「行政」カテゴリーアーカイブ

行政

自由で孤独な時代

12月26日の朝日新聞1面は、連載「孤族の国」を、大きく取り上げていました。すでに一番多い家族形態は、両親と子ども2人の標準家庭ではなく、一人世帯です。それは、独身の若者と、連れ合いに先立たれた高齢者です。外食産業やコンビニなど、一人暮らしもしやすくなりました。そして、一人暮らしは気楽です、自由です。しかし、病気になったら、高齢になったら、一人では暮らしにくいです。さらに、自由は孤独です。イヌやネコは話し相手になってくれますが、お風呂や便所で倒れた時、助けてはくれません。孤独死が大きな話題になり、その対応が行政の課題になっています。生活保護制度や介護保険制度を整えましたが、このような制度では対応できません。

私は、連載「社会のリスクの変化と行政の役割」で、現代が自由な生活を達成した、しかしそれが、孤独というリスクを生んでいることを取り上げています。詳しくは、第3章3「豊かな社会の新しいリスク」(1月号掲載予定)をご覧下さい。
近代は、それまでの身分、イエ、ムラ、職業、宗教といった束縛から、個人を自由にしました。しかし、それらの自由が実質的になったのは、工業化に成功して、農業を離れることができるようになってからです。農業を継いでいる限りは、イエやムラの束縛から自由にはなれませんでした。職業を選ぶことができるようになって初めて、住所を選ぶことができるようになり、イエから離れることができるようになったのです。もっとも、都会に出てからもしばらくは、会社という疑似イエ・疑似ムラに属していました。
それらの束縛から逃れることは、自由になることですが、他方で困った時に助けてもらったり、相談できる人や集団がなくなるということです。核家族では孤立します。そして、家族を持たなくなると、個人はさらに孤立します。街の中で誰も私を知っていないので、周りの目を気にすることなく自由な行動が取れます。それは同時に、誰も私のことを知っていてくれない、孤独だということです。

私は、庶民の暮らしから考えると、日本の歴史は大きく3つに分けることができると考えています。縄文時代と弥生時代(広い意味で、稲作の時代)と高度成長以降(多くの人が農業を離れ農村を出た時代)です。その意味は、次のようなことです。
江戸時代の農民が平安時代の村にタイムスリップしても、昭和前期の農村にタイムスリップしても、そんなに苦労せず生きて行けたでしょう。稲作によって規定されていたムラの暮らしは、そんなに大きくは違いません。電化製品もありませんでした。江戸に幕府があろうが、明治維新が起きようが、村の農民の暮らしは大きな影響はありません。
しかし、高度成長期以降の私たちの暮らしは、大きく変わったのです。会社に勤め、電化製品に囲まれて暮らすようになりました。ところが、社会の形態や人間関係は、完全には新しい時代に適応できていません。家族形態、親類との付き合い、近所づきあい、さらには祭やお墓なども、農村時代のものが基礎となっています。
例えば、叔父叔母や従兄弟たちとの付き合いが、この半世紀の間に大きく変わった(希薄になった)と思いませんか。本家や分家との付き合い、お墓も。農地が基本的財産だった時代が終わったことで、親類とのつながりも変わったのです。そのうちに、お盆や正月に田舎の実家で過ごすという風習も、少なくなるでしょう。

記事(2ページ)では、孤独死が40代から急に増えること、そして男性が多いことを指摘しています。どうも、男性の方が不器用なようです。
このような家族形態とともに、他者や社会とのつながりを持てない人、作りにくい人たちが増えていることも大きな問題です。引きこもりやニートの人たちです。春日キスヨさんは『変わる家族と介護』(2010年、講談社現代新書)で、親に依存する同居中年シングル男性を取り上げておられます。
社会関係資本が壊れた社会は、不安な社会です。豊かな社会の大きな課題だと、私は考えています。

新しい分類、社会関係リスク

日本社会の勝ち組と負け組、単線的社会、格差、社会関係をうまく作れない問題などを、「再チャレンジ」の表題(分類)で書いてきましたが、内容と表題がズレてきたので、「社会関係リスク」という表題(分類)に変更しました(このページです)。この表題でも、しっくり来ないのですが、良い言葉が浮かばないので、しばらくこれで行きます。
新しいホームページソフト(ホームページビルダー)に、まだ慣れないので、表題を変えるだけでも四苦八苦です。

