故ロナルド・ドーア先生

ロナルド・ドーア先生が、お亡くなりになりました。ロンドン大学名誉教授で、イギリスで日本研究の第一人者です。

先生とは、ひょんなことから、電子メールのやりとりをしたことがあります。
2007年に、先生が東京新聞に書かれたコラムに、私のホームページの記述が引用されたのです。で、お礼に電子メールを打ったら、お返事を頂きました。イタリアのアドレスになっていました。
ご冥福をお祈りします。

福井県大野市役所研修会

昨日16日は、午前中に慶應大学での授業をしたあと、午後からは福井県大野市役所の研修会に行って、お話ししてきました。福井駅まで、東京から新幹線と米原駅で特急しらさぎを乗り継いで、3時間半。そこから大野市まで、車で約50分です。

市役所の職員労働組合主催の勉強会です。拙著『明るい公務員講座』の熱心な読者がおられ、依頼がありました。
なんと、金曜日の午後6時から7時半までという時間帯に開催されました。「皆さんも疲れているから、もっと早く開始できないのですか」と問い合わせたのですが、「勤務後に職員が集まるために、この時間でお願いします」とのこと。
労組主催といい、こんな時間帯に開催することといい、その熱心さには驚きました。60人を超える職員が集まって、熱心に聞いてくれました。
みなさん、どのようにしたら働き方改革が実現するか、効率的な仕事の進め方に悩んでいます。その参考になればと、引き受けました。
講演会後の意見交換会もあり、私は早々に宿に引き上げたのですが。一部の職員たちは、夜遅くまで話が弾んだとのことです。若いですねえ。

せっかくの機会なので、町を案内してもらいました。大野市は、越前大野城の城下町で、きれいな街並みが残っています。
大野城は、盆地の中にある山に築かれたお城です。山道を登り、天守閣から眺める城下町は、きれいです。再建された天守閣が雲海に浮かぶ景色は、天空の城として有名です。もっとも、なかなか見ることはできないようです。しかし、夜はライトアップされていて、それはきれいでした。フランスのモンサンミッシェル並です。

帰りに福井駅で買った、焼き鯖寿司の駅弁は、若狭の名物でおいしかったです。サバは、ノルウェー産と書いてありました。

慶應大学、地方自治論Ⅱ第7回目

昨日16日は、慶應大学で地方自治論Ⅱの第7回目の授業。
まずはいつものように、先週の授業の際に学生から出された質問に答えました。出席カードに書いてもらう質問や感想は、学生たちがどこまで理解しているか、何に関心を持っているかを知る重要な手段です。
今回の本論は、「地方財政と国家財政」です。
この2つの歳入歳出がそれぞれどのような概要にあるか、交付税・補助金を通じてどのような関係にあるか、地方財政計画の機能などです。自治財政局に提供してもらった図を使って、説明しました。
ここは、日本の地方財政制度の特徴の1つであり、肝でもあります。授業後の学生の感想にも、初めて知った驚きの声が多かったです。

コンプライアンス対策の弊害

11月13日の日経新聞「私見卓見」、弁護士の増田英次さん、「「正しいことをする」を人事評価に」から。

・・・門企業の不正やスポーツ界での不祥事が絶えない。日本もコンプライアンス(法令順守)に極めて厳しい社会になっているにもかかわらず、なぜこのようなことが続くのか。弁護士として危機管理に対応してきた経験からいえば、社員一人ひとりがコンプライアンスの必要性や重要性について、本当の意味で腑に落ちていないところに原因があるのではないか。

企業が働き方改革などのスローガンを掲げても、実際にはパワハラ、減点主義、非効率な業務などに振り回される社員は多い。彼らは自尊心を失い、自分で考え、正義感をもって行動する意欲を失う。その結果、多くの社員はコンプライアンスに関心を持つ余裕もなくなり、目先の業績の目標達成だけが組織で生き残る指針となる。
そうした組織では、社員を締め付けるだけのコンプライアンス対策は、かえって隠蔽をまん延させる。監視・監督を強めることが、結果的に不祥事を誘発しているといっても過言ではない・・・

では、どうしたらよいか。原文をお読みください。

官僚の役割、アイデアと実現。佐々江・元外務次官

11月14日の朝日新聞オピニオン欄は、「日韓 和解の誓い道半ば」でした。
内容は、1998年の日韓共同宣言。当時、それぞれの外交当局の担当課長として宣言づくりにあたった佐々江賢一郎さんと朴チュ雨(パクチュヌ)さんとの対談です。内容は、原文をお読み頂くとして。私は、官僚の先輩である佐々江・元外務次官の行動と発言に関心を持ちました。

・・・――歴史的な日韓共同宣言は、どんな背景から生まれたのでしょう。
朴 金大中(キムデジュン)大統領の就任前年の1997年から、韓日間では漁業協定の改定が最大の懸案でした。そして98年1月、日本政府が協定の破棄を通告したため断絶状態に陥った。韓国はそれでなくてもアジア通貨危機で大混乱していました。そんな中、当時の小倉和夫・駐韓大使から韓日間で共同宣言を作ってみてはどうかというアイデアを聞いた。韓国はそれまで、二国間の本格的な共同宣言を作った経験がありませんでした。
98年2月、金大統領の就任式に外務省の北東アジア課長だった佐々江さんが来たので、3日間、一緒に食事をしながら話し合いました。ただ、韓国としては協定を破棄した日本から先に何か措置をとってほしいと考えていました。その後、外相会談などがありました。

――実際に宣言を作ろうと提案したのはどちらですか。
佐々江 考え方は日本から示したと思うけど、最初は確か韓国から……。
朴 98年6月の局長会議で私たちが最初の案を出しました。
佐々江 我々からすると、とても案とは言えない内容でしたが(笑)。でも、それに一心不乱に手を入れました。日韓の政治、経済、安全保障、文化といった関係に加え、地域やグローバルな問題など包括的に考えました。それと過去だけではなく現在の関係にも光をあて、両国がどういう方向に進むのか、いかに手を携えていくのかという大きなコンセプトで。
朴 8月末に日本案が出てきた後、韓国側の意見も加えました。金大統領は就任前から日本とは過去を乗り越え、未来志向的な関係を構築すべきだと繰り返し語っていた。だから私たちも自信をもって、大統領に韓日関係発展のための報告書を何回も出しました・・・

次のような発言も。
・・・――お二人とも現役の外交官を退かれましたが、今の後輩たちに思うところはありますか。
朴 気の毒ですね。韓国も日本も、外交に関する権限が低くなっている時代。韓国の外交官にはもっと大きい視点で地域全体を見て、日本との協力関係を築いてほしい。
佐々江 私は日本外務省の士気が下がっているとは思いません。外交は外務省が独占してやるのではなく、いろんな力の結集で成り立つべきです。外交官は自ら蓄積した知見を政府内にも外にも堂々と伝えていく。それがプロの意識だと思います。

――共同宣言が今も注目されるのは、その意義もさることながら政治の関係がうまくいっていない証拠でもあります。
佐々江 日韓関係において、政治指導者の役割は極めて大きい。特に韓国では指導者の言動が国民感情に影響を与えます。要はお互い何を譲れないか、何が違うのか、双方が理解することが大切なんです。違いから出発しないといけない。
朴 真の和解にはまだ遠い。似た者同士だけど、ずいぶん違いもあるんですよ、韓日は・・・