カテゴリーアーカイブ:行政

日本政治で「第三極」に見えるもの

2025年2月17日   岡本全勝

2月13日の朝日新聞オピニオン欄は「「第三極」って?」で、砂原庸介教授の「政党の対立軸、なお不明確」が載っていました。

・・・いまの日本政治で「第三極」に見えるものは、議院内閣制のどの国でも起こりうる、過半数を得た政党がない「ハングパーラメント」と呼ばれる状態です。小選挙区制であっても、2大政党に集約されるのは、非常に限定された条件でしか起きないのです。
衆院で比較第4党の国民民主党が「第三極」とされますが、こういう政党が力をもつのは珍しくありません。議席数の関係と、政策的に自民党に近いのでピボタル(かなめ)政党になりやすい。その位置取りと、対立軸を作るような「極」は少し違う気がします・・・

・・・どちらに転ぶかわからない状態というのは、有権者の政党や政治に対する期待が「制度化」されていないことを意味します。政治のあり方が、政党などの組織ではなく、政治家個人というアクターに依存する状態になっている。これはいいことではないと思います。
いまの日本では、政党の対立軸が明確ではありません。安全保障政策などの伝統的な左か右かの対立軸はありますが、それ以外の対立軸が何なのか、社会的な合意がない。だから、「第三極」といっても、政策的にどう位置づけられるのかがはっきりしない。
求心力を持つ「極」が生まれる背景には、複数の政策の対立軸があると思いますが、日本ではそうでもない。社会が多様化しているのなら、政策や政党も多様化しそうですが、必ずしもそうはなっていません・・・

ただし、この記事は「3」についての議論で、国際的な第3極、二元論と三元論の違いと並べてあります。それぞれに興味深いのですが、焦点が絞りにくくなっているようです。

「高卒男子を囲い込む」政策の失敗

2025年2月16日   岡本全勝

朝日新聞ウエッブに「地方移住6年、劇作家平田オリザさんが語る「妻ターン」する街の所作」(2月2日)が載っていました。

日本の人口は減少を続け、現役世代が2割減る「8がけ社会」へと向かいます。その影響は真っ先に地方に及びます。劇作家の平田オリザさん(62)は芸術文化観光専門職大学の開学に関わったことを機に、2019年から活動の拠点を東京から大学のある兵庫県豊岡市に移しました。「アートと大学で、人口減に歯止めをかける」と話す平田さんに聞きました。地方は輝きを取りもどせますか――。

――地方の人口減少の背景に、若者世代の都市への人口流出があります。豊岡も例外ではありません。

日本の地域振興策はこれまで「高卒男子を囲い込む」政策でした。企業や公共事業を誘致し、地元に雇用を生む。当時の親の殺し文句は「車を買ってやるから残れ」でした。
男子を囲い込んでおけば、女子は地元の企業や役所で4~5年働いて、結婚・出産をするだろうという考えがあった。昭和はこれがあまりにも成功したため、平成の間、多くの自治体は思考停止に陥ってしまった。いまだに工業団地を作り、企業を誘致すれば、人口が増えると思っているわけです。
しかし、その間に何が起きたか。4年制大学への女子進学率の上昇です。豊岡で言えば、神戸や大阪や京都、あるいは東京で刺激的な4年間を過ごすことになる。そうした女性に「豊岡へ戻ってこないか」という問いかけは、18歳の男子に「地元に残らないか」と言うのと、質が違うんです。
若い女性は雇用がないから帰らないわけではなく、街が面白くないから帰らない。どうやって戻って来たくなる街を作るかが大事になるわけです。

――ここまでの取り組みを振り返って、人をひきつけることはできていますか。

アートセンターは国際化する城崎のシンボルになりました。20年から始めた豊岡演劇祭も規模が拡大しています。昨年の自由公演の申し込みは200件超。海外からも応募がありました。世界のダンスシーンでは、城崎・豊岡の名前が徐々に広がっています。
城崎温泉自体も、旅館の内装が洗練されたり、ブックカフェなどのおしゃれな飲食店が誕生したりと、イメージが良くなってきています。豊岡の市街地はまだまだ空き店舗がありますが、若い感性によるカフェなどができてきています。街並みの変化は、「戻って来たくなる街」に少しずつ近づいています。豊岡にUターンした人たちからよく聞くのが、「10年前に地元を出た時と豊岡が様変わりだ」「昔はつまらない街だったけど、今は色々なイベントが開かれ、都会と遜色がない」といった声です。最近、豊岡で増えているのが「妻ターン」です。

――UターンでもIターンでもなく「妻ターン」ですか。

豊岡を離れた女性がパートナーを連れて帰ってくるケースです。これまで故郷に戻る場合、夫の実家が多かったですが、夫婦で議論をした上で豊岡が選ばれています。
もちろん仕事があるから帰ってくるわけですが、決め手は「豊岡が面白くなってきた」ことだと思います。子育てしやすく、教育が充実した環境は当然ですが、そこにおしゃれな店ができたとか、演劇祭が始まったり大学ができたりして活気がでてきたというのが「戻って来たい」につながっています。

