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長引く仮設住宅生活

NHK「時論公論」7月23日深夜は、二宮徹・解説委員の「遅れる住まいの復興 長引く仮設住宅生活」でした。「これだけの内容を、要領よく10分間に詰め込んで、かつわかりやすく解説できるものだ」と、感心しました。絵もわかりやすいですね。ありがとうございます。
インフラや住宅復旧は、どんどん進みつつあります。しかし、まだ時間がかかります。今回、指摘されたように、大勢の人がまだ2年も3年も、仮設住宅住まいを余儀なくされます。これは、阪神・淡路大震災の時には、なかったことです。神戸では、がれきを片付ければ、家を再建できました。今回の被災地では、高台に移転します。住民の意見集約が終わり、計画もできました。しかし、山を切り取る工事は、時間がかかります。なお、借り上げ仮設は普通のアパートなので、住環境は悪くありません。
プレハブ仮設が老朽化し、そして生活不活発病や孤立を招きます。これが、次の大きな課題です。長引く仮設住宅生活での健康と、新しい住宅でコミュニティを作ること。これが大きな課題です。でも、課題はわかっているので、市町村や県と一緒に、そして町内会やNPOの力を借りて、課題を解決していきます。

携帯電話料金、知らないと損。2

昨日の記事に、読者から便り(反応)がありました。
「私はスマホ派です。仕事で便利です。ゲームは、していません」。これは民間企業の方。他にも、「タブレットは便利です・・」とか。この人たちや若い人からすると、私は「時代遅れのおじいさん」なのでしょうね(苦笑)。あの機械が便利な人も、多いと思います。でも、現在のところ、私には不要なのです。

携帯電話料金、知らないと損

携帯電話は嫌いなのですが、仕事がら、持たないわけにはいきません。メールは重宝しています。出先で、国会答弁案を確認するのに便利です。また、メールは、相手の都合を考えずに送ることができますし、こちらも都合の良いときに見ればすみます。これに対し、電話が問題です。ところ構わず、かかってきます。重要な知らせかもしれないので、無視できず、話を聞くことになります。
近年はほとんど使わないので、かなり安い料金体系で契約していました。ところが、先月、先々月と急に高額の請求が来ました。原因は、娘が孫の写真を毎日送ってくれることでした。データ量が大きくて、パケット料金が跳ね上がったらしいのです。娘には、写真を送ってくれるのはうれしいけれど、携帯電話ではなく、自宅のパソコンに送ってもらうことにしました。しかもその方が、大きな画面で見ることができます。
また、お店に行って、契約内容を見なおしてもらいました。パケット料金に上限をつける契約です。少し基本料金は上がりますが。先月に遡って、適用してくれるとのこと。これならもっと早く、お店に相談すべきでした。若い人には、笑われそうな話です。お店の方は、親切に相談に乗ってくれました。競争が激しいのでしょうね。スマートフォンやタブレットを勧められましたが、キッパリと拒否。
私の「何が便利なの」とか「あんたは、何に使っているの」といった問に、いろいろ例を挙げられましたが、「インターネットを見ることができる」ことや「地図を見ることが便利」とのことでした。どちらも、私は、外で見ることの必要性を感じないのです。放課後の「意見交換会」の場所は、たいがい幹事さんが「ぐるなび」の地図をつけてくれるので、それを印刷して持っていけばすみます。地下鉄で熱心にスマホを使っている人の多くは、ゲームをしていますよね。なお、私は外での仕事や原稿を書くためには、携帯パソコンを持っています。そのほか、「あんたは、スマホをどこに入れているの」「ポケットが膨らむやろ」など、おじさんの社会調査にも付き合ってくれました。
今日も、しょうもない話で、すみません。

