないことはしない人)の、2種類がいるようです。(2012年4月26日)

先日、「不可能の反対語は」で、ジャッキー・ロビンソンの名言を紹介しました。英語の原文を知りたくて検索したら、見あたりません。「ロビンソンの言葉ではないのではないか」という記事がありましたが。

復興推進委員会、現地調査

今日は、復興推進委員会のお供をして、福島県の調査に行ってきました。推進委員会は、外部有識者の方からなり、復興の現状を調査して、問題点や課題を指摘してもらうこととしています。今日はまず、福島県庁で、県の取組を聞き、警戒区域が解除された南相馬市、そして飯舘村仮役場に行ってきました。
4月はこれで、合計6日、福島に出張しました。

災害関連死

今日、大震災での「関連死」の人数を、発表しました。全国の市区町村の協力を得て、調べました。それによると、約1,600人もの方が、亡くなっておられます。死者の数が約1万6千人、行方不明者の数が約3千人ですので、あわせると2万人を超えます。阪神淡路大震災の時は、10年後に約900人でした。
病院が閉まったことによる慢性病患者の死亡、仮設住宅での孤独死などです。詳しくは、さらに調べて、対策を打つことにしています。