日本からの発信・国際放送

17日の読売新聞夕刊が、NHK国際放送を取り上げていました。
かつて、このHPで、日本発の国際放送の意義を取り上げたことがあります。2006年7月、イギリスBBCを訪問した際の記事「06欧州随行記3」です。
それまでは、NHKの国際放送は、海外在留邦人向けの日本語放送だったのですが、約1年前から英語放送も開始しました。現在、受信可能世帯は、120か国、1億2千万人になっています。
チャンネルの認知度も上がっていますが、月に最低1回視る人は、ワシントンで5%、香港で18%です。イギリスのBBCワールドニュースは、ワシントンで29%、香港では31%です。

日本はどこへ行くのか・その3

さて、これからの日本を規定する、要因の2つめは、「国民」です。「国際環境」を最初に説明しましたが、より重要なのは国民です。これからの日本をつくるのは、国民ですから。
詳しく言うと「日本国民が、どのような日本をつくりたいと考えるか」です。それを考える際に、これからの日本社会を担う「階層」と「その意識」に、注目したいのです。「時代精神」と「その担い手」といったらよいでしょう。
戦後半世紀の成長を支えたもの。それは、自らを中流と思い、中流になろうとした多くの国民です。サラリーマン、事業家と従業員、そしてその家族です。彼らが、努力すれば豊かになると考え、努力して豊かになろうとしたのです。これが、書かれていない「日本国憲法第1条」でした。そしてそれが実際に実現することで、この憲法第1条はさらに強化され、再生産されました。
たとえば、19世紀の西欧の発展を支えた企業家と市民、20世紀のアメリカの躍進を支えた企業家と庶民、明治の日本の発展を支えた企業家たち。発展する時代には、それを動かす中心になる「階層」がいます。
そのような視点からは、これからの日本の時代精神はどのようなものになり、どのような階層がそれを体現するのか。それが鍵になります。
企業、自営業者、労働者、行政が一丸となって、「憲法第1条」を信じ、実行しました。もちろん、それに属さない大金持ちや、衰退した産業もありましたが。「一億総中流」という言葉が、「憲法第1条」が主流であったことを示しています。国民がそれぞれ違う「憲法」を信じ、別々の道を進んだならば、このような成功はなかったでしょう。
「時代精神」とそれを担う「階層」といったときに難しいのは、それが一人の人や統制のとれた集団ではないことです(全体主義国家なら、単一の意思が実現するでしょうが)。
「世相」は、個別の人格とそれぞれの考え方を持った国民の集合です。あいまいなものです。それがある方向にまとまったときに、強い力を出します。しかし、それは事前には予想できず、結果として見えてくるものなのでしょう。
そして、社会が発展する、活気に満ちるためには、「挑戦」と「競争」が必要です。国民の多くが現状に満足し安住したところで、発展は止まります。江戸時代は、それなりに満足した、安定社会でした。しかし、欧米の競争から取り残されました。
内向きになって、満足することも可能です。挑戦と競争には失敗と敗者が生まれるので、現状に満足することも、心地よいことなのです。しかし、それでは発展はありません。そして、国際化の進んだ現在に、日本だけが現状で満足することは不可能です。他国が発展する中で、じっとしていることは、どんどん貧しくなることを意味します。
これから、日本のどのような階層が、挑戦と競争に取り組むのか。それは、見えていません。
また、ここで「階層」や「時代精神」を強調するのは、政治家や学者がどれだけ高尚な目標を説いても、国民がついてこないと実現しないからです。とはいえ、国民に進むべき道を示すのは、リーダーの役割です。そこで、3番目にリーダーが要因になります。(この項続く)

政府の機能

佐々木毅教授「政府の危機」『公研』2008年2月号から。
世界の金融市場がサブプライム問題で激しく動揺し、実体経済の行方についても一時の楽観論は少なくなってきた・・東京市場は万国に冠たるほど株価が急落したが、政府関係者は至って冷静というか、無関心で、国際的にも誠に際だっている・・この冷静さは自信の現れではなく、恐らくは無力感の現れである。しかし、このことと無関心とは異なるはずである。無関心とは初めから思考が停止している状態であり、考える気力もエネルギーもない状態を指している・・
・・かつては、政府と民間との関係は極めて密接であり、政府が業界に傾斜していたことは、首相が今度の所信表明演説で認めている通りである。しかしその後、「官から民へ」と構造を変えた結果、今や諸外国に類例を見ないような「官」「民」相互無関心体制になったのではないかというのが、私の疑念である。
・・経済政策とか内需とかいう言葉はほとんど聞かなくなり、無関心の中で国民負担増問題だけが脚光を浴びるという甚だ不正常な状態が続いている。よく日本の存在感が急落しているといわれるが、政府の存在感が国内でも急落しているのであるから、国際的に何が起こっても不思議ではない。
・・「官から民へ」ということには、例えば、政府が市場を上手に活用して国民生活を活性化することが当然含まれている。昔のような行政指導や補助金は使わないで何ができるかが問われている。また、グローバル化時代においては、安定化要因としての政府の機能は極めて重要であり、その役割を真摯に絞り込み、速やかに実行する機動性が求められている(年金問題などを見ていると、政府はそれとは逆に不安定要因として機能している)・・

