この冊子は、関係した企業、NPO、そしてそれらをつないだ中間団体が集まって、無償で作ってくれました(冊子は、印刷費がかかるので、1部1,000円です)。
先日、その方々と、意見交換をしました。その時の議論です。
・企業の社会的貢献は、新しい段階に入った。社会に認識されたし、会社も認識を高めた。
・発災直後は、何を支援したらよいかが見えやすい。復興期になると、現地でのニーズが変わってきた。義援金や物資の提供と比べ、難しい。
・継続的かつ専門的な支援は、個人ボランティアでは限界がある。組織がしっかりしているNPOや企業の役割は大きい。
・支援したい企業と受ける地域をつなぐ、団体や機能が重要である。どこでどのようなことが望まれているかと、どの会社が何を支援できるかとを、つなぐ機能である。
・「ある地域で、この会社が、こんな支援をした」ということがわかれば、他の地域でも「私の町でも、それをして欲しい」と、要望の手が上がるだろう。他方で、他の企業も、「私の会社も、それなら支援できます」と手を上げるだろう。
すると、私たちの次なる仕事は、良い事例の周知と、企業と被災地をつなぐことです。前者についてはマスコミにも期待するとして、後者は関係者と試みてみます。ご協力ください。なお、復興庁では、企業による支援の類型を表にしました(応急復旧期、復興期)。もっとも、この表では企業の名前や受け手の場所が出てこないので、わかりにくいです。
月別アーカイブ: 2014年4月
松原先生の書庫
先日(4月7日)紹介した、松原隆一郎先生の『書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』(2014年、新潮社)。その書庫を見せていただきました。我が家からは、歩いてすぐのところです。
実物も、予想以上の立派さで、感激しました。先生におねだりして、先生がゆったりできると書いておられた、1階の階段下に座らせてもらいました。納得。
設計された堀部安嗣先生が、「もう2度とできない」とおっしゃっていましたが、まあ、知恵と工夫の結晶です。このような書庫を建てて欲しい研究者や読書家は、たくさんいると思います。みんな蔵書の置き場や、部屋の床が抜けることに困っているのですから。この書庫を基本形にして、サイズを大きくするとか、付属室を変えるとか。
もう一つの圧巻は、書棚に並んだ本の数々です。多くの棚で、私の関心と重なる本が並んでいました。
うらやましいです。自分の集めた本を、ほぼすべて収納できる。しかも、螺旋階段で、全てを一望できるのです。書庫を作るというのは、本好きにとっての「男子の本懐」ですよね。しかし、先生の書庫をうらやむ前に、我が書斎、いえ今や書庫になっている6畳間は、読みもしない本を捨てることが先決です。その決心がつかなくてねえ・・。優柔不断です。
震災の検証、津波災害と原発事故
3月26日の参議院復興特別委員会で、平野達男議員(前復興大臣)が、震災の検証について検証し、質問をしておられます。詳しくは議事録(平野議員の質問は最後です)を読んでもらうとして、要点は次のようなものです。
・東日本大震災について、地震と津波災害については、中央防災会議の中に検証委員会を作って、検証した。何が起きたのか、なぜ予想できなかったか、被災地ではどのようなことが起きたかを、検証した。
・他方、原発事故については、政府事故調、国会事故調、民間事故調、東電による調査会の4つが検証をしたが、原発の爆発とメルトダウンを主な対象としている。住民の避難については、実態調査も国の対応の検証も行われていない。
これに対して、内閣府副大臣が、現在、原発事故に伴う避難実態のアンケート調査をしている旨を答えています。
発災当時、私は地震津波避難者の支援に当たっていました。原発から30キロ圏内は立入禁止になったので、状態はわかりませんでした。そこから逃げてこられた避難者は、私たち被災者生活支援本部でお世話することにしました。避難してこられた方が、津波被災者なのか原発避難者なのかわからないからです。また、逃げてこられた方に、「あなたは、原発事故ですから別です」とは言えません。
原発事故がどうなっているかも、新聞報道でしか知りませんでした。原発事故対応は官邸で、総理、官房長官、官房副長官(参議院)によって行われ、私の被災者生活支援本部は道を隔てた内閣府の建物で、防災大臣、官房副長官(衆議院)、平野内閣府副大臣らで対応していました(当時の分担図)。
