隈研吾さん、建築家の仕事に見る社会の変化

4月22日の読売新聞、著名人の経済トークは、隈研吾・建築家の「場当たり的組織に柔軟性」でした。社会の変化を的確に表しておられます。

・・・僕の上の世代ぐらいまで建築家の世界には「出世すごろく」がありました。
若い頃は個性的な住宅を設計する。次は小さな美術館。だんだん大きな公共建築物を手がけるようになり名を成していく。このすごろくに沿って出世のコマを進めていけばよかった。
それは高い経済成長が続き、公共事業が山ほどある時代を前提としていたんです。僕らの世代は低成長期に入り、出世すごろくはなくなりました。
「すごい形」の建築を手がけることは望めません。狭い敷地に小さな商業ビルを作る仕事から始めました。条件が限られる中で、自分が何を楽しめるのかを考えた答えが、材料と細部にこだわること。そして過程を楽しむ、日々の打ち合わせを楽しむことです・・・バブル経済崩壊後の1990年代に入ると、東京の仕事が全くと言っていいほどなくなり、地方で仕事をすることにしました。

現場で実際に手を動かしている職人さんとじっくり話をして、工夫を出し合いました。東京の仕事だと、我々建築家の打ち合わせの相手は建設会社の現場所長さんです。職人さんと話をする機会はありません。
職人さんのやり方は、原理ではなく、状況に応じたその場その場での対応から入っていきます。大学で教える建築は原理を重視しますが、原理を重んじるやり方の限界も感じていましたから、職人さんが下から積み上げていくやり方を学ぼうと思いました。
「場当たり的」「だましだまし」「その場しのぎ」。そんな表現を、否定的ではない意味で使うようになりました・・・

・・・今は時代の大きな変わり目だと思います。住宅市場も、昔は新築のマイホームを建てることが人生設計の前提にあり、そこに住宅ローンと終身雇用がセットになっていた。それが今は、賃貸やルームシェアへの関心が高まっています。
職業観の変化も感じます。かつては東大の建築学科を出たら中央官庁やゼネコンに就職するのが王道でした。最近はそうした「大企業の匂い」が強いところは学生にあまり人気がありません。学生は終身雇用の空気を重苦しく感じているんじゃないでしょうか・・・
・・・建築家も皆と同じ目線で話して、自分で手を動かす人でないとやっていけない。かつてのように「こちらの原理を尊敬しろ」と言うのでは仕事は来ないでしょう。
建築に限らず専門家不信が広がっているのは、20世紀の学問が持つ原理主義みたいなものに、あらゆる領域で限界が見えてきたことがあります。原理と現場、それぞれの良さと限界を知ることが重要です・・・
この項続く