フランスの農業改革の経験

22日の読売新聞経済面に、フォール駐日フランス大使のインタビューが載っていました。フランスの農業改革の経験についてです。フランスは、食料自給率120%の農業国です。
フランスは、自給できないことの問題意識から、1950年代から農業改革を始めました。この60年間で、農業人口を3分の1に減らし、平均農地面積を約7倍の70ヘクタールに広げました。農家の平均年齢は、10歳以上若返り、40代半ばだそうです。
日本では、農家は減りましたが、一戸当たりの経営規模は2ヘクタールです。平均年齢は、60歳を超えています。もちろん、日本の稲作とフランスの小麦や牧畜とを、面積で単純に比較してはダメでしょうが。日本では、兼業農家が温存され(稲作は兼業ができる事業なのです。ただし小規模なのでコストが高くなります)、農地の集約が進みませんでした。
日本の農業問題を議論する際には、稲作とそれ以外を分けて議論すべきこと、そして稲作については農地(売らない貸さない)が問題なのです。昨日紹介した2007年6月23日の記事を参照してください。

公共サービスと料金

全国市長会の機関誌『市政』2010年12月号に、中邨章明治大学教授の「自治体の信頼と危機管理」が載っています。その中で、アメリカでの消防・救急の費用負担が、紹介されています。
救急車を呼んだら、「料金を支払えるか」と聞かれた例や、あらかじめ75ドルの税金を払っておかないと消防車が来てくれない例が、出ています。後者の場合は、火事になったが事前に75ドルを支払っていなかったので、消防車が来てくれない。しかし、隣の家は支払っていたので、消防車が来てくれた。ただし、規則に忠実な消防隊は、現場に到着しても、出火元が全焼しても活動せず、隣家に延焼始めたら消火活動を始めたという話です。以前、中邨先生にこの話を教えてもらった時には、「忠実な消防隊」を笑うとともに(失礼)、なるほどと感心しました。

私は、消防は地域全体への危険を防止するために、無料でよいと考えます。しかし、救急の場合は、特定個人が利益を受けます。そして、緊急度の低い人が、救急車を呼ぶ例も報道されています。だから、有料にして良いと考えます。
その時は急いでいるので、後払い。または、健康保険の対象にするのも、一つの方法です。往診の場合は、往診料を払います。それとよく似た行為だと、位置づけるのです。医者が来てくれるのか、医者のところに運ぶのかの違いです。もちろん、料金設定をいくらにするのか、少々難しい問題もあります。
無料と言っても、その費用は住民が負担しているのです。その点、山岳救助の費用も、遭難者が負担すべきです。通常の生活ではなく、危険を伴うことを承知で出かけているのですから。「高額だから無理だ」とおっしゃる人もおられますが、保険に入ればよいのです。スポーツ少年団なども、保険に入っています。

国民生活白書

今日12月16日の日経新聞に、内閣府が発行していた「国民生活白書」が、ここ2年間発行されていないこと、そして来年度も発行されない見込みであると、報道されていました。
この白書は、結構良いテーマを取り上げていて、私もしばしば勉強させてもらいました。家族、暮らし、ボランティアなど、社会生活を取り上げる数少ない書物でした。
この白書は、内閣府(旧経済企画庁)の国民生活局が、作っていました。ところが、2009年に消費者庁ができた時に、国民生活局が廃止されたのです。しかし、消費者庁の所管範囲は、かつて白書が扱っていた暮らしのすべてをカバーしていません。消費生活以外の暮らしが、宙に浮いてしまったのです。
内閣府には、近いものとして、このホームページでもしばしば取り上げている共生社会政策統括官があります。私は、消費者庁、食品安全委員会、共生社会統括官、男女共同参画局と、厚生労働省の家庭や子どもを担当している部局を統合して、一つの省「暮らし省」あるいは「国民生活省」を作るべきだと考えています。これからの行政は、社会資本整備や産業振興以上に、国民の暮らしを重点にすべきだと思うからです。