ウクライナ避難民支援自治体研修

このホームページでお知らせしていた、「ウクライナ避難民支援自治体向け研修会」を、9、10日で実施しました。全国から自治体職員や支援に携わっている団体職員など、32人が参加しました。

市町村アカデミーの年間計画にはない研修でしたが、時宜にかなったものであり、よい成果を上げることができたと考えています。研修内容は、日本財団と関係者が知恵を出してくれました。このような「これまでにない課題」「現在進行形の業務」の場合は、完璧を求めてはいけません。まずは、できるところから始めることが必要です。
そして、同じ悩みを抱えている人たちが、集まって意見交換することが重要です。出入国在留管理庁も、自治体も、支援団体も、みんな手探り状態でしょうから。このような研修実績がなかったであろう法務省出入国在留管理庁と、自治体現場をつなぐこともできました。その場を提供できたことを、うれしく思います。

急な企画にもかかわらず、準備や実施に汗をかいてくれた職員に感謝します。これからも、自治体の新しい課題に取り組んで、自治体の期待に応えましょう。

在来線 国の予算わずか

7月31日の読売新聞「JR考(3)」「在来線 国の予算わずか」から。

・・・「鉄道局はとにかく予算が少ない。他の局から見れば鼻で笑われる規模だ」。今年初めて国土交通省鉄道局に配属された中堅キャリア官僚は言う。

総延長約2万キロ・メートルのJRを所管する鉄道局に割り当てられる予算は約1000億円。国交省全体の2%弱にすぎない。そのうち約800億円は、整備新幹線の建設費に充てられるため、在来線に使える金額は残された年間約200億円だ。JR東日本が28日公表した利用者の極めて少ないローカル線の赤字額は2019年度で693億円。鉄道局が在来線に割ける予算が、いかに限られた規模であるかが分かる。

一方、国交省の道路関係予算は毎年、予算全体の3割にあたる1・7兆円程度を確保し、道路整備に充てることができる。同じインフラ(社会資本)を扱うのでも予算額の桁が違う。総延長約128万キロ・メートルに及ぶ道路を管轄する国交省道路局の力の源泉となっている・・・

大谷翔平選手、104年ぶりの快挙

アメリカ大リーグ野球で、大谷翔平選手が、投手として2桁勝利、打者として2桁本塁打を達成しました。ベーブ・ルース以来、104年ぶりのことだそうです。すごいです。うれしいことです。

8月6日の日経新聞、安田秀一さんの「日本人が持つ可能性 なぜ大谷が生まれたのか」に次のような文章があります。

「なぜ日本からiPhoneが生まれなかったのか?」日本の昨今の経済の低迷を語る上で、象徴的に語られる言葉です。縦割り社会、官僚的体質、顧客目線より上司目線、などなどその原因は様々ですが、いまだに解決できていないからこそ、なかなか経済は発達しません。
では、「なぜ日本から大谷翔平が生まれたのか?」という視点でモノゴトを見てみるのはどうでしょう?!
勤勉さや真面目さが取りえの日本人が、器の大きなリーダーのもとに正しく最新の情報に触れて、懸命な努力を続ける。弱みが強みに変わり、大谷選手のような存在が各界から次々と生まれるのではないか?!
常識にとらわれない。上下関係をつくらない。世界の最新情報を手に入れる。若者の真の意見を聞く。
政財界のリーダーの方々には、「大谷翔平を見ろ! 日本の大空にキラキラ輝いているじゃないか!」という言葉をささげたいと思います。

この文章の前には、次のようなことが書かれています。

前回のこのコラムで僕は、「後進的と思われる日本のスポーツの現場からその競技をリードするような若者が現れているのはなぜだろう」と問題提起しました。いろいろ考えてみましたが、こんな仮説を考えています。
「日本人の特性とされる勤勉さ、真面目さにその理由があるのでは?!」
礼儀正しく真摯に野球に取り組む大谷選手の人柄からは、日本人の特性や美意識を強く感じます。我々日本人は自己中心的な考え方や感情的なふるまいを好みません。新型コロナウイルスの感染対策でも、欧米では法律で規制しましたが、日本はマスク着用を「お願い」するだけで、みんなが従いました。僕は、これまで日本のスポーツが追いつけなかったフィジカルで肩を並べたとき、こうした日本人らしい真面目さが優位に働いてくるのでは?と考えています。