日本はどこへ行くのか・その2

前回、これからの日本を規定する要因として、国際環境を挙げました。日本はこの150年間、キャッチ・アップ型で成功しました。しかし、それに成功して先進国になったので、そのモデル(ビジネスモデル)は使えなくなりました。さらに、アジア各国が追いついてきたので、日本の優位性も失われたということです。
これは、産業だけでなく、行政や社会在り方についての考え方も、含まれています。拙著「新地方自治入門-行政の現在と未来」では、日本の行政がかつて高い評価を得たことの理由を、キャッチ・アップ型に成功したからと説明しました。そして、近年、評価を落とした理由も、そこにあります。
この条件は、変わりません。これから日本が、世界の先進国の一員として発展するためには、先頭に立って考え、新しいことに挑戦する。そういうモデルに、変える必要があります。成功したお手本をまねることに比べ、これは効率が悪いです。
さて、これからの日本を規定する国際環境には、このほかにも、いろいろなものがあります。
まず、北東アジアの島国であること、特に中国の隣に位置するという地政学、国際語でない日本語といったような、「日本が置かれた固有の条件」があります。
それとともに、世界の戦争と平和がどうなるか、どの国がヘゲモニーを握るのか、資源の枯渇や食料の不足と奪い合い、地球温暖化、さらなる経済社会の国際化、どのような科学技術の変化が起きるのかなど、「世界に共通する国際条件」があります。
これらも、これからの日本を規定する要因です。しかしこれらは、形こそ違え、これまでもあった条件です。知恵を出しながら、克服していけるでしょう。例えば「日本には資源がない」と嘆く人がいますが、これまで、それでも成功したのです。
通常、日本を取り巻く国際環境といった場合は、いま述べたような「日本が置かれた固有の条件」と「世界に共通する国際条件」を取り上げることが多いと思います。
しかし、私が、「キャッチ・アップ型モデルの終了」を、国際環境の第一として取り上げるのは、これが戦後日本の成功と停滞を規定した第一の要因であり、日本人の思想の基層にあるからです。そして、成功体験は、なかなか捨てることはできません。
国際環境に関して言うと、今後の日本がどうなるかは、まず「これまでのキャッチ・アップ型モデルを捨てること、そして新しいモデルに変身すること」とともに、「世界に共通する国際条件」に対して、日本がどのように働きかけるか、貢献するかが、重要な要素です。
キャッチ・アップの時代は、先進国がつくってくれた、科学技術、産業、政治システム、文化をまねました。そして、先進国がつくった「国際秩序」を利用させてもらったのです。それは、東西対立の下の平和、世界の自由貿易、国際金融秩序、国連などの国際機関と秩序づくりのテーブルなどです。
近年、日本も、新しい技術や文化を、世界に向けて発信しつつあります。生活文化では、インスタントラーメン、アニメ、ファッション、カラオケ、電器製品など。そして国際秩序に関しては、国連などの国際機関、サミット、G8、G20などに入り、国際秩序づくりに参加しつつあります。しかし、まだ発言力が弱い、経済力に見合った貢献をしていない、平和活動(軍事・治安面)での貢献がないといった批判もあります。
今後、国際社会の統合が進む中で、日本はどのような国際社会を目指し、どのような努力をするのか。日本の国益も含めて、考えなければならないことです。
国際環境に関して、今上げた二つの要素(キャッチ・アップモデルからの脱皮と、国際秩序づくりへの貢献)は、外的要因ではなく、日本からの努力による要素です。
「岡本の言う要素は日本の事情であって、国際環境ではないじゃないか」という、反論もあるでしょう。しかし、国際環境が与えられた条件だと考えることが、そもそもキャッチ・アップ型の思考なのです。与えられたルールで努力するのか、そのルールをつくる側に回るのか。採点される側で努力するのか、採点する側に立つのか。こう言ったら、理解してもらいやすいでしょうか。(この項続く)

書籍のデジタル化

2月13日の朝日新聞、長尾真国立国会図書館長へのインタビューから。
グーグルが世界中の書籍をデジタル化する「電子図書館」事業について。
・・人類のあらゆる知識や情報を収集・整理して世界中の人に提供するんだというグーグルの理念自体は、評価して良いんじゃないかと思います。その点は、図書館の精神と同じですから。しかし、資金力のある一企業が、世界中の知識を独占的に集めることには危険性を感じます・・
グーグルのデジタル化は英語圏だけの書籍を対象とし、日本語の著作は除外される点について。
・・僕は喜んでいるわけにはいかんと思うんです。英語の書籍は膨大で、世界中の利用者は、グーグルで探してなければ、もうその本はないんだと思っちゃう可能性が大きい・・
書籍のデジタル化が避けられないことに関して。
・・公共図書館は無償利用が原則ですが、ネットを通じて日本中に無料で提供すれば、著作者の生活がなりたたなくなり、出版社がつぶれることは明らかです・・
米英仏独、それに韓国や中国でも、国が巨費を投じてデジタル化を進め、世界的に電子図書館化の流れは急速です。韓国では、デジタル化した書籍をネット配信し、国が作家や出版社など著作権者に一定の補償金を払い、利用者も料金を負担しています・・