移民政策、ドイツの経験

先日、ドイツの総人口に占める移民系住民の割合が20%あることを、紹介しました(2014年7月16日)。7月17日の朝日新聞オピニオン欄に、元ドイツ連邦議会議長で移民受入れに関する委員会の委員長だった、リタ・ジュスムートさんのインタビュー「移民政策、ドイツの経験」が載っていました。
「ドイツは1950年代以降、戦後の復興を担う外国人労働者を南東欧やトルコなどから受け入れたが、本国に帰ることが想定されていた。だが、ジュスムートさんを委員長とする独立委員会が2001年、定住を前提にした受け入れや社会に溶け込んでもらう施策を提言。2005年に提言を盛り込んだ移民法が施行され、ドイツは「移民国家」に転換した」という書き出しです。
・・ドイツが受け入れてきたのはガストアルバイター(一時滞在の労働者)で、「3年間」などの期限が来たら帰ってもらうというものです。主要政党は右も左も「だから移民政策は取らない」が建前でした。
だが現実はそうならなかった。半数は本国に帰っても、半数はとどまった。ドイツの方が労働環境が安全で、収入も多かったからです。石油ショックや経済低迷で、1970年代には外国人労働者の受け入れが中止されました。しかし、いったん帰国したらドイツに戻れないことから定住が加速し、むしろ本国から家族を呼び寄せる人が増えました。
1980年代後半、私は保守系コール政権の閣僚として女性や若者を担当しました。そこでわかったのは貧困や差別などの問題を抱える女性や若者の多くが、ドイツに長く暮らす外国人だったことです。ドイツ語が十分に話せない。教育水準も低い。ほかの人と同じ権利や機会を持つ人間とはみなされていない。(移民はいないという)建前と(彼らを取り巻く)現実との深刻な矛盾に気づいたのです。
1990年代には、情報通信やバイオなどの分野で高い技術をもっている人材が足りないとの悲鳴が経済界から上がりました。さらに冷戦後に頻発した(旧ユーゴスラビアなどでの)地域紛争で難民申請者が増え、彼らを受け入れる責務も生じました。どんなに高い壁を築いても、戦乱から逃れてくる人々は必ず入ってきます。こうしてドイツは「いかに国を開くか」という切実な問いを突きつけられました・・
・・移民の受け入れは、単に労働力を受け入れることではありません。彼らも家族を持てば、子供を学校に通わせる。病気になれば医療機関で治療を受けるし、年をとれば年金をもらう。ただ、たとえ出身地が外国であっても、ドイツ社会の構成メンバーになるからにはドイツの原則や理念を受け入れてもらわねばなりません。かといって、価値観を一方的に押しつければいいわけでもない。彼らの固有の文化も尊重されてしかるべきでしょう。少数者の権利や文化を認めるということも、ドイツの基本的な価値観だからです・・
ぜひ、原文をお読みください。

企業との連携

藤沢烈さんのブログ「被災地における行政と企業の連携が、いよいよ進むのか」(7月20日)から。
・・企業連携の在り方は被災自治体によって違いがあります。RCFが関わる釜石市では、釜援隊が様々な企業からのリクエストを受ける存在になっています。女川町では、NPOアスヘノキボウさんが受け口になっています。大船渡では、市役所に入っている東北未来創造イニシアティブのメンバーが調整役になっていますし、石巻では、これからできる六次産業化センターがその役割を担います。
ただ、これらの市町村は企業連携が進んでいる地域です。多くの被災市町村では、連携の窓口が決まっていなかったり、担当者の時間・経験不足で対応し切れていません。また、自治体の規模やニーズによって窓口の内容や活用する制度も異なるわけですが、そうしたノウハウはあまり共有されていません。さらに言えば、ある自治体に届く企業支援が、一つの自治体にとどまって他には広がらないことがあります。というか、これは私見ですけれども、企業やNPOが検討した支援の8-9割は適切にマッチングされていなかったと感じます・・

被災地の復興には、行政だけでなく、企業やNPO・中間団体の役割が重要です。復興庁では、企業連携班やボランティア連携班を作って、進めようとしています(多様な主体の取り組み)。企業との連携では、大きく分けて2つの分野、2つのアプローチがあります。
一つは、被災地での産業復興です。政府はさまざまな手法で、産業復興を支援しています。もちろん産業の主体は企業や事業主であり、政府の仕事はその支援です。もう一つは、企業のCSRです。「民間企業による主な復旧復興支援活動」を分類して、企業の皆さんに支援を呼びかけています(民間企業による復興段階における支援活動)。
藤沢さんの指摘のように、せっかくの企業からの申し出に対して、まだ十分な対応ができていません。もったいないのです。これまで、自治体は企業誘致の他は、企業との付き合いがほとんどありませんでした。役所は、企業を事業委託の相手方か補助金の相手方としてしか、認識していなかったのです。対等に協力するという経験や発想が乏しいのです。特に域外の企業と、どうやって協力してもらったら良いかのノウハウやつなぐ場がありません。いろいろ試みているのですが、これからの課題の一つです。