国民に負担を強いる、差をつける

治療の選別」の続きであり、「世論調査項目、賛成ですか反対ですか」「憲法を改正できない国、その2」の続きにもなります。
国民に負担を強いることを考えてみます。それを喜ぶ人は少なく、どのように合意を取り付けるかが、政治の仕事になります。
それは、増税や公的保険料の値上げといった金銭負担だけではありません。外出禁止、行動制限、営業自粛など、国民の行動を制約する場合もあります。
負担そのものが反対されるだけでなく、誰にどのように負担を分配するかが議論になります。「公平」は一律に決まりません。利益を配る際にも、国民の反発を引き起こすことがあります。困っている家庭に30万円配るか、全員に10万円配るかは、これに当たります。

困っている人を助ける、それが金銭給付の趣旨でしょう。そして原資が限られているなら(通常はそうです)、なるべく効果があるように絞り込むべきでしょう。特定定額給付金の決定過程は、この問題を考えさせます。当初、収入が減った家庭を対象に30万円を給付する案でしたが、最終的には全世帯に10万円を配ることになりました。高額所得者をも、対象としたのです。

戦後日本が達成した「平等」は、他方で「国民に差をつけることができない」ことをも招いたようです。欧米をお手本に努力した時代は、国民もその憧れに向かって頑張り、また辛抱しました。経済成長期は、その果実を分配することですみました。しかし、成長が止まったとき、高齢化で負担が増える時代には、政治の役割は利益の分配から負担の分配に変わりました。そこに、政治の力量が問われます。

役所で行われる「改革」(組織人員の削減)の際の手法に、一律削減があります。予算要求の際の一律シーリング(予算要求額の上限、例えば前年比5%減とか)もそうです。「みんな一緒です」は受け入れられやすく、しかし説明、説得、判断を放棄した手法です。
その中でも官僚が編み出した「差をつける手法」が、一律削減を大きめに行い、生まれた「財源」を新しい政策や組織に回すことです。