ただ、そうした特性は自己主張や個性を嫌う同調圧力にもつながり、社会の進化を妨げる側面があることも否定できません。このコラムで僕はその弊害を何度も指摘してきました。つまり、もろ刃の剣なのです。一つ間違えれば我々の弱点となるこの特徴を、有効な武器として働かせるにはどうしたらいいのか?!
僕は、一にも二にも「情報」だと思っています。情報が入りづらかった島国の日本ですが、今はインターネットやスマホでいつでもどこでも世界の最新情報が手に入れられます。あふれるほど情報化が進んだ現代ではありますが、大谷翔平選手や佐々木朗希投手、あるいはボクシングの井上尚弥選手ら今までの常識を覆すような選手たちが、キラキラ輝くスポーツ界の北極星になるはずです。つまり、世界で活躍するトップアスリートたちが、正しい情報を見定める絶対的な基準になっていくと思っています。

スポーツ界を見ていると、情報統制型のリーダーは成果を上げられない時代になったことがよく分かります。既存の価値観にとらわれず、みんなで常に新しい情報をアップデートし、みんなで共有して試行していく。帝京大学ラグビー部の岩出雅之前監督がその筆頭ですが、そんな器の大きなリーダーがスポーツ界では結果を出しています。

報道機関の「保身」?

7月28日の朝日新聞論壇時評、林香里・東京大学大学院教授の「元首相銃撃事件 知られぬ事象、拾う報道こそ」から。

「安倍元首相 撃たれ死亡」
これは、7月9日の朝日、読売、毎日、産経、日経(以上東京版)の朝刊1面見出しだ。5紙とも、一字一句同じだった。
各紙はさらに翌週、宗教法人「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」が記者会見をし、容疑者の母親が会員だと認めた11日まで、揃って「特定の宗教団体」と呼び、その名を明示しなかった。事件後、「特定の宗教団体」で検索し、最初に教団名がヒットしたのは「現代ビジネス」や「Smart FLASH」など、出版系サイトだった。
画一化された見出しの付け方や、すでに周辺取材で明らかになっていたであろう団体名を報じない態度。ネット時代には、こうした態度こそ、陰謀論や誤情報を呼び込むことになりかねない。デジタル時代に期待される情報のスピードと、新聞社が培ってきた「紙の伝統」とがどんどん乖離してしまっていると感じる。重大事件では知り得た情報は確認状況も含めて随時出すことを原則とし、市民を信頼して判断を委ねるなど、発信のしかたを見直さないと乖離は埋まらないだろう。

こんな状況なら、私たちには新聞や地上波テレビは必要ない。大手メディアはもはや過去の遺物だ。そんな声も聞こえてきそうだ。が、それは間違いだろう。
新聞やテレビなど旧来型マスメディアには、まだまだ、私たちが何を考えるべきか、思考枠組みを提供する議題設定力がある。さらに、新聞やテレビという「老舗」が取り上げれば、その話題には社会的価値があるという権威付与の機能もある。知られぬ事象や届かない声を拾うことは、大手メディアにこそ求められるのだ。

幸せも民主主義も理想状態ではなく、そこを目指す過程

「人生における幸せは、理想とする状態(幸せと感じる状態)とともに、それを目指して努力する過程です」と、拙著『明るい公務員講座』で書きました。例えば豊かさが一つの幸せの指標だとすると、大金持ちになることは幸せです。しかし親からもらった金と、自分で稼いだ金とを比べると、後者の方が金額で少なくても、うれしさは勝るでしょう。幸せは目標とする「理想状態」であるとともに、それ以上にそこを目指す「努力の過程」です。
『明るい公務員講座』では、幸せな家庭も二人でつくらなければならず、与えられるものではないとお話ししました。それは定常状態ではなく、日々努力しなければならないのです。

連載「公共を創る」で、民主主義について書いていて、同じようなことを思いました。戦争に負けて、日本国憲法によって民主主義を手に入れました。当時の人は、戦前の抑圧された政治や社会から解放され、とても喜んだそうです。さて、その後の世代はどうか。生まれたときから民主主義制度は与えられています。そして、努力しなくても、この状態が通常だと考えています。

日本国憲法は70年以上も改正されず、世界で最も古い憲法になりました。その間に、環境権や人格権など新しい人権が生まれましたが、日本国憲法は1946年で止まったままです。与えられた憲法を守って、そこから進化する努力をしていないのです。平和についても同様です。戦後の日本は努力しなくても平和がもたらされると考えていました。ならず者が出てくると、それを排除しなければ平和は維持できません。そして、憲法が前提とした「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という条件がなくなりました。平和に関する考え方も憲法も変えなければなりません。民主政治も平和も、理想とする状態ですが、努力する過程がないと、実現しません。

ではなぜ、人生においても政治においても、幸せや理想は定常状態ではなく、努力する過程なのか。それは、人生も社会も止まっているのではなく、常に変化しているからです。生身の人間とそれが集まった社会は、天国のように時間が止まった世界、喜怒哀楽を感じない世界ではないのです。