世界でも珍しい日本の国会

2025年2月14日   岡本全勝

1月22日の朝日新聞オピニオン欄、野中尚人・学習院大学教授の「日本の国会、変われるか」から。

―日本の国会審議は、国際標準とは異なるのですか。
「1955年の保守合同で自民党や55年体制ができて以来、日本の予算案や法案は基本的に政府が与党の事前審査を受けて提出してきました。特に与党議員には賛否を縛る党議拘束もあり、いったん国会に提出するとめったに修正されず、審議が尽くされていなくても半ば自動的に可決されてきました。そうした自国の国会のあり方については知っていても、それが世界の民主主義国と比べてどうなのかは、国会議員や官僚もあまり知らないのではないでしょうか」
「たとえば、国会の本会議は日本では年60時間ぐらいしか開かれませんが、欧州諸国の議会では年1000~1200時間が標準です」

――日本の20倍とは……。
「ほら、そう感じるあなたも、日本の政治にどっぷり漬かってマヒしているんですよ。欧州だけでなく、台湾や韓国などどこに行っても、日本の国会本会議は年60時間だと言うと『それで議会と議員が役割を果たせているのか』と驚かれます」
「国際標準では、議員全員が参加できる本会議での全体討論が重要です。まず本会議で大きな枠組みを討論した上で、委員会で論点整理して議論を精緻にした後、また本会議に戻って十分に全体討論してから採決します。つまり、日本のように委員会に事実上任せるのではなく、全員が意見を言える本会議で全体討論する機会を確保するのが当たり前なんです。委員会はもちろん大変重要ですが、あくまで下準備なんですよ」
「だから審議時間は、重要法案を委員会で30時間やったら、大体そのあと本会議で50時間ぐらいやる感じです。ドイツでは委員会審議が重視されており、ほかの欧州諸国より本会議は短いですが、それでも年600時間と日本の10倍です」

―それだけ時間をかけて議論するということは、予算案が国会で修正されることも海外では当たり前なのですか。日本では28年ぶりでしたが。
「充実した議会審議の仕組みがある場合、政府提出の予算案が全く無傷で通るなんていうことは、ほとんどありません」
「ドイツでは、年によって増減はありますが、予算額全体の5%ぐらいが議決を経て修正されます。英国は、実は政府の主導権が極端に強い例外なのですが、それでも近年は議会の与党から注文がつけば、それに応じて政府が修正するパターンが増えています。欧州だけでなく、かつては政治制度上も日本の影響が強かった同じ東アジアの台湾や韓国でも、国際標準的な予算審議が行われています」

――具体的に、どのように予算案は審議されるのでしょう。
「まず議員への説明は、我が国のように与党の事前審査が先行するのではなく、議会プロセスに入ってから、与野党合同で行われることが多いです。当然、質問や意見交換がありますが、その後が重要です」
「どういう項目にどういう修正を要求するか、個々の会派や議員レベルで、項目ごとに修正案をつくります。昨年、調査に訪れた台湾で聞いたら、毎年700項目ぐらいの予算の項目のうち、相当な数のものについて修正要求が出てくるとのことでした。『これは絶対ダメだから削れ』とか、『この項目は実態を説明するレポートが出るまで凍結だ』といった具合です」
「本会議(台湾)か予算委員会(韓国)で最初に予算全体を議論した後、それぞれの常任委員会で各分野の予算を項目ごとに議論しているわけです。たとえば農林水産予算は、農林水産委員会で『この項目については、こういう修正要求が出ていますが、ほかに意見のある方はいませんか』などと、議会を挙げて1カ月ぐらいかけて項目ごとに議論し、そして項目ごとに議決していきます。もめる場合には『党団協商』(台湾)や予算委員会(韓国)で調整し、最後は本会議で討論のうえ、最終的に投票で決着をつけます」
「台湾の党団協商も与野党間の交渉のチャンネルですが、議会の公式の制度であり、いわば『表』のプロセスです。大事なことは、具体的な予算項目について公の場で議論をして、誰がどんな意見を出して予算案がどう変わったのか、あるいは変わらなかったのかが、公的な記録に残るということです」
「どの議会も、予算案は3カ月ぐらいかけてしっかり審議しています。それから考えると、日本の国会は本当に予算審議をしているといえるでしょうか」

―国会の本来の役割とは。
「国会の本質的な特徴とは、議論をした上で、社会の全構成員を拘束するルール、つまり法をつくれることです。話し合いをする組織自体はほかにもたくさんありますが、それらとは根本的に違うのが、まずそのことです」
「もう一つ、そのために意見や立場の異なる人が公開の場で討論をすることが、私は決定的に重要だと考えています。ところが日本の国会は55年体制が成立して以降、与野党による討論が実質的に行われていません。野党が政府を監視する、という重要な機能を果たしてきたことは忘れてはいけませんが、与野党の討論や熟議の場としては、役割を果たしていないと思います。これらは法律ではなく、戦後の55年体制の中で与野党でつくってきた、政治的慣習によるものです」
「日本の戦後を考えたとき、私は、自民党が与党であり続けてきた国会が本来果たすべき仕事をしてこなかったのに、民間・国民の努力と創意工夫で経済発展を遂げ、豊かさを蓄えてこられたのだと思っています。与党は公共事業や補助金の配分をコントロールすることが権力の源泉とされ、右肩上がりの時代には、それがうまく機能した面もあったでしょう。しかし、この20年以上、その蓄えを様々な分野で食いつぶしているのではないでしょうか。そして与党の政治家は、何か都合が悪くなったり批判を受けたりすると、官僚を悪者にする傾向を強めてきました」