少し落ち着いたとき、私が官邸で原発事故対応に当たったら、何をしなければならなかったかを、考えてみました。危機管理の思考訓練です。もちろん、現場におらず、専門知識も無い、情報も持っていないので、一官僚としての思考訓練でしかありません。
まず、課題は何か。津波と違い、事故が続いています。すると、事故を終わらせること、すなわち原発を冷温停止させること、爆発をさせないことです。もう一つは、周辺の危険な区域から、住民を避難させることです。工場の爆発事故を想定してください。工場長と消防や警察がしなければならないことは、消火と次の爆発の防止、そして周辺住民の避難です。工場内で事故の収束させることと、工場外での安全の確保です。これは、今回の原発事故にも当てはまります。
すると、私なら、次のようなことをしたでしょう。まず、全体の責任者に、次のように進言します。「原発内の事故収束責任者と、原発外の安全確保責任者を、それぞれ1人ずつ決めて、権限と責任を持たせてください」と。そして、危機管理センターの壁には、2つの地図を貼ります。一つは、原発敷地内の簡単な配置図で、それぞれの炉がどのような状態にあるかなどがわかる図面です。もう一つは、東北地方の地図で、住民をどのように避難誘導するか、どこが安全かの地図です。この2つは、それぞれに重要ですが、必要な知識も違えば、対象とする範囲も違うのです。
もちろん、この2つのチームの下には、それぞれに課題に応じて対策チームがいくつも作られるでしょう。系統樹のようになります。課題ごとや地域ごとの縦割りの専門班と、それらをつなぐ横串班、全体を仕切る参謀班も構成されます。事故や災害の種類によって、対応すべきこと、専門家も異なります。しかし、しなければならない「動作の基本」は同じです。
大きな事故や災害は起きて欲しくありませんが、起きた場合の思考訓練をしておくことは意味があると思っています。
企業や団体向けの災害支援の手引き
NPOの「民間防災および被災地支援ネットワーク」が、『災害支援の手引き』を発行しました。インターネットでは見ることができたのですが、このたび冊子ができあがりました。
この冊子は、企業や団体が、災害時にどのような支援をしたらよいか、そのノウハウをまとめたものです。
東日本大震災では、多くの企業が、さまざまな支援をしてくださいました。この経験を今後の災害時に役立てようと、民間企業のCSR(企業の社会的責任)担当者、現場で支援を行うNPO、その調整に当った中間支援団体などが集まり、この冊子を作りました。
冊子には、「ヒト、モノ、カネ、情報」の分野で、災害支援を実行するに当たっての社内調整の裏話、苦労や工夫した点の具体事例や、実務上のノウハウが掲載されています。編集者の命により、私もメッセージを書きました(p5)。
いつも指摘していますが、今回の大震災で、企業の社会的貢献が新しい段階に入りました。お金とモノを寄付するだけでなく、人やノウハウの提供、本業を活かした支援が行われました。お金も、義援金だけでなく、さまざまな目的に対して(事業内容や相手を決めて)、手法も工夫した支援が目立ちました。しかし、単にお金を寄付するだけない支援は、知恵と工夫が必要なのです。どこにどのような支援をしたらよいかです。そのためのノウハウを蓄積しようという試みです。
4月24日に、この冊子の発行を記念して、講演会が開かれます。私も出席して、冒頭の講演をします。ご関心ある方は、参加ください。この項、続く。
歳歳年年花不同
東京は、春の日が続いています。ソメイヨシノは終わりましたが、八重桜が真っ盛りです。我が家の鉢植えの桜も、ささやかな花をつけています。去年咲いた鉢植えのチューリップが、今年も花を咲かせています。通常は、翌年は病気の花しか咲かせないのに、今年は結構立派な花をつけています。
ご近所の花海棠のピンクとヒメリンゴの白い花も真っ盛り、モッコウバラもいくつも黄色い花を開き始めています。
去年まで少ししか花をつけなかった椿が、今年は手入れが良く(といっても、お向かいのおじさんに、してもらったのですが)、びっくりするほどの花を咲かせました。それに引き替え、進歩のない我が身を振り返ると、あの有名な漢詩を少し変えてみたくなります。
年年歳歳人相似 歳歳年年花不同。
本歌はもちろん、「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」。劉廷芝「代悲白頭翁」。訳はこちらが、わかりやすいようです。