カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

政治家、表と裏の使い分け。許された時代

読売新聞連載「時代の証言者」西尾勝先生、9月30日の「市町村合併推進に反論」から。
1996年12月に第1次勧告(機関委任事務制度の廃止)を出す直前、自民党の行政改革本部で説明した際に、議員が次々と発言します。
・・市町村への権限移譲、市町村合併の推進、首長の多選制限。この3つが党の総意だというのです。
私は市町村合併論に、生意気にも反論しました。「我々は地方6団体の改革要望を基に進めているのに、合併推進を勧告したら地方の結束が乱れます。まずは分権改革の推進を優先し、分権社会が進んでから市町村に考えてもらうのでも遅くありません」
「市町村合併が先生方の信念なら、選挙区でそれを明言して、町村の首長や議員を説得してください」
これに対し、ある議員が「政治がわかっていないなあ。そんなことを我々が言って再選できると思っているのかね」と言いました。
私も負けずに「表と裏を使い分けるから政治はわかりにくい。市町村合併が党の総意なら選挙綱領で明言すべきで、我々に押しつけるのは理解できません」と返したのですが、押し問答になってしまいました・・
このようなことが、許されました。まだ20年前のことです。詳しくは、原文をお読みください。

アメリカ政治、社会倫理的争点

東京財団のリポートから。
アメリカの中間選挙で、同性婚が争点になるかもしれないと伝えられています。「社会的争点で守勢に回る共和党」。このほか、人工妊娠中絶など「社会的」「宗教的」な争点が、政治・政党間で争われます。社会的争点という表現では、貧富格差などを思い浮かべるので、倫理的争点と呼んだら良いのでしょうか。
日本の政治では、このような争点は、どのように扱われているか。マスコミは、これらの争点をどう扱っているか。行政府(官庁)は、どのようにかかわるのか。そのような点に、私は関心があります。

アメリカ政治、国会不信

アメリカは、中間選挙の年です。日本では、イギリス、フランス、アメリカなどを民主主義の先進国、お手本になる良い国として紹介することが多いです。しかし、どこの国でも、人間の基本は変わりません。政治や国会、選挙は、各人の欲望と理想が交錯し、戦いの場です。教科書に書いてあるようには、いきません。
東京財団が、現代アメリカ政治を、継続的に報告しています(2014年アメリカ中間選挙)。「強烈な現職不信を背景とする連邦議会上院選挙の動向」から。
・・アメリカ合衆国連邦議会の仕事ぶりに対する近年の支持率は、10%台という空前の低さである。そういう中でも、連邦議会下院は、区割り操作のお蔭で、議員の再選が安泰な選挙区が多い。これに対して連邦議会上院は、州が一つの選挙区なので、国民のムードの逆風をもろに受けることになる。このため2014年中間選挙では、多数の現職上院議員の再選が危ういか、または引退に追い込まれている。6年任期の連邦上院議員は、2年おきに全体の約3分の1が改選されるが、2014年が改選期の議員は民主党が多いため、多数党の座の維持が危ぶまれている。
連邦議会への信頼・不信に関する世論調査データをみる際のポイントは、連邦議会全体への評価と、地元選出の議員への評価を分けて捉えることである。一般的に、地域の利益代表としての地元議員は支持、連邦議会全体は不支持という二重構造がみられる。
ギャラップの調査(8月公表)では、連邦議会下院の地元議員が再選に値するという回答は、2014年については50%であるのに対し、連邦議会議員全般については19%にとどまり、地元議員と比べて31ポイントも低い。
2014年中間選挙の特色は、本来は有権者に愛されているはずの地元議員への不信感が、平年値を大きく超えるレベルに達していることだ。上述のギャラップ調査の50%という数字は、1992年以降では2010年の46%、1992年の48%に次ぐ低さである・・

国内政治と外交と

9月6日の読売新聞が、アメリカで、オバマ米大統領が指名した大使人事の承認が議会で進まず、46か国もの大使が承認待ちのまま不在となっていることを紹介しています。
国際機関の大使や特使らを含めると、上院で大使級人事の承認待ちは、61人です。一部の人は、外交に縁のない大統領の友人や政治資金提供者を政治任命したものですが、そうでない職業外交官も40人います。1年以上待機中の人もいて、平均で7か月だそうです。フランス、韓国、トルコにも、アメリカ大使がいません。日本のケネディ大使が早期に承認されたのは例外です。
国内での政治の争いが、外交(外交官の任命)に及んでいるのです。制度的には、大統領と議会がともに国民によって選ばれる二元制、外交官の任命が議会承認にかかるという仕組みが、このような混乱を生んでいます。もちろん、大統領の政治力(世論支持を含む)や議会の「良識」によって、通常は顕在化しないのでしょうが。

覇権国家イギリスを作った仕組み、12

近藤和彦著『イギリス誌10講』p143に、次のようなことが書かれています。
18世紀のイギリスには、2人の国務大臣(secretary of state)がいたのだそうです。2人で職務を分担していました。2人だけです。1782年に、内務大臣と外務大臣とに、職務を明確に分担しました。
アメリカの外務大臣が今も、国務長官(secretary of state)と呼ばれているのは、独立前のイギリス本国の官制の名残です。国務大臣と訳すのか国務長官と訳すのかは、日本での慣用の違いです。