カテゴリー別アーカイブ: ものの見方

包摂と介在物

先日「こども食堂3」で、多様性に配慮して共に生きることをインクルージョン(inclusion)と言い、包摂や配慮と訳すことを紹介しました。これを読んだ知人から、次のような指摘が届きました。

昔、鉄鋼会社での私の仕事は、溶けた鉄を固めることでした。そこで出てきたのが「Inclusion」です。「介在物」と訳されていて、主に酸化物で不純物です。介在物があると健全な固体の鉄とはならず、鉄板にした時に割れの起点になったりする厄介物でした。いかに介在物を除去するかが、大きな課題でした。
「所変われば品代わる」で、ここでは「配慮」になるのですね。

司馬遼太郎『ロシアについて』

新宿紀伊国屋に行ったら、ロシアや戦争に関する棚が設けられていました。その中に、司馬遼太郎著『ロシアについて 北方の原形』(1989年、文春文庫)がありました。司馬さんの一連の「街道を行く」はかなり読んだのですが、これは「あれ、まだ読んでいなかったよな」と思い、買いました。

いつもながら、広い視野と具体の事例と、そして司馬さんの語り口で読みやすく勉強になりました。
ロシア(これが書かれた当時はソ連)について書かれたものではありません。日本との関係、特にシベリアや千島、そして日本がロシアから見てどう見えるかです。そこに、司馬さんの得意であるモンゴルと満州の歴史と位置が入ります。「この国のかたち」という言葉は使っておられませんが、ロシアの特質を鋭く指摘されます。

シベリアを領土にしたのはよいのですが、ツンドラの大地は生産性が低く、その維持に金がかかります。本体以上の領土を持ち、それを維持しようと軍隊を持つと、それに振り回されます。戦前の日本と同じです。尻尾が胴体を振り回し、本体をも腐食するのです。その点、かつてのイギリスは、(善悪は別として)その海外領土経営能力は大したものです。

ところで、ラマ教がどのような影響を持っていたかも、初めて知りました。ラマ教が夫婦和合を唱えることは知っていましたが、僧が初夜権を持っていて、その過程で性病を感染させたこともあったそうです。

事例研究の危うさ

高野陽太郎「日本人論の危険なあやまち」」の続きになります。高野陽太郎著「日本人論の危険なあやまち 文化ステレオタイプの誘惑と罠」 (2019年、ディスカヴァー携書)に、次のような話が出ています。64ページ。

日本人の代表として野球の大谷翔平選手を出し、アメリカ人の代表として俳優のトム・クルーズさんを出します。これは、多くの人が納得するでしょう。
そして二人の身長を比べます。
大谷選手は193センチ、トム・クルーズさんは170センチほどだそうです。これで、日本人の方がアメリカ人より背が高いと、結論づけて良いのでしょうか。

高野先生は、いくつも「都合の良い事例」「変な証明」を取り上げて、日本人論のおかしさを指摘しています。

人間の二つの思考方法

2021年12月30日の日経新聞経済教室、鳥海不二夫・東京大学教授の「「情報的健康」目指す仕組みを データから社会を読む」に、人間の二つの思考方法についてわかりやすい説明がありました。

システム1は、暗黙的システムと呼ばれ、無意識かつ自動的に判断を行う仕組みです。直感的な好き嫌いで、情報を判断します。動物的といえます。面白い情報や好きな情報を選びます。
これに対しシステム2は、明示的システムであり、数値などを精査して判断する、合理的な仕組みです。あらゆる情報をじっくり考えて意思決定をします。ただしシステム2は脳に負荷をかけるので、通常私たちはシステム1をつかって生活しています。

バラスの取れた食事がよいと知っていながら、甘い高カロリーのお菓子を食べてしまいます。深酒はいけないと考えつつ、飲み過ぎます。インターネットでサーフィンをするときも、同じです。

「エビデンス至上主義」の危うさ

朝日新聞デジタル医療サイト、失敗学の畑村洋太郎さんの「「考え」ない菅首相、その罪深さと正しさ」(9月12日)の後段から。

・・・僕は東京電力福島第一原発事故の政府の事故調査・検証委員会の委員長を務めたけど、失敗の原因をさぐるためには、なぜこんなことが起きたのか、「推測する力」が必要な場合もあるんだ。
ところが今の科学は、推測で書いているようなものはどんどん排除しようという方向になっている。「エビデンス」などといって、証拠がないことを発言してはいけない、という空気も強まっているように思う。
でも、そういう考え方の制約を外さないと、正しい考え方はできないんじゃないか。

委員長をやっていたときに開いた国際会議の中間報告書で、僕は「あり得ることはこれからも起こる」「あり得ないと思うことも起こる」と書いた。
そしたら、フランスのラコステ原子力安全庁長官が「『思いつきもしないことさえ起こる』というのも足さないと、人間が考えるすべての領域を全部、採り上げたことにならないぞ」と言ってくれた・・・