アンリ・ピレンヌ著『中世都市』

アンリ・ピレンヌ著『中世都市 社会経済史的試論』(2018年、講談社学術文庫)を読みました。原著は1927年に出ています。ピレンヌの『ヨーロッパ世界の誕生』とともに、歴史学の古典の一つとして取り上げられます。
いつかは読みたいなあと、思っていたのですが。専門的で分厚いのだろうと、敬遠していました。昨年、講談社学術文庫で出版されたので、買ってありました。

名著と言われるだけのことはあります。古代ローマ時代から中世へ、そしてルネサンスへ。西欧社会が、商業、交易面で、なぜそのような変化をしたかを、分析したものです。
その大きな引き金が、地中海貿易の衰退です。ヨーロッパ内部の原因より、外部の原因が大きいという説明に、初めは驚き、なるほどと納得します。

このような古典が、文庫本で読めるのはありがたいです。最近は、分厚い本に挑戦する気力がなくて(反省)。
新幹線の中や布団の中で読むことが多いので、文庫や新書の大きさがありがたいです。昔に比べ、活字も大きくなりましたし。もっとも、難解な内容を避け、読みやすい内容のものしか、手に取らないのですが(ここも反省)。

できあがったものか、つくるものか2

できあがったものか、つくるものか」の続きです。
この2つの見方の違いは、社会や制度を「固定したものと見るか、変化するものと見るか」と言ってもよいでしょう。政治学・政治過程論では、ある政策ができあがる過程を学ぶのですが、できあがった結果を受け入れてしまい、それが固定したものと思ってしまうのです。

官僚や公務員に対する批判の原因の一つが、これだと思います。
公務員は、制定された法に従って、個別事案を処理します。「その住民が法に定められた条件に合致すれば生活保護の対象になる、合致しなければ対象にならない」というようにです。
ところが、法律の定めにないこと、あるいは法律が現実にそぐわなくなったときに、どうするか。かつてエアコンが行き渡っていない時代に、生活保護家庭がエアコンを入れたことが問題になりました。「贅沢品であるエアコンを取り外すか、生活保護対象から外れるか」とです。

「法律に書いていないので、だめです」というのか、法律の解釈を変えるのか、法律の改正や新法を考えるのか。制定法の解釈学で育っていると、またできあがった制度の分析で育っていると、改正や新法を作る思考にならないのです。
これに対し、今ある法律は、しょせんは「変化する社会に一時的に合致しているもの。社会は変化するので、それに従って変えるべきもの」という思考なら、どんどん改正するでしょう。

組織や制度を安定に維持するためには、発生する内外の変化に、対応しなければなりません。現実の変化に応じて改革し、その変化を吸収するようにしなければなりません。制度を維持し社会を保つためには、改革が必要なのです。
それら変化を時代の趨勢に任せて、管理者は何もしない場合もあります。それは保守ではなく、先送りであり、無為無策です。変化に耐えきれなくなると、組織や制度は壊れてしまいます。

「保守と革新」「維持と改革」といった言葉で、改革するかしないかが表現されますが、これは改革作業の大小を示していると考えるべきです。より大きな対立概念に「作為と無策」があり、作為の中に「保守と革新」があります。

オルテガ『大衆の反逆』

NHKEテレ「100分 de 名著」2月は、オルテガ「大衆の反逆」です。

政治学や法律学では、土地や親族や組織に縛られた中世や封建時代から、近代革命によって、「自由な個人」が生まれることを学びました。これは良いことなのですが、他方でそれが孤立を生むことを、社会学は指摘します。そして、社会主義革命による共産党独裁、ヒットラーによる独裁もありました。
本を読むことで、理解はしたのですが。それを乗り越えたことによって、民主主義は次の段階に進んだと、思っていました。
東西対立の冷戦もありましたが、西欧諸国の安定と経済発展、そして日本の安定と驚異的な経済発展の光の前に、独裁国家や孤独の問題はかすんでいました。

近年になって、ヨーロッパや南米諸国、さらにはアメリカでのポピュリズムや排外主義が強くなることで、「自由主義、民主主義社会での孤独、大衆の暴走」が改めて問題になっています。
「大衆の反逆」は1930年に出版されています。大恐慌が起き、ヒットラーが政権を取る直前です。現在に、当時と似た状況を思わざるを得ません。今回、NHKがこの本を取り上げているのも、そのような理由でしょう。
また、原著を読むこと以上に、このような解説がわかりやすいです。

「民主主義が持続するためには経済成長が必要だ」という説があります。国民は夢を求め、他方で安心と安定を求め、また豊かな生活と生きがいを求めます。そのよう生活ができる社会を望み、その役割を国家に期待します。それが達成されないときに、国民は不満を持ちます。
社会において一つの安定装置は、中間団体です。親族、地縁社会、会社、様々な団体(結社)、政党など、「安心を提供してくれる団体への参加」です。大衆社会は、この中間集団がなくなったときに暴走します。

大衆社会論は、大学時代にいくつかかじりました。『孤独な群衆』『自由からの逃走』、西部邁先生の本も。久しぶりに思い出しました。
引き続き、中間集団の役割を考えています。「結社が支える市民社会」「ポピュリズムの背景、制度不信や中間団体の衰退」「NPO、公共を担う思想の広がり

寒い3連休

皆さん、この3連休は、どのように過ごされましたか。全国的に寒かったようです。北海道では、マイナス30度とか。
わが家の付近でも、少し雪が降りました。もっとも、積もるほどではなく、雪遊びを期待していた孫は、がっかりしていました。

その孫の相手を、娘に代わって断続的にしました。いや~、保育園は偉大な発明ですね。
元気いっぱいで、遊ぼうと誘ってきます。まだ一人では遊べないので、誰かが、相手をしなければなりません。公園に連れて行くのが、効率的です。でも、そうすると、帰りの道を歩いてくれません。先ほどまで、あれほど元気に走り回っていたはずなのに・・・。
こちらも、いろいろとやりたいことがあるのですが、仕方ありません。親が、テレビやスマホに子供の相手をさせる気持ちもわかります。

でも、私の場合は、週末に少しだけ相手をすれば良いのですから。核家族、さらにはシングルマザーで子育てをしている人たちは、大変ですよね。
狭いアパートの中で閉じこもった状態なら、気持ちもイライラするでしょう。保育園に預けて、自分の時間を作ってください。