霞が関には期待できない

2025年2月13日   岡本全勝

時々紹介している「自治体のツボ」。2月9日は「地方行政にしか期待できない」でした。詳しくは原文をお読みください。

・・・行政に関心があるのなら、中央省庁を分析すべきではないかと思わないこともない。だが、霞が関は期待できないと感覚的につかんでいる。優秀でユニークな官僚はたくさんいるが、ひとつの省庁の枠を超えられる人はほとんどいない。

省益を軽々と飛び越え、政治としっかり議論し、国民のニーズに即した政策を打ち出す。霞が関の住人はそれができない。省益に縛られ、政治には面従腹背、最大多数の国民とズレた政策を打つ。借金も減らせず、閉塞感を打破できない・・・

地方税偏在とその対応

2025年2月5日   岡本全勝

1月30日の朝日新聞オピニオン欄に、砂原庸介・神戸大学教授の「「標準的なサービス」超える自治体施策 東京都の留学助成から考える」が載っていました。
・・・東京都の小池百合子知事は、大学生などを対象に海外留学の費用を助成するという方針を1月に明らかにした。保護者などが都内在住であることなどを条件としつつも、所得制限なしに助成が行われ、1年間で最大300万円を超える規模になるという。
このような方針は、広く若年層に海外生活を経験する機会を提供する一方で、東京に住んでいるかどうかで得られる機会に差異がもたらされる。もともと多様な機会に恵まれやすい東京出身者とそうでない地域の出身者の格差が拡大する可能性もあるだろう・・・

・・・このような差異はなぜ生まれるのか。直感的には東京の財政力が強いからだ。確かにその通りだが、この差異が何を意味するのか、もう少し考える必要がある。一般に日本の自治体には、国が作成する地方財政計画のもとで積み上げられる「標準的なサービス」のための支出を可能にするような収入が確保されるしくみがある。自治体の収入としてまず地方税などから計算される自治体の標準的な収入があるが、足りない場合には「標準的なサービス」のための支出との差額を地方交付税で埋めることとされているのだ。
東京都の場合、標準的な収入が、「標準的なサービス」のための支出に必要な額を大きく超えている。そのために、地方交付税交付金を受け取らずに「標準的なサービス」を提供できるだけでなく、それを大幅に超えたサービスの提供も可能だ。そして日本では法人税の一部も地方税とされているので、景気が良くて税収が増えるとサービスを提供する余地がより大きくなる。

他方、個人が支払う税金を考える場合、所得や固定資産に対する比率という意味で、地方税の負担が住む地域によって大きく変わるわけではない。たとえば個人への所得税であれば、だいたいどこに住んでいても所得の10%が税となる。ということは、個人から見ればどこでも同じように地方税を払っているのに、多くの自治体では「標準的なサービス」が提供されるのに対して、東京のように法人税が多い自治体では、はじめから標準を超えるサービスが可能になるのだ。
これまで日本では、「標準的なサービス」に多くの内容が含まれ、それを通じて国が地方を強くコントロールすることに批判もあった。地方分権を強調するなら、国と地方の役割分担を見直して標準とされる内容を整理し、東京をはじめとした一部自治体だけでなく、全ての自治体が同じように標準を超える部分について検討できる仕組みを考えていく必要があるのではないか・・・

 元交付税課長としては、意見を述べなくてはなりませんね。
この論考は、東京都が独自の政策を行う財源があることを指摘していますが、その奥にあるのは、地方団体間の税収格差です。

指摘された点は、検討する価値があります。交付税制度は地方団体の税収格差を調整する仕組みとしては、良くできたものです。かつての課題は、まずは財源不足団体対応でした。しかし、財源不足団体の不足分を埋めることはできても、財源が超過する団体から税収を奪うことはできません。東京都のような団体の超過分を減らすには、地方税制を変える必要があります。

20年前の三位一体の改革で、所得課税を3兆円地方税に移しました。これは地方団体間の税収格差を縮める効果がありました。さらに進めるなら、偏在の大きい法人課税を地方税から国税に移し、偏在の少ない個人所得課税を国税から地方税に移すという国税と地方税の税源交換が考えられます。これについては、「地方財政の将来」神野直彦編『三位一体改革と地方税財政-到達点と今後の課題』(2006年11月、学陽書房)所収と、「三位一体改革の意義」・「今後の課題と展望」『三位一体の改革と将来像』(ぎょうせい、2007年5月)所収に書いたことがあります。これらも、古くなりましたね。

地方税制(総務省自治税務局)と交付税制度(自治財政局)の両方をまたいで、検討する必要があります。学者の方々の提案も期待されます。