幹部と職員の違い

次官・局長の報酬と社長・専務の報酬」の続きです。

公務員の給料は、民間準拠が原則です。全体としてはそうなっているのでしょうが、指定職層(次官・局長・審議官。民間の社長・副社長・取締役に相当すると言われています)での比較は、どうなっているのでしょうか。
公務員の給料体系は、「平等主義」が行き過ぎているように思えます。諸外国や企業のように、「普通の職員=普通の仕事=普通の給料」に対し「責任あるポスト=仕事も過酷=高給」と差別化すべきです。また、労働時間も、後者にあっては定時出社・定時退社は当てはまらない場合があります。
記事でも指摘されているように、高級幹部は責任と評価を厳しくし、報酬も上げるべきでしょう。すると、1年で異動するようなことも、やめなければなりません。

(職員の延長に管理職があるのではない)
この問題を考えると、職員と管理職、特に高級幹部との仕事と責任の違いに行き着きます。
職員の延長に管理職がある、のではありません。軍隊に、士官と兵卒という区分があります。仕事の内容も育て方も違います。企業や役所でも、管理職と職員とは求められる職責が違うのです。もっとわかりやすいのは、学校の校長と教員です。校長と教員とでは、求められるものが違います。

簡単に言うと、「するべきことを考え・指示を出し・責任を取る人」と、「指示を受け実行する人」との違いです。職員の延長に局長があるのではなく、社員の延長に社長があるのではありません。そして、育て方も変えなければなりません。
もちろん、幹部になる人たちも、「一般職員」を経験することで、現場と仕事を覚えるとともに、幹部になる勉強をします。しかし、幹部になる人と職員で終わる人とは、身につけなければならない能力が違うのです。

日本では、職場でこのような差をなくすことが進みました。カイゼン運動も、職員・社員に意欲を持ってもらい、職場の効率を上げるためには良いのですが、職責の違いを希薄化させる副作用があったようです。
官庁では、かつて上級職と中級職・初級職の違いがありました。しかし、この区分がなくなるとともに総合職が多くなり、高級幹部養成課程があいまいになりました。
この項続く

仲間うちの投稿

9月5日の朝日新聞連載「平成とは」「仲間うちの投稿欄、部数増」から。
・・・大島さんは近くに本社がある産経新聞社が発行する保守系の論壇誌「正論」の元編集長だ。新聞の記者などを経て編集長に就任したのは1990(平成2)年。冷戦が終わって米ソ対立という大テーマが後退。苦戦を強いられたオピニオン誌をどう活性化させるか大島さんは真剣に考えていた・・・
・・・まず目をつけたのが、雑誌の最後にあった1ページの読者投稿欄だ。届いた投書を読んでいると「読者の書くものが面白いことに気づいた。その知恵をもっと拝借しようと思った」。
「読者の指定席」と名づけて投稿欄を6ページに増やしたのを皮切りに、93年には投稿に編集者が一言感想を添える欄「編集者へ 編集者から」を新設。2000年には読者の疑問に編集者や他の読者が答える「ハイ、せいろん調査室です」も追加した。「自国の歴史と先祖に誇りを持って生きるのはすばらしいことですね」「国旗を購入したいがどこにも売っていない。日の丸は簡単に手に入りません」……。次々と舞い込む封書やはがきを紙袋いっぱいに詰め込み、自宅に持ち帰って目を通した・・・
興味深い発言もあります。
・・・異論にも耳を傾けようと「朝日新聞的な意見」を載せたこともあったが、読者は「それは、他で読めばいい」と反発した・・・

・・・最近では敵を探そうとする流れも強固になっている、とメディアコンサルタントの境治さんはいう。データ会社を通じ、在京キー局の情報番組などを調べたところ、森友学園問題や日大アメフト部のタックル問題など一つの話題を集中的に伝える傾向が、ここ数年で強まっているのを確認したという。
「『悪役』が誰かわかりやすい話題が好まれる。常にたたける相手を探し、徹底的に打ちのめす傾向が社会的に強まっているのではないか」
水島久光・東海大教授(メディア論)は、平成は人々が「味方集め」に奔走した30年だったとみる。「SNSの『いいね!』もそうだが、誰かからの評価を求めてさまよう人々であふれ、ネットを中心にその傾向が加速している」・・・

他者との対話を拒否し、身内だけで盛り上がる。寛容性が低くなり、排他性が高まっています。以前からその傾向はあったのでしょうが、インターネットの発達がその拡散を助長します。
あわせて、多くの人は「話を聞いて欲しい」「意見を言いたい」。しかし、「反論されるのは嫌だ」「いいねと言って欲しい」。「私は正しい。あの人たちは間違っている」のです。友人、家族、職場でも同じです。

他者を引きつける魅力、国力とはなにか

フランス旅行中に、頭に浮かんだことがあります。「国力とはなにか」です。フランスが、現在なお世界の人を引きつける力です。

政治(学)では、力(パワー)は、相手にこちらの意向に従わせることです。その方法は大きく分けて、腕力(軍事力、暴力)、金力(経済力)、魅力(文化、憧れ、宗教など)があります。ここで取り上げたいのは、魅力です。
腕力は、相手が嫌々従います。金力も、仕方なく行動を合わせます。それぞれ力のある方が、それだけのコストをかけて、相手に働きかけなければなりません。しかし、魅力は、そんなことをしなくても、相手方が来てくれるのです。もっともスマートな方法です。

