5年目の現状

10日の復興推進会議に「復興5年間の現状と課題」を報告しました。本体8ページ、参考資料3ページの簡潔な資料です。表紙に、目次を載せてあります。被災者支援、住宅の再建、産業の再生という3つと、福島の復興が大きな課題です。概要は1ページ目にまとめてあり、8ページに総括を載せてあります。
避難者は、47万人から17万人まで減少しました。介護サポート拠点や相談員の見守りなどにより、医療や心身のケア、孤立を防止しています。住宅は、工事がピークを迎えています。自主再建は、13万件が再建中又は再建済みです。高台移転などによる宅地造成は約2万戸、災害公営住宅は約3万戸を計画し、ほぼ半数ができています。平成30年度までには、工事を終了する見通しです(p4)。産業については、生産設備は復旧しましたが、売り上げは業種間にばらつきがあります。福島については、順次、避難指示を解除しています。帰還に向けて商店の再開などの生活環境整備を行い、長期避難者へは復興公営住宅を整備します。

原発被害への先入観、分断をなくす戦い

朝日新聞紙面から。
3月12日1面、森北喜久馬・原発取材センター長の「福島への先入観、捨ててほしい」。
・・・福島県の農林水産物は出荷前に検査を受けている。2年前、緊張しながら福島市に住み始めた私は、いまでは最も安全が確認されたものを食べていると思っている。
もちろん、安心への感覚は人それぞれだ。伊藤さんも「個人の心の問題」と認める。ただ、安全への努力が伝わらないまま「福島=危険」という印象だけが固定化しているのでは、と私は危惧を覚える。
農林水産物の検査結果も県内外の空間放射線量もネットで公開されている。まずは先入観を捨ててほしい。どうか、そのデータを見てから判断して欲しい。そう強く願う・・・
3月11日社説「震災から5年 心は一つ、じゃない世界で」。
・・・南相馬市の番場さち子さんもその一人だ。医師と一緒に放射線についての市民向け勉強会を80回以上重ねた。まずは正しい知識を得る。それが今後の生活の方針を納得して選び、前向きになる支えになると考えた。
番場さんらがいま懸念するのは、5年にわたる苦悩と克服の歩みが、被災地の「外」に伝わらず、認識のギャップが広がっていることだ。
「福島県では外出時にマスクは必要か」「福島産の米は食べられるのか」。県外から、そんな質問が今も続く。
空間線量や体内の被曝の継続的な測定、食材の全量検査、除染作業などさまざまな努力を重ねた結果、安全が確かめられたものは少なくない。だが、そうした正常化された部分は、県外になかなか伝わらない。
郡山市に住む母親は昨年、県外の反原発活動家を名乗る男性から「子供が病気になる」と非難された。原発への否定を無頓着に福島への忌避に重ねる口調に落胆した。「まだこんなことが続くのか」・・・
人さまざまに、安心についての考えは異なるでしょう。しかし、原発事故から立ち直ろうと頑張っている人たちの元気をなくすようなことや、分断を助長することはやめて欲しいです。もちろん、放射能について正しい理解は必要です。

毎日新聞、インタビュー記事

今朝3月11日の毎日新聞オピニオン欄に、私のインタビュー「産業再生へと視野広げ」が載りました。写真付きです。紙面(有料)では白黒写真ですが、インターネット(無料)だとカラーです。と、指摘してくれる人がいました(笑い)。
先日、竹内良和記者の取材を受けました。まあ上手にまとめて、記事にするものですね。私の主張の要点を、的確にまとめてくれました。竹内記者の筆力に感謝します。私は彼に、「ほんまに、現役次官の発言を、毎日新聞が記事にするんかいな?」と、逆質問してしまいました。
・・・「被災者に数千万円ずつ渡し、都会で暮らしてもらった方が効率はいい」との考え方もあるようだ。だが、日本には「この地域で暮らしたい」という方には精いっぱいのことをする国柄がある。戦後、「国土の均衡ある発展」や「ナショナルミニマム」を掲げ、どこに住んでも、最低限の生活ができるよう国が支援してきたことの延長線上にある。最低限の支援をして個人責任にするアメリカとも、チェルノブイリ原発事故のときに住民を強制移住させた旧ソ連とも異なる価値観だ・・・
・・・大震災で復興庁が示した復興事業の哲学の変化は、国土の復旧という従来の一次元の考え方から、産業とコミュニティーの再生までをも手がける三次元に考えを広げたことだ・・・
5年間この仕事に携わって、いろいろなことを考え、実行することができました。拙著に書いたとおりですが、記者さんの質問に答えると、私が気がつかなかったことを引き出してくれます。

5年目の3月11日

今日は、5年目の3月11日です。各地で追悼式典が開かれました。政府の追悼式天皇陛下のお言葉関連の総理官邸ホームページ

各新聞、放送局が、たくさんの記事や番組を組んでいます。ありがたいことです。そのうちの一つは、亡くなられた方々を追悼するもの。もう一つは、復興の現状を伝えるものです。5年経つのは、早かったです。しかし、肉親を亡くされた方にとって、まだ昨日のことでしょう。悲しみは、減ることはありません。私たちにできることは、一日も早く復興することであり、次の災害に備えることです。
報道が伝えるように、まだ復興は道半ばです。「遅い」とおっしゃる方もいます。しかし、元の土地に再建できない事情から、今回の復興は時間がかかります。5年前の惨状を見た私としては、正直、5年後にここまで復興するとは思いませんでした。これは、当時現場を見た多くの関係者、記者さんたちの共通した意見です。
昨日10日は、夕方から総理官邸で、復興推進会議を開き、現状を報告するとともに、後期5か年の基本方針を決定しました(関係資料)。事業の進捗状況をなるべく数値化し、見えるようにして随時公表するとともに、今後の方向性も明示する。日本で一番開かれた、わかりやすい行政を実行しているつもりです。総理はその後、記者会見をされました。
私は、東北新幹線で仙台へ。11日は早朝から、同友会の被災地視察に同行。午後は、同友会の追悼シンポジウムで、基調報告をし、セッションに出席しました。経済同友会は、発災以来、イッポイッポニッポンをはじめとした、大きな被災地支援をしてくださっています。その一端は、拙著でも紹介しました。また、今後の産業復興と新たな振興には、企業の支援が必要です。今日は、お礼を申し上げるとともに、お願いをしてきました。登壇者の一人、大山健太郎・アイリスオーヤマ社長は、今月ちょうど、日経新聞に「私の履歴書」を書いておられます。今日の原稿では、「・・・なりわいの復興を進めるために、2016年4月から5年間、復興・創生期間として政府は6兆円超の予算を付けてくれた。私たち被災地の起業家が踏ん張るべき時だ・・・」と書いてくださいました。そうなのです、行政が補助金で支援している限りは、産業の自立はないのです。
明日12日は、13日の大船渡市での式典に出席するため、盛岡に前泊します。これで、1週間のうちに3県を1泊2日で訪問することになります。着替え一式とパジャマを持って、行ってきます。

台湾での復興テレビ番組

TBSテレビが、台湾の放送局と震災復興番組を作ってくださいました。大震災の際、最も多くの支援をしてくださったのが台湾です。被災地の復興の姿を見てもらおうと、番組が制作されました。
海外では、原発事故の印象が強く、復興は進んでいないとか、風評被害が続いてます。このような番組が事実を海外の人に知らせてくださるのは、とてもありがたいことです。政府広報もしていますが、たぶん、このような地元の放送番組の影響は大きいでしょう。内容は見ていないのですが、ありがとうございます。