マッセ大阪で講演

昨日3月18日は、マッセ大阪(おおさか市町村職員研修研究センター)で開かれた研究成果報告会「これからの自治体職員が身に付けるべき能力と研修体系研究会~高度情報化社会に向けて~」で、基調講演をしてきました。

府下市町村から、12人の職員が2年間にわたり勉強会をして、報告をまとめました。また、報告会には40人ほどの職員が参加しました。意欲のある職員たちです。報告書の内容とともに、この意欲が高く評価されますね。これからも勉強を続け、役所を変えていってください。

私の講演は、「機器の導入は仕事を変えるか」です。IT機器の導入で、役所の現場は仕事が効率的になったか。
私が公務員になってから40年あまり、職場に様々な機器が導入されました。複写機、ファックス、ワープロ、電子メール、エクセル、パワーポイント・・・。電子メールで連絡は便利になりました。インターネットで調べ物も便利になりました。オンライン会議も、便利です。

便利になった反面、機械に使われていると思える場面もあります。「機械が入ると仕事が大きく変わる」という信仰にも、「だまされた」と思うところもあります。機械に使われていることも多いです。「チェシャー猫」の絵は、この様子を表現してもらいました。
かつて宣伝されたOA(オフィスオートメーション)は、どうなったでしょうか。何が変わり、何が変わらなかったか。それを考えることで、私たちの仕事のよりよい進め方が見えてきます。

私たち事務職の仕事には、「頭でする仕事」と「手でする仕事」があります。機器は、手でする仕事を効率化してくれましたが、頭でする仕事を代行してはくれません。そしてもう一つ、「顔でする仕事」(対面。例えばお詫び)は、機器は代われないでしょう。

「民間事故調最終報告書」

アジア・パシフィック・イニシアティブ(船橋洋一代表)著『福島原発事故10年検証委員会 民間事故調最終報告書』(2021年、ディスカバー・トゥエンティワン)を紹介します。民間事故調報告書(2012年)に続く、第2弾です。民間事故調が「備え」に焦点を当てたのに対して、今回の第二次民間事故 調は「学び」に照準を合わせて検証しています。
私は原発事故には関わっていないのですが、船橋さんに呼ばれて、インタビューを受けました。少しだけですが、発言が載っています。復興過程においての話です。船橋さんは、ほかに『福島戦記 10年後のカウントダウン・メルトダウン』上・下(2021年、文藝春秋)も出版しておられます。

原発事故については直後に、国会、政府、民間の事故調査委員会が、詳しい報告書を出しました。しかし、まだ抜け落ちている問題、十分には検証されていない問題があると思います。それぞれの事故調は、なぜ事故が防げなかったか、冷温停止ができなかったかという、原発内の作業と官邸の指揮に焦点が当てられています。それは最も重要なことですが、原発の外で起きていた問題が十分に取り上げられていません。

一つは、事故当時の住民への避難誘導、国民への説明です。放射線で死んだ人はいないのですが、避難作業が適切でなく、避難途中で何人もの人が命を落としています。この責任を、明らかにすべきです。
もう一つは、避難指示区域の設定、賠償、復興についてです。これはまだ進行形ですが、10年経った今、一定の検証をしておくべきです。
政府が自ら検証しないとすると、国会や報道機関に期待するのでしょうか。

NHKウエッブサイトに載りました。

NHKウエッブサイト、政治マガジン「死ななければ、帰れないのか」(3月17日掲載)に、私の取材が載りました。原発被災地、帰還困難区域の扱いについてです。

原発事故による放射線量の高い区域を、政府(原子力災害対策本部)は、3つの区域に分けました。放射線量が低く早く帰還できる区域(避難指示解除準備区域、緑色)、少々放射線量が高く除染をして帰還を目指す区域(居住制限区域、黄色)と、放射線量が高く当分の間帰還ができない区域(帰還困難区域、赤色)です。
このうち、解除準備区域と居住制限区域は、既に避難指示を解除しました。残っているのが、帰還困難区域です。

3つに分けたのですが、「避難指示解除準備区域、居住制限区域」と「帰還困難区域」とは、扱いが大きく違ったのです。前者は帰還することを前提とし、待ってもらう区域です。賠償も、待ってもらう間のものとして計算されています。
他方で、帰還困難区域は長期間帰れないことを前提に、賠償を払った地域です。故郷喪失慰謝料や、新しい土地での住宅建設について不足する金額も支払われています。多くの人も、それを前提に新しい生活を始めておられます。
その帰還困難区域で、放射線量が予想以上に早く減衰したので、帰ることができる地域も出てきたのです。これは、うれしい誤算です。しかし、まだ放射線量が高い地域もあります。
放射線量が下がって帰還できるようになったら、その区域は避難指示を解除することはできます。まだ放射線量が高いところを除染して避難指示解除を急ぐかどうか。そこで、記事にあるような問題が生じているのです。