フランスは、軍事力と経済力では世界第一級ではなくなりました。しかし今なお、世界中から人を引きつけ、その動向は国際的に注目されます。かつての世界中の人が憧れたのは、華やかな都パリもありますが、その文化と芸術だったのでしょう。
美術、音楽、オペラ、立派な街並み、フランス料理・・・。しかしそれら以上に、フランスが輸出した(世界に範を示した)文化に、市民革命があります。象徴的に言えば、自由・平等であり、ナポレオン法典です。これは、世界を変えました。

このホームページでも、ハードパワーに対する、ソフトパワーは何度も取り上げています。「日本の魅力力」「国家のパワー再考・相手を動かす力と左右されない力」。
先日書いた「身につけた経済力を生かす」と合わせて、日本は何を遺すか、何を世界に売るかを考えています。
個人にも、適用できます。

次官・局長の報酬と社長・専務の報酬

9月8日の日経新聞オピニオン欄。上杉素直さんの「公務員を生かすために」から。

・・・大臣を支える官僚はどうか。人々をあきれさせる不祥事が立て続けに起きる惨状を目にすると、だれしもが役所の規律の緩みにクビをかしげざるを得なくなる。ただ、ひとつのテーマに長年にわたって携わる役人の知識と経験は本来、政策をつくって円滑に進めるうえで欠かせないパーツだ・・・
・・・にもかかわらずと言うべきか、待遇面にスポットを当てれば、社会の期待に応えられる才能を役所が継続的に集めていけるかどうか心もとない。報酬の官民差が鮮明になっているからだ。
典型的なのがトップクラスの人材。役所の事務方の頂点に立つ事務次官のモデル年収は17年度で2327万4千円、本府省の局長は1772万8千円(内閣官房内閣人事局「国家公務員の給与(平成30年版)」)。デロイトトーマツコンサルティングの17年の調査によると、東証1部上場334社の社長報酬の中央値は5435万2千円で役所の次官の2.3倍だ。次官の給与は1部上場企業の取締役・執行役員よりは多いが、専務や常務クラスよりも少ないくらいの位置付けにある・・・
・・・責任と権限が大きなポストに関する限り、ほかの先進国の公務員は日本より明確な競争と評価にさらされている。日本が行政システムの手本にした英国は事務次官の年収が成績評価に応じて最高20万ポンド(約2800万円)から14万2千ポンドまで上下する。ドイツの事務次官や局長は「政治的官吏」と呼ばれ、いつでも職務を外されるリスクと背中合わせだ。横並び主義の根強い日本だが、たとえば次官や局長だけでも処遇の発想を転換したら、役人のイメージごと変わるのではないか・・・

ありがとうございます。ご指摘の通りです。もちろん、企業と行政を単純には比較できません。「公務(のやりがい)は、お金(の多寡)じゃない」と言う人もいますが、そのような志だけに頼っていては、良い人材は集まらないでしょう。
私は、40年前に公務員になりました。その際に、民間企業に比べ収入は少ないと聞いていましたが、これだけも差があるとは知りませんでした。かつて、母校の高校で後輩たちに、私の仕事をお話ししたことがあります。その際に、年収を話したら、後ろで聞いていたお母さんたち(私の同級生)が、余りの少なさに絶句して、同情してくれました。

記事では、上場企業334社の社長・専務・常務と比べています。この人たちと比べても、次官や局長の報酬は、はるかに少ないのですが、もう一つの比較があります。友人たちと話すと、しばしば大学時代の同級生との比較がでてきます。いわゆる大企業の社長、副社長との比較です。この場合は、次官や局長は、恥ずかしいくらい少ないです。

実務でも、問題が出ています。独立行政法人など役所の外郭団体です。民間人を登用するとの趣旨で、企業の幹部を採用する場合があります。ところが、年収2千万円くらいでは、大企業幹部は年収1億円~5千万円程度ですから来てくれません。よほどの「ボランティア精神」か「公共心」でもないと。
この項続く

役に立つ肝冷齋

漢文の識者である肝冷齋は、難しい中国古典を解説してくれるのですが、時に難しすぎて、あるいは妖怪変化が多く、私の理解を超えることがあります。
たまには、わかりやすい教訓も書いてくれます。
包容力は、努力で具わる

・・・明初の名官僚で、その有能と誠実を以て、史上屈指に血なまぐさいこの時代に何度も失脚しながら復職し、戸部尚書を通算三十年ぐらい務めた夏原吉は、
徳量閎厚、人莫能及。
徳量閎厚にして、人よく及ぶ莫し。
包容力が広く、厚く、誰も敵わなかった。
と言われる。「徳量」はとりあえず「包容力」と訳しておきますが、要するに人を容れる「器量」のことです。

あるひと、問うて曰く、
量可学乎。
量は学ぶべきか。
「包容力というのは、後天的な努力で具わるものですか」
夏は答えた・・・