イタリア、本の行商人

内田洋子著『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(2018年、方丈社)が面白かったです。

19世紀、イタリアの山奥の村人が、町に行商に行きます。何と、担いでいったのは、本です。本の行商人です。へ~、と驚きです。重い本をカゴに入れて。
この山中の村は、中世にはフランスからローマに通じる街道であるフランチジェーナ街道で栄えたようです。写真を見ると、とんでもない山の中にあります。日本でいうと、箱根の関所が、山の尾根にあるようなものです。石造りの家と街並みなので、残っています。

もっとも、新しく別の道路が整備され、外れてしまった村は、寂れます。そこで、出稼ぎに行き、その延長で石を売り歩いたり、本を売り歩くようになります。石も本も、重たいですね。
高価な本でなく、庶民が読むような、安くて軽い内容だったようです。しかし、国家統一が1861年、義務教育普及もその後です。識字率が低い時代に、本を求めた人が増えたのでしょう。また、その時流に乗ったのでしょう。
高価な本は都会の本屋で、安価な本はこのような行商や露天の市場で売るという棲み分けがあったのでしょう。その後、何人かの家族は、行った先の町で本屋を開業します。ベネチア、ミラノ・・・。
庶民からはどの本を読んだら良いかの助言を求められ、出版社からも出版前に「書評」を求められます。売れるかどうか。日本でも近年、本屋さんが選ぶ「本屋大賞」がありますが、イタリアでは「露天商賞」という文学賞が1953年から続いています。目利きとしての能力が評価されたのでしょう。

私の育った村も本屋はなく、私が子供の頃は、町の本屋さんがバイクの後ろに大きな箱に乗せて、本を届けてくれていました。

きれいな写真がたくさん入っています。山村を訪ねる紀行文としても楽しめます。

第3波のグローバル化

6月5日の日経新聞オピニオン欄、リチャード・ボールドウィン、ジュネーブ国際高等問題研究所教授の「グローバル化の将来は」から。

・・・グローバル化の第1波は(蒸気エネルギーが普及する)1820年ごろに始まり1990年ごろまで続いた。第1波は主にモノの取引の国際化だった。日本で言えば(トヨタ自動車本社に近い)名古屋圏に産業集積が進み、それが自動車産業の競争力を高めた。輸出が増えると、さらに集積が進んだが、技術革新は国内にとどまった。国境を越えた伝達が難しかったからだ。
これで(日米欧の)先進国がいち早く工業化し他の国々が停滞する、大いなる分岐(グレート・ダイバージェンス)が起こった。
1990年ごろから逆転が起こった。中国、インド、インドネシアのような新興国が先進国よりも速い成長をとげるようになった。第2波のグローバル化は先進国と新興国の所得格差を縮める方向に動いており、これを私は大いなる収れん(グレート・コンバージェンス)と呼んでいる。
その背景には、1980年代から始まったICT(情報通信技術)革命で、国際的な協働がしやすくなったことがある。企業は生産工程の一部を近隣の低賃金国に移し、自社の技術も移転するようになった・・・

・・・グローバル化は(価格差を利用して稼ぐ)裁定取引だ。第1次はモノ、第2次は技術ノウハウ、そして第3次は労働サービスの裁定取引だ。
今はサービス労働の多くは1つの国の中で行われているが、それが国境を越えていくのが第3のグローバル化だ。私はこれを(遠くと移民の合成語の)「テレマイグレーション(Telemigration)」と呼んでいる。
要するに在宅勤務が国際化するということだ。日本でも企業は在宅勤務の活用で労働力不足を補おうとしている。デジタル技術の深化で遠隔地から仕事に参加することが可能になった・・・

記事についている表が、わかりやすいです。一部を抜粋します。原文をお読みください。
第1次グローバル化:1820年ごろ~、蒸気機関の普及。モノが移動するコストの低下
第2次グローバル化:1990年ごろ~、情報通信技術革命の進展。アイデアが移動するコストの低下。
第3次グローバル化:2016年ごろ~、遠隔操作によるバーチャルな人の移動。人が移動するコストの低下。

慶應大学、公共政策論第8回目

公共政策論も、第8回目。今日は、本山智之 ・三井住友海上火災保険公務開発部長にお越し頂き、企業の社会的役割を話してもらいました。

民間企業が社会で果たしている役割、特に保険会社が社会のリスクを軽減している役割を話してもらいました。特に、近年企業が力を入れている、社会的課題解決への取り組みです。
学生たちが、就職活動以外で、企業の幹部から活動の実態を聞くことは、多くはないでしょう。さらに、社会を支えているという観点からは、まずはないと思います。

慶應大学、地方自治論Ⅰ第8回目

今日は、慶應大学で地方自治論Ⅰの第8回目の授業でした。
国と地方の関係、地方分権の話をしました。2000年の分権改革も、もう18年も前の話です。20歳の学生にとっても、はるか昔の話です。
機関委任事務を説明しても、「かつて、こんな仕組みがありました」となります。でも、国と自治体との関係が「上下の関係」であったものが、「対等の関係」になったことを説明するには、触れないわけにはいきません。

ところで、授業の最初に、前回学生が書いた質問に答えます。なかなか良い質問があります。170人分を読むのは時間がかかり、そこから良い質問を選ぶにも労力が必要です。しかし、私の一方的な説明ではわからなかったこと、本を読んでもわからないことが指摘されているのですから、それに答えることは、効率的な学習になるはずです。

日経新聞夕刊コラム第22回

日経新聞夕刊コラム第22回「内閣官僚」が載りました。今回は、本業の話に戻って、官僚論です。
連載を読んでいる方からは、最近の私生活編について、「カルガモが良かった」「仏像、私も好きです」という反応があったのですが。まあ、硬軟織り交ぜてと、お許しください。

政治主導、そして内閣(官邸)主導が進むと、官僚の役割が変わるとともに、その養成も変える必要があるでしょう。もはや、これまでのような、各省で完結する官僚人生、官僚の人事管理は、基本モデルになりません。
既に、課長になるまでに、ほかの省などを2か所経験させる決まりがあります。視野を広げるためにも、よその釜の飯を食べる必要があります。それとともに、内閣官房を支える官僚たちを、育てる仕組みが必要なのです。
私の経験を基に、書きました。