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福島復興の会議

今日は、福島市で、午前中は原発避難12市町村の将来像検討会、午後は国と地方の協議会でした。日曜日なのですが、大臣や首長、有識者の日程を調整すると、今日になりました。皆さん忙しいので。
これらの会議は、当初から現地福島で開催しています。国と地方の協議会には、復興大臣、経産大臣、環境大臣の他、それぞれの副大臣と総務大臣政務官も出席しました。個別の事案、またそれぞれの自治体には、この3省及び関係する省の職員が、しばしば説明に行きまた意見を聞いています。しかし、このように大臣が揃って現地で意見を聞くことは、重要な意義があります。何が進んでいるか、逆に何が進んでおらず課題になっているか、関係者の問題関心はどこにあるのかが、共有できるのです。締めの挨拶の中で、内堀知事が、「国と地方とでキャッチボールができるようになった。投げた球(課題、要望)が、的確に返ってくるようになった。予算、福島特措法改正、再生エネルギー問題など。すべて実現したわけではないが」との発言をされました。大臣からも「厳しいが内容のある意見交換ができた」との発言がありました。実のある会議でした。
朝は、荒川を渡る頃から、西に雪をかぶった富士山がくっきり見えました。帰りは、夕焼けの中に、きれいなシルエットが浮かんでいました。福島県内は、雪景色でした。

第2原発の冷温停止に成功した増田所長

東京新聞が、「証言、福島第1原発。全電源喪失の記憶」を連載しています。1月7日の第33回は、「本店、現場を想像できず」でした。
・・福島第1、第2原発の事故では、現場の状況を想像できない東京電力本店の言動に、現地で対応している所長らがいら立ちをあらわにする場面が何度もあった。第2原発所長の増田尚宏(53)も、よく覚えているシーンがある・・
大震災が起きた3月11日午後6時過ぎ、本店で送電線網を管理する担当者から「富岡線を切っても良いですか」との打診がありました。富岡線とは、第2原発にある4回線の外部電源の一つで、この回線だけが停電を免れました。この富岡線が生き残ったので、原子炉に水を入れたり水位計が使えたのです。この線が生き残ったことが、すべての外部電源を失った第1原発との明暗を分けました。その命綱を切ってもよいかと、本店は聞いてきたのです。富岡線は、東電の配電網の一つです。増田氏の発言です。「首都圏からはるかかなたに一本ぶら下がってふらふらしている系統なんて切っちゃった方が、首都圏の復旧が早くできると考えたんじゃないですかね。第2原発をなんだと思っているんだ、ふざけんじゃねえ、と思いました」。
また、13日頃には、原子炉注水に使える濾過水タンクの水が減り、枯渇しました。津波で破損した配管から水が漏れていたのです。増田所長は本店に、4千トンの水を送るように求めます。本店から「何とか水を調達できたので送ります」と回答がありましたが、それは4千リットルの給水車でした。本店は、飲料水と理解したようです。
・・増田は「これほどまでに感覚が違うのか」とがくぜんとしたが、怒りはしなかった。そして免震重要棟の緊急時対策本部内にいる部下たちに向かってこう言った。「もう人を当てにしても仕方がない。自分たちでやろう」・・
第1原発の指揮を執った吉田所長の苦労は、よく取り上げられます。しかし、第2原発を無事に冷温停止させた増田所長の功績は、あまり取り上げられないようです。外部電源が一つ残ったという違いはありますが、第2原発も第1原発と同じ状況にありました。一歩間違えれば、また少し対応が遅れれば、メルトダウンする可能性はあったのです。しかも事故当時、一部が運転を停止していた第1原発と違い、第2原発はフル稼働していて、危険度は第2原発の方が大きかったのです。増田所長は、第2原発での勤務が長く、施設・設備のすべてを知っていました。その幸運もありました。冷静に全体像を把握し、想像力を働かせ、そして判断を下していった増田所長。その功績は、もっと評価されて良いと思います。

世界の首脳の連帯を映像で見せる

朝日新聞1月29日オピニオン欄に、森達也さんが「対テロ、多様な視点示せ」を書いておられます。本旨と少し外れたところを、紹介します。
・・仏週刊新聞シャルリー・エブドへの襲撃事件直後、テロに抗議する大規模なデモ行進が行われたフランスに、世界40カ国以上の首脳が駆けつけた。「私はシャルリー」と書かれたプラカードを掲げながら「表現の自由を守れ」と叫ぶデモの様子は、最前列で腕を組みながら歩く各国首脳たちの映像と相まって、世界中に連帯の強さを印象づけた・・
・・実のところ各国首脳たちは、デモの最前列を歩いてなどいなかった。デモ翌日の英インディペンデント紙(電子版)に、首脳たちの行進を少し上から撮った写真が掲載された。見た人は仰天したはずだ。首脳たちは通りを封鎖した一角で腕を組んでいた。後ろにいるのは市民ではなく、数十人の私服のSPや政府関係者だ。つまり首脳たちは市民デモを率いてはいない。
ただしメディアが嘘をついたわけではない。首脳たちが市民デモの最前列で歩いたとは伝えていない。記事を読んだり映像を見たりした僕たちが、勝手にそう思い込んだだけだ・・
私も、この画像を見て、変だと思いました。職業病で、総理を危ないところに出してはいけないと考えます。ましてや、直近にテロが起こったところで、世界各国の首脳が集まるのです。テロリストにとってこんな「標的」は、めったにありません。近づかなくても、飛び道具を使えばよいし、命中しなくても近くで爆発すればよいのです。各国の要人警護担当が、よくまあこんな危ないことを許したなあと、疑問に思っていました。この解説で、納得しました。

奈良薬師寺、高田好胤さんの思い出

日経新聞夕刊こころの玉手箱、今週は、奈良薬師寺管主の山田法胤さんです。1月28日には、山田さんの若い時の話が載っていました。当時の高田好胤管主が、薬師寺の伽藍再建のために、参拝者に般若心経の写経を勧め、納経料として千円(最近は2千円)を寄付する仕組みを始められました。累計で777万巻になるそうです。おかげで、金堂も西塔も再建されました。すごく成功した「ビジネスモデル」です。最近では、どこの寺でもやっていますよね。
その頃、山田さんは、拝観者に説法をする役割を仰せつかっておられました。じっとして聞いていない修学旅行生を、どう引きつけるか。工夫をされたとのことです。
私も、高田好胤さんの説法を聞いたことがあります。若い人は、エンターテイナーと呼ばれた、名物僧の高田好胤さんを知らないでしょうね。中学生頃でしょうか。お正月に父に連れられて、家族で薬師寺に行きました。すると、高田さんが説法をされるところに出くわしたのです。内容はもちろん覚えていませんが、最後のところだけ強烈な印象を残しました。「行こう行こう、幸せの国に行こう」「行こう行こう、幸せの国に皆で行こう」というようなセリフでした。それを、お堂の中の参観者皆に、一緒に唱えさせるのです。そして、私たちが唱えると、「声が小さい。もっと大きな声を出さないと、幸せになれませんよ」と大きな声で叱るのです。これを繰り返しているうちに、私たちの身体は温まり(正月の奈良は寒い)、自分も幸せになれると自己暗示にかかります。
「上手なものやなあ・・」と、感心したのです。山田さんの記事を読んで、あの時のことを思い出しました。