この件については報道されているのですが、このあたりのことがきちんと書かれていないようです。当事者でない私が発言するのはおかしいかもしれませんが、取材に応じて、解説しました。

世界銀行セミナー「東日本大震災から10年」に出ました

3月18日、世界銀行の特別セミナーで基調講演をしました。「ビルド・バック・ベター:東日本大震災から10年の歩みと今後の防災のあり方について」。オンラインでの開催です。世界銀行は、世界各国の事業に融資をしていますが、その際に防災の観点も重視しています。東京に、防災ハブという部門があります。

私の出番は10分間。世界に向けての説明、「よりよい復興」が主題なので、次の2点に絞って話しました。
1 10年で、大規模な復興工事を完了したこと。
2 その際に、元に戻すだけでなく、よりよい町づくりを試みたこと。すなわち、津波に強い町づくり(ハード、高台移転やかさ上げ)とともに、暮らしの再建(ソフト、産業再開とコミュニティ再建)へ政策転換を行ったこと。
この内容を10分間で、しかもゆっくり話すのは、けっこう難しいです。
私の発言は日本語で、英語が字幕で出ます。写真や図を元に説明するので、そのスライドが大きく映ります。

主催者の説明
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、改めて震災の恐ろしさと事前の備えの重要性を世界中に伝える出来事となりました。この震災を機に、世界銀行は日本政府と連携して東日本大震災からの教訓を報告書にまとめ国内外へ発信しました。
こうした日本の知見を活かしつつ、途上国開発の中で防災を主流化するため、2014年には日本財務省のご支援、ご協力により日本―世界銀行防災共同プログラムが開始され、その実施母体として世界銀行東京防災ハブが世界銀行東京事務所に併設されました。
東日本大震災は、大地震、巨大津波、そして福島第一原発の事故と未曾有の複合災害になりました。大規模災害や、異常気象によって頻発化する豪雨災害、干ばつ等に加え、現在、私たちが直面している世界的な感染症の大流行下において、今後防災対策はどうあるべきか。本セミナーでは、震災から10年となる節目の今、そこから得られた教訓や課題を今後の防災およびビルド・バック・ベター(より良い復興)にどのように活かしていけるのかご議論頂きます。

日本の暗黙の秩序、成長を阻害

3月6日の朝日新聞オピニオン欄「考・わきまえる」、宋文洲さんの発言「暗黙の秩序、成長の足かせ」から。
・・・「わきまえる」という日本語の定義を、私たち外国人に説明するのは難しい。「それぞれの立場(プレース)に従って」という訳し方では真意が伝わりません。「秩序(オーダー)に従って」が正確だと思います。「階級」とも言える。つまり、会社内の役職のように男女にも上下の階級があるとの前提で、「おまえの階級に合わせて物を言え」というのが、今回のわきまえる問題の本質なのでしょう。
この秩序や階級は、性別の問題に限らず明確に日本の社会に存在しているのに、外からは隠れていて見えません。なぜそのような暗黙の秩序があるのか。それは日本では、自ら社会の上下をひっくり返すような「革命」を経験したことがないためです・・・

・・・日本の戦後の高度成長は、GHQによって旧体制が一掃されたためにもたらされました。ソニー創業者の盛田昭夫氏やパナソニックの松下幸之助氏も旧体制では下っ端に過ぎなかった。でも、従来の秩序がひっくり返ったから、クリエーティブな人材が輩出し、経済も活性化したのです。しかし、秩序の根っこを自らの手で切らなかったため、効果は30年しか持たず、新たなわきまえが形成された。だからその後、経済は低成長に陥っているのです。
そのような今の日本でビジネスを成功させたいのならば、上手にわきまえたふりをすることが必要です。ベンチャーで成功したソフトバンク創業者の孫正義氏や楽天の三木谷浩史氏もそうでしょう。見た目からわきまえていない人は、周囲の支持を得られないから結果も出せません。
今こそ暗黙の秩序を壊す志の高い人が求められています。若い人は表面ではふりをしても、心では決してわきまえないで。力をつけて成功し、わきまえる必要を一切なくしてほしい。日本はもう変わらないとあきらめていましたが、今の若い人の間に、変革のマグマがたまってきている兆しも